おしり冷たいと手ぇあったかい | 夕食ホットオフィシャルブログ

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美容師のボーカルしょったん+建築家の鍵盤きくっちゃん+ぬいぐるみのギターすだっちからなる異色ユニット「夕食ホット」の公式ブログです。

みなさんこんばんワームホール。

 

「わー、手がつめたーい。心があったかいのね」

みたいな、根拠のない話が大嫌いなきくっちゃんです。

血液型の話も。

星座の話は空の星座が好きなので許すオリオン座

 

で、その「手が冷たい」の話なんですが。。。

 

 

人はあるとき気づきます。

 

例えば手と手。

握手でもおててつなぎでもマッサージでも。

こっちが相手の手を暖かいと感じていたら、相手は必ず僕の手を冷たいと感じていることに。

逆もそう。

こっちが相手の手を冷たいと感じていたら、相手は必ず僕の手を暖かいと感じていることに。

例外なし。

 

この感覚が特殊なのは、

「いや、あんたの手がそもそも冷たいねん!」

「ちゃうて、そっちがあったかすぎるねん!」

「ちゃうし」

・・の結論が二人だけだといつまでたっても出ないこと。

「ああ、確かに、そっちが普通やわ」

がない。

 

これ、自分と他人だけの話じゃない。

 

例えば自分のほっぺたに自分の手をあてると分かります。

ほっぺた目線で「手ぇつめた!」なときは、必ず手目線では「ほっぺたあったか!」と感じます。

逆もそう。

何も感じないときは、両者だいたい同じ温度。

 

あと、手と手だけじゃ当然ないです。

あなたのお尻と彼女のお尻を引っつけてみましょう。

もちろん直で。

「ケツつめた!」と言ったら必ず彼女は

「おめえのケツあっつ」と言います。

 

ほんと不思議です。

 

まず、ここいらでこの現象に名前をつけておきたいと思います。

「自分つめた相手あったか現象」

でいいか。

いや。長い。

んー

「恋の温度差現象」

かなあ。

や、恋関係ないか。

理系的に

「二人のδt(デルタティー)」

も捨てがたい。

うーん。

 

やっぱ名前つけるのやめます。

 

雪だるま雪だるま雪だるま

で、なんでこんなことになるのか、ってのをずっと考えているわけですきくっちゃん。

(調べればすぐ分かるのかもしれないけど。まあ、真実が知りたいわけでもなので)

 

多分だけど

1.本来どの感覚にも、外的環境によって基準を移動できる機能が備わっている

はにわ生き物の素敵なしなやかさです。視覚でいうホワイトバランスの自動調整ですね。通常を超える変化(アラート)に敏感でいられる工夫でもある。

 

2.温度感覚も外的な環境に対しては同じ

はにわこの部屋暑すぎるわ。脱いどこ。とか意識できる。

 

3.でも温度感覚の場合、内的な環境の変化も結構でかい

はにわ発熱機関である筋肉の温度がしょちゅう上下する。

 

4.”2”の外的環境と”3”の内的環境の区別がつかない

はにわ発熱機関である筋肉に、外部温度を感じる皮膚が貼りついていることが要因。

 

この4が問題なんじゃないかと。

 

しょっちゅう上下する体温の中で温度を測ってる。しかも外気温もしょっちゅう変わる。

センサーが独立していない欠陥設計なんじゃないかと。

照明に光度計つけて環境光測るカメラマンみたいな。

阿呆かと。

 

で、結局何が起こるかというと、現在の自分の体温をゼロ点にするしかなくなってしまってる。

 

 

 

さて、この「自分つめたいと相手あったかいよ現象」ですが。

 

個人的にはとっても素敵なことだと思います。

 

なんべんやっても飽きない。

手を繋ぐたび(握手可)、肩を揉むたび、おでこをくっつけるたび、ハグをするたび、

暖かかったり冷たかったりして。

そして逆に、必ず相手は冷たいと思ってたり暖かいと思ってたりしてます。

とくに体温に感想がない時は相手も同じ。

それもまたお互い素敵。

 

だからどうってわけではないのですが。

他では得られない関係性だなあと。

 

この「体温感覚お互い逆現象」は、人と人の関係性の最後のフロンティアだなあと。

他人に冷たい僕はそう思うです。

以上ですせめてあったかい曲作ります。