facebookから「今日は○○さんの誕生日です」ってお知らせされるのが何より嫌いなきくっちゃんですこんばんは。
祝いたい時は勝手に祝います。お前が言うな。



さて。もう分かっておられるとは思いますが、きくっちゃんのブログは新年も長いです。


えー、おとつい(おととい)、お正月なので江ノ島あたりをお散歩してきました。好きなのですあの辺。
ちょうど江ノ島を見渡せる岬の小さな神社から海を眺めていますと、輪郭が光に縁取られたとっても美しい雲が浮かんでおりました。

この、真ん中のZ状というか佐渡島状の雲です。
この子、このあと一日かけて丸くまとまってゆくことになります。
実はいま、次のアルバムに向けて「街の上空に、大きな大きな水の塊が何年も浮かんでいる」という世界のことをずっと空想しておりまして、毎日毎日その街のことばかりを考えているのです。
ずっとずっとずっと考えているので少し苦しくなって
「まあお正月くらいはそこから離れてのんびりお散歩でも」
と思っていた矢先だったので、とてもびっくりしました。

最初は不定形の「雲です」みたいな感じだったそいつは、少しずつ円盤状のまとまった形状に姿を変えてゆきました。
江ノ島から鎌倉までの海岸沿いを歩いたり江の電に乗ったり、鎌倉でもわりとのんびりと過ごしたのですが、結局帰る時までずっとそこに浮かんでおりました。
別に話はそれだけなのですが、その”大きな光に縁取られた雲”と、僕がここのところずっと空想している物語の光景がなんだかシンクロして、江ノ島と鎌倉がとっても特別な場所になってしまいました。
これからもずっとそうだと思います。



大好きな作家さんにいしいしんじさんという方がいます。
いしいしんじさんの『麦踏みクーツェ』を僕はもうなんべんも読んでいるのですが。
この本(文庫じゃない方)、少し変わった質感なのです。
物語ではなくて、本そのものが。

これがカバーを外した『麦踏みクーツェ』です。
※カバーを外して読むのは僕のクセです。
ハードカバーではなく、”柔らかくて大きな分厚い本”なのです。
数年前のことなのですが、その日も僕は何度目かのクーツェの世界に入り込んでおりました。
水夫が集まる石畳の港町に住む<ぼく>が、本来そこにあるはずのない黄色い大地で麦を踏み続けるクーツェの姿を見る、というのがこの物語の重要なモチーフなのです。
黄色くだだっぴろい大地がどこまでも続くどこか遠くの土地。そこでクーツェが麦を踏む「とん、たたん」という音とともに物語は進んでゆきます。
その日も僕(←きくっちゃん)はベッドに寝転んで、枕元の電灯スタンドだけでこの柔らかくて重い本を読んでいたのですが、あるページをめくった時に不思議なことがおこりました。
なんと、ページの奥から、とても綺麗なオレンジがかった光が差し込んできたのです。

これがその光。
ハードカバーではないこの不思議な柔らかい背表紙と糊を通して、電気スタンドの光がたまたま透けて見えただけなのですが、涙がとまりませんでした。
もちろん作者のいしいしんじさんがそこまで考えてこの装丁をなさったとは思いません。単なる偶然だと思います。そもそもカバーの装丁は全然違う色だし。
でも、この素敵な偶然のおかげで僕は、この『麦踏みクーツェ』がとても特別な本だと思うようになりました。
これからもずっとそうだと思います。


夕食ホットの曲を聴いて下さった方から感想を貰うことがあります。
何人かの方は、具体的に「あの曲の夕日の光景が・・」とか「バス停のきらきらした木漏れ日が・・」とか、具体的な風景を挙げて感想を言って下さいます。
そうじゃなくても、「小学校の友達に会いたくなった」とか「何だか知らないけれど地元の町が懐かしくなった」とか言って下さる方もおられます。
もちろん死ぬ程嬉しいです。
でも実は、曲の中で具体的な「そういう何か」について描写することはほとんどないのです。
歌詞の中では「大きな太陽を背に・・・」って言ってるだけだったりします。
もし、曲の風景がなにかしら印象に残ったのだとすれば、それは曲の側にあるのではなく聴いて下さる人の中にある風景がそうさせたのだと思います。
歌詞の「大きな太陽」が照らしている世界は、聴き手さんの中にある世界なんです。
その方自身が今まで見た多摩川に映る夕日やグラウンドにのびる影が、僕らの曲をある場合には特別なものにしてくれているのです。
もちろんそうじゃない場合の方が多いと思います。
僕だって、雲を見て何とも思わない日がほとんどです。
本を開いて「うわー綺麗」なんて普段は思わないっす。
でもたまに、考えていたことと雲の形がシンクロしたり、装丁が生んだいたずらが物語のシーンとシンクロしたり、そういう偶然の重なりが素敵な瞬間を生み出すように、僕たちの音楽が、誰かの心の風景と呼応して特別な時間を生み出せていればいいなあ、なんて割とまじめに考えたお正月なのでした。
さらば。