80歳になるといろいろある。
動きも感覚も何もかも鈍くなるが、やはり本能はあやまたないようだ。
若者に刺激されて、十数年ぶりのデモだ。
熊が出て、危なくなった加治丘陵に行けなくなったと思ったら、イスラエルのガザ殲滅が始まった。それで、若者たちの抗議に刺激され、気に入ったところに出かけて行く。
電車に乗るのも面白い。
杖を突きつつ、ふらつきながら乗ると、すかさず席を立つ人、私が座るまで空席を守っていてくれるチビちゃん。ありがとうと手を振って、座ると何だかほのぼのとする。
デモの先頭に出て、おまわりの群れに囲まれて、うまくずらかるのも楽しい。
(あちこちのデモで)
ジェノサイドに抗議するのは当たり前、むつかしいことは何もない。
ぼっちスタンディングに紛れ込んで、ポスターをかかげていると、先を急ぐひとたちもチラリチラリと見て通り過ぎる。
デモも抗議行動も秩序を乱す悪いこと、と教育を受けた若い人たちも教育そのものに反発して成長したに違いない。
いいものはいい。
悪いものは悪い。
――そんな単純なことが、何かの合図を送る表情に、目つきに、歩き方に見て取れる。
もしかして、時代が変わってきたのか。
それとも年を食って、見方がゆるゆるになって来たのか。