新しい人たち | よろぼい日記

よろぼい日記

杖ついてやっとこさ歩いてバタンキューの毎日。食べれない。喋れない。わからない。死にそう。どん詰まりのあがき…………か。それとも死に欲かな?

 

 

 

にーちゃん、ねーちゃんに色んなやつが出てくる。鮮やかな、美しい個性。ひかり輝く個性。

 

 

 

 

 

「やばすぎる 

 

ほんとに止めろ  まじで止めろよ

 

おかしすぎるだろ

 

占領して絶滅収容所をつくって、そこに空爆までして、その中で死にそうになりながら、なんとか暮らしをやっている人たちを、世界中が資本主義で押しつぶす」    by新土

 

「一人スタンディングができれば、1人ダイインもできるわけだ。

1人でできるようになれば思いついた時に即動ける。

組織集会の動員よりも個人で動き始めた人に注目している。」    

                byプラナー2世

 

「私達が見ているのは彼らが体験している事の10%に過ぎない。説明を聞くと叔母は過去に見た世界大戦の映画のような日常と言った。過去20年にわたる7回のガザ侵攻は恐ろしいものだが、生中継で起きている今回の大量虐殺は比べ物にならない。このひどいジェノサイドを今すぐ止めなければ」 

 

「世界はやっと目を覚まし、プロパガンダのカーテンを破った。私達はもう騙されない。2001年と違う。山ほどある生中継の映像が真実を暴露している。私達は今日、日本政府に"大量虐殺に加担するな"と強く求めるために集まった。日本がイスラエルに圧力をかけなければ日本の手も血に染まる」

               byハニンさん

 

https://twitter.com/i/status/1722952434061091202

 

 

「今日の夜は18時半からの「パレスチナに平和を!」デモ。なんと4000人が参加したそうで、何梯団にも分かれたデモ隊が続く光景は圧巻でした。デモ前、ガザ出身のハニンさんがスピーチ。胸を打たれました。雨の中、お疲れさまでした!」

                   by雨宮処凛

 

 

「日本赤軍のテルアビブ空港での乱射事件のとき。なぜアメリカは日本を空爆しなかったか?その時代はまだテロリストがいる国に勝手に軍事作戦で関係ない人たちを巻き添えにしていいという価値観はなかった。

9.11以降アメリカ流の国と国ではない戦争が始まった。イラクで50万人が犠牲になったと言う。

あれはいったいなんだったのか?

虐殺ではなかったのか?

アフガンで誤爆で殺された家族に損害賠償したのか?

バレスチナの子どもたちがずっと殺されたり逮捕されたりしてきたことは、あれはいったいなんなのか?

もちろん、イスラエルにすんでる国民のなかにも、平和的に共存を願う人たちもたくさんいる。

なぜイスラエルやアメリカは経済制裁されないのか?

そう考えると、地球は温暖化のまえに、不正義の黙認によって滅びそうになってるのがわかる。

不正義とは何か?

たとえば、私たちが白紙の領主書を税務署に出したら許されないが、政治家は許される。

そういうことなん。

江戸時代なら、自分が税金納めてなかった役人なんて、切腹もんだった。武士がいちばん貧乏だ、ぐらいの身の清さを見せてた。

何が日本は武士道があ!だ。

あれは為政者の美学であって、庶民が腹切りするなんて江戸時代は許されておらんかったから。

その時代の美学の中に、その時代なりの正義があった、

ほならいま、日本の政治家の美学はなんね?

アメリカのテロ狩りは、巻き添え死オッケー!とか。

アメリカ人が農薬でガンになったら何十億もらえるのに。

金儲けのためなら山林破壊、海に放射能垂れ流し放題で、お太鼓持ちは、全然問題ないですよ!とか言うのは、不正義が社会に完成したところ。

それを黙認して、あまりに不正義が蔓延して、自滅しそうになってる。

庶民同士はマナーレベルで争うな!

上級の犯罪はつき出せ!

校長が上級のいじめ容認してたらクビを教育委員会に訴えたらいい。

この社会はとことん、不正義の蔓延になってる。なぜ?マスコミが、その役割を放棄したからだと思う。

庶民と日大アメフト部のあら探しばかり。」               

                   by野呂美加

 

 

「いますぐ虐殺をやめろ。いますぐ「停戦」を。それに賛意を示せないひと(この場でも、別の場でも、実生活の場でも、心のなかでも、あ、でも心のなかだけのひとはもう一歩踏み出して身のまわりのひとに伝えてほしいかな)は、金輪際わたしと関わろうとしないでください。関わってくれなくて結構です。」

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「“そんな態度じゃ味方も理解者もいなくなるよ”と言われる。ああ結構ですよ。味方や理解者なんぞ増やすために身を削ってこんなことしてんじゃねーんだよ。終わらせたいんだよ。大事な時に己の意思ひとつ示せない“味方”や“理解者”なんぞ必要ねーんだよ。もうやめようぜ゛友達ごっこ“。時間の無駄。」

                    by高橋美香

 

 

ヨイヨイの出る幕ではないとあきらめていても、彼ら彼女らの歯に衣着せない言動に触発されて、杖をつきつき、電車を乗り継ぎ、都内の目抜きまでたどりつき、集まってきた老若男女たちに紛れ込むと、何だかほっとして、ガザやそこらで、あるいはナマポや公園の茂みでひどい仕打ちを受けて殺されていく人たちのことを忘れることが出来る。

歩道で手を振る人たちや公安の穏やかな表情に心を奪われてしまう。

 

それでよい。

以前にも増して立ち上がるとふらふらして、車椅子が欲しくなるが、それでもいくらか物を読めるようになった。

自然の息吹を感じられるようになった。

ふと気づくとあれこれ考えているようになった。

――だからこそ、新しい個性に響き合うことが出来るのだと思うと、生きのびていることが何だかうれしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『この美は新しい、生まれ変わった、生まれたままのあどけない美だったので、みずみずしく、生気にあふれるあまり、恥辱から身をもぎ離しつつある世界中のあらゆる美と響き合うことにまでも、たちどころにあらわにしてしまった。』

 

『恐らく認めねばならないのは、革命あるいは解放というものの――漠たる――目的は、美の発見、もしくは再発見にあるということだ。美、即ち、この語によるほかは触れることも名づけることもできないもの。いや、それよりも、盛んに笑う傲慢不遜という意味を、美という語に与えよう。過去のものとなった悲惨に、この悲惨、この屈辱を招いた体制および人間たちにまだ舐められてはいても、こんなに生意気そうに、しかもよく笑うのは、恥辱からはじけ出ることなどちょろいものだったと気づいているからに違いない。』 

 

『私が言いたいのはアカデミックな美のことではなく、陰鬱さと手を切った体、顔、叫び、言葉の、触れることの――名づけることの――不可能な喜び、要するに官能的で強烈なあまり、どんなエロチスムも追放しようとするような喜びのことだ。』 

              byジャン・ジュネ

 

在日パレスチナ・デモで。

 

G7糾弾デモで。

新宿デモで。

六本木でおまわりたちと揉みあって。