5年前、脳梗塞で倒れてから、あれこれリハビリにつとめたが、やっぱり駄目で、あの世行きを指折り数えて過ごす毎日だったが、何としても80まで生きのびたいと、何度目かの禁酒をやってみて、今日で61日目、どうやら禁断症状も抜け、何だか生き返ったみたいだ。
加治丘陵4㎞の登り下りを1時間以内にという目標を、33日連続で達成し、遠い昔に失った青春時代が、幻のように蘇って来る。
そんなとき、『窮鼠猫を噛む』のパレスチナ全滅、孫子の代まで殲滅するのだ、のきちがい沙汰が切って落とされた。
それで何日もかけて、やっとこさプラカードをこさえ、バックパックに結わえ付け、えっちらおっちら、新宿まで出かけていった。
20年ぶりか?
もっとか?
2011年前後のあの頃、国会前はもとより、北は函館から新潟、そして名古屋、神戸、大阪、祝島、南は水俣、高江、辺野古まであちこちを飛びまわり、地元でもデモを主催した。
やがて、ご多分に漏れず、何をやってもどうにもならず、げんなりして敗残のぼろっかすをさらすに任せてしまった。
恥じらいもせず。
久しぶりの新宿デモは何だか、すばらしかった。
杖をついた私のようなヨレヨレが大半を占めているが、それでも、皺だらけの瞼の奥の目玉がぎらぎら、交差点で足止めを食らっている人たちも、かつてのように中指を立てて、つばを吐きかけるようなデモ嫌いは一人もいなかった。
この十数年の間に、なにかが変わったのかもしれない。
いや、変わらなくてはならない。
それが確かにそこに見えて、私はひっそり泣いた。
あと何年生きるかわからないが、願わくば、パレスチナなどのチビたちが楽しくはしゃぎまわり、どん底の福島が芯から蘇り、アメリカから完全に独立し、しっかりした隣人たちの姿をこの目でちゃんと見て、コトンと死んで行きたい。