永井荷風と江戸東京の風景
江戸東京博物館で特別展示をしています
アメリカ・フランス外遊
永井荷風のへその緒の入れ物まで展示しています。
流石お坊ちゃま。お父さんも偉い方でした。
東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)、小石川区小日向台町(現文京区小日向二丁目)に存在した黒田小学校初等科、東京府尋常師範学校附属小学校高等科(現・東京学芸大学附属竹早小学校)と進み、1891年に神田錦町にあった高等師範学校附属尋常中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)2年に編入学した。
アメリカ留学(遊学)時代の、絵葉書や写真もあります
エリートな生活
荷風の人生を、書物や永井家からの貴重な品々が見られます。
アメリカやフランスに留学(外遊)して大使館職員、銀行員や教授になった文学者です。
当時のエリートだったはずですが⁉️
大学教授
この辺の写真は、文学者や慶応大学の教授と云う凛々しさがあります。
この辺だけ見ていると、とても立派な先生にしか見えません。
染井・王子・巣鴨の古地図
こんなものを持参して、色々東京の彼方此方を散歩したそうです。
明治の建物が西洋かぶれしていて、嫌いだった荷風先生。
特に赤煉瓦が大嫌い。
街中にある銅像も大嫌いでした。
江戸の風情が残った街を、古地図を見ながら鞄💼と傘を🌂散歩するのが大好きな🚶♀️荷風先生
浮世絵の魅力
荷風はアメリカやフランスの美術館で浮世絵などを見て、明治の日本人が興味を示さなくなった江戸文化の貴重さに気づきました。
それから文学以外にも浮世絵の資料本なども書きました。
明治の日本の文化人は、浮世絵なんか庶民の娯楽にしか思っていませんでした。
外国ではジャポニズムで浮世絵などの芸術性が認められているのに、当時のお偉いさんは能天気です。
西洋から浮世絵が芸術的価値があることを教えて貰ったのです。
両国橋から観た明治の柳橋
断腸亭日乗
荷風の日記1917年から1959年まで42年間書きました。
それも亡くなる前の日まで書いています。
マメな方だったんですね
この展示会は荷風の文学者としての側面からしか見ていませんが、本来は荷風の女性遍歴とかの見方も面白いと私は感じます。
兎にも角にも女性が好きだったんです。それも素人の女性はダメなんですね⁉️荷風先生は😱
でも、女性には優しい方だったんですよ。
表現の自由を求めて戦前は国家権力と戦い、本が発禁になったりしました。
戦後はGHQ、アメリカ兵の横暴に対して、筆を持って戦いました。
アメリカ兵の悪事を書いて残しています。
本来は孤独なインテリのエロオヤジ❗️😎
自分なりの戦い方を知っていますね。
荷風は、浅草 「尾張屋」のトイレで倒れ、浅草から姿を消しました。
ほどなくして荷風は自宅でひっそり79年の生涯を終えます。
結婚歴はありますが独り身で、人嫌い医者嫌いであった荷風は誰にも知られることなく息をひきとっていたとのことです。1957年(78歳)
ボストンバッグの中身
常に持ち歩いたボストンバックの中には、土地の権利証、預金通帳、文化勲章など全財産があった。
恐ろしいオヤジ
中身の通帳の額面は総額2334万円を越えており、他に現金31万円余が入れられていた
落としたらどうするんだろうね?
1958年当時大卒初任給は1万4千円~1万6千円
明治の頃の銀座通り
西洋化していますが、時折、真ん中の家みたいに江戸の庶民的な家もあったりしています
永井荷風が嫌いな西洋風の街並みです
永井荷風の話が好きな方は、私の過去のブログがありますので御覧ください。
永井荷風①〜講座〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12462120543.html?frm=theme
永井荷風②〜落語家〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12470889270.html?frm=theme
永井荷風③〜深川散歩〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12493154176.html?frm=theme
永井荷風④〜グルメ〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12476229078.html?frm=theme
永井荷風⑤〜晩年〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12504030490.html?frm=theme
森鴎外記念館〜永井荷風〜
https://ameblo.jp/ugi77314/entry-12536952297.html?frm=theme
永井荷風の本八幡〜谷崎潤一郎〜