国内自動車メーカーで確固たる地位を築き始めた1960年代のトヨタだが、世界的には未だ取るに足らない存在でしかありませんでした。そんな中、世界に通用する高性能車の開発を模索し始めます。1965年にトヨタの精鋭5名で高性能スポーツカー開発がスタート。車体・エンジン・デザイナー各分野のスペシャリストが参集しました。開発車両はコードネーム「280A」と呼ばれ、秀麗なスタイリング・6気筒DOHCエンジン・4輪ディスクブレーキその他、4輪独立懸架サス・ラジアルタイヤ・ラック&ピニオン・リトラクタブルライト等々、今の自動車の基本形式として確立された機構を国産車として初めて装備したのです。開発チームは4ヶ月で基本設計を完成させました。しかし実際に車を製作するには、当時のトヨタにとって相当に高い技術的ハードルと開発人員不足の問題が存在しました。一品モノの手作業的な車造りになるため、量産メーカーとしての体制では無理と判断されたのです。当時のトヨタでは、カローラ・スプリンター・コロナマークⅡ・センチュリーの開発も同時進行で行われていました。そんな中、自社製スポーツカー開発が頓挫、日産とのスポーツカー(A550X:日産2000GT)共同開発も中止となっていたヤマハが共同開発を打診して来ます。ヤマハではアルミブロックのDOHCエンジン開発を既にスタートさせていたのです。その経験値も開発に活かすことになり、トヨタの開発チームもヤマハの工場に出向き共同開発することになりました。トヨタの開発チームとヤマハの10数人のメンバーにより細部の設計が行われています。この工程は悪戦苦闘を強いられたようです。特にトヨタの品質基準の厳しさは相当なものだったとのこと。8ヶ月後、試作車が完成。世界水準の高性能を実現した名車の誕生となりました。1967年から本格的な生産体制に入り、生産はヤマハ磐田工場で行われました。開発と製造をトヨタ本体から切り離したことが、この特別な名車を開発できた理由だと言われています。アイシンやデンソー等のトヨタ系列グループへの依頼を本体経由じゃなくプロジェクトチームから直接行うなどがそれです。大企業との共同開発は制約等が多い、日産自動車との共同開発中止はその辺が理由だったのですから・・・。今も燦然と輝く名車の誕生にはトヨタとヤマハの共同開発が無ければ実現不可能だったのは明らかで、開発成功に導いた両社のプロジェクトチームに敬意を表したいと思います。
エンジンはクラウン用のM型6気筒SOHC・2000ccをベースにヤマハ開発のDOHCヘッドを換装。ボディのX型バックボーンフレームもクラウン用をベースに開発するなど、今もトヨタの看板車種であるクラウンに用いられた基礎技術が多く利用されました。これ以降、高性能FRスポーツカーはトヨタの伝統となり、トヨタ2000GT→スープラ→レクサスLFA→GR GTへと継承されていきます。
トヨタ2000GT(MF10前期型)主要諸元
全長 4175mm
全幅 1600mm
全高 1160mm
ホイールベース 2330mm
車両重量 1120kg
乗車定員 2名
駆動方式 FR
エンジン 3M型直列6気筒DOHC(2バブル方式)
排気量 1988cc
圧縮比 8.4
最高出力 150ps/6600rpm
最大トルク 18.0kg/5000rpm
変速機 5速MT/3速AT
サスペンション (F)ダブルウィッシュボーン
(R)ダブルウィッシュボーン
ブレーキ (F)ディスク
(R)ディスク
タイヤ 165HR15
最高速度 220km
MF10型(前期型)

フロント(国産初リトラクタブルライトと大型フォグランプ)

サイド(ロングノーズ+ショートデッキ、フロントミッドシップ)

リア(センターマフラー)

ヤマハ製ウッドパネルと7連メーター

3M型直列6気筒DOHCエンジン

【トヨタ博物館アーカイブから引用】