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花かつみ

郡山市と周辺市町村の街並み画像と情報を不定期に掲載

郡山広域連携中枢都市圏の拡大が止まらない状況となっています。面積で福島県の4分の1、人口で福島県全体の3分の1を占める。郡山広域連携中枢都市圏は福島市、いわき市、会津若松市、白河市の4市と境を接する程の膨張ぶりです。今後は、会津若松都市圏と白河都市圏との包括的な連携強化と将来の統合に向かた取り組みが重要となります。

 

東日本大震災の影響による原発事故で何かとマイナスイメージを払拭できない「福島」の名を捨て、郡山広域連携中枢都市圏で郡山市を中心とした新しい県を形成したくなる。今の状況はその助走・・・「郡山県」の誕生です。

 

郡山広域連携中枢都市圏 [郡山市HPから引用]

 

 

郡山市桑野の国道49号線沿いのGS跡の更地が工事用フェンスで囲われました。何らかの施設建設が行われるのでしょうか? 商業施設、オフィス、マンション等の建設が予想されます。

 

 

【撮影日:7月6日】

 

 

リマインドの意味で【県庁移転の歩み】を定期的にUPします。

 

福島県庁移転の歩み

明治9年

若松県、磐前県、旧福島県が合併して現在の福島県が誕生。

福島県庁は戊辰戦争で朝敵の汚名を着せられた当時、本地方最大都市の若松を忌避して北端の辺境、福島に設置されました。広い福島県にとって、福島は北の辺境で不便だという声が高まる。(既に現在と同じ状況が明治期から言われていた・・・)

 

明治15年

県庁を福島県の中央である郡山へ移すという移転運動が始まる。

 

明治18年

福島県議会が県庁を福島から郡山への移転を賛成多数で可決。

これが当時の福島県民の民意である。

 

明治19年

内務省へ上伸。

しかし、移転に賛成した当時の三島県令(知事)が栃木県へ転出の不運も重なり、中央政府は移転を一方的に却下してしまった。福島県民の民意は無視されたのです。

 

この辺の裏事情が以下となるが・・・・どのように思いますか?

 

福島県庁が何故北の辺境である福島に設置されたのか? 理解に苦しみます。薩長土肥の藩閥政府が、会津から遠く不便な場所に県庁を置き、会津の影響が及ばないようにしたといわれています。当然ながら会津の人々は反対しましたが、旧会津藩領の三郡を新潟県に強制的に編入し、政府は会津の反対の声に報復する暴挙に出ます。福島県は、全国で一番早く県議会が設置開催されており、明治18年の県議会において県の中央の安積郡(現在の郡山市)への県庁移転が決議され、中央政府に上申しました。中央施府はこれを認めず却下、裏情報として信夫郡・伊達郡・相馬郡の関係者が中央政界への政治工作(金、女・・・)を行い移転の妨害を行っています。県民多数の民意を踏みにじる背信行為、許されません。大正15年頃に再度県庁移転問題が提起されましたが、大正天皇の崩御などにより沙汰止みとなる。昭和10年頃に再び県庁移転問題が持ち上がったが、時世は戦時体制へ移行中であり再び沙汰止み。

 

この様に度々移転の話が持ち上がるのは、北の辺境への県庁設置での県民が被る経済的な損失と県民総意の郡山移転を無視され事への潜在的な怒りが有るのだと思う。福島市には県都としての正当性は無く、不当に居座っているとも言えるのです。県議会が決議決定すれば県庁は移転できる。県庁移転の先例はお隣の栃木県があり、明治17年に栃木から宇都宮へ県庁を移転しています。既得権益者は反対だろうが、これからの百年の大計を考えて欲しい。辺境への無駄を続けるのか? 他都市へ発展を希求するのか? 昨今の福島市の停滞・迷走を見れば如何に県都に相応しくない街か分かると思います。

 

以上「福島県庁を郡山市へ移転推進する会」の趣意書を参考に加筆しています。

 

当時の郡山政財界人は麓山地区への県庁舎建設の具体的な計画まであったらしい。県庁移転が実現していれば郡山は、60万人以上の人口を有する都市となっていたことでしょう。貴重なリソースを全て郡山に一極集中できるのですから。北関東・東北地方の姿も今とは違ったものになったと思われます。少なくとも東北地方で仙台一強の現在の姿は無かった。中国地方の広島市と岡山市的な関係性になっていたことでしょう。

 

福島県の発展を阻害した信夫郡・伊達郡・相馬郡の関係者に天誅を加えたい心境です。

昨今の北の辺境の情けない状態を見るに真剣に県庁移転を提起するべきです。

 

 

郡山市駅前の商業施設「アティ郡山別館」画像です。本館南側入口に隣接しています。現在はエステサロンと脱毛サロンが入居していますが、過去にはドラックストアが入居していました。この立地に1階建て商業施設は絶対に勿体ないので、周辺部を含めてアティ新別館として複数階建ての商業施設を新築して欲しいです。ティーワン駐車場と新別館3階位を連絡通路で接続する感じにすれば、動線もスムーズになり回遊性が増していいと思います。

 

 

【撮影日:7月12日】

 

 

参議院選挙の投票日20日が迫っています。これからの日本の浮沈を決める政権選択選挙となります。江戸時代よりも厳しい重税と物価高に苦しむ国民の民意を無視し続ける自公与党、史上最低の無能な総理による迷走する外交、財務省の操り人形と化す与党政治家、もう左翼政権に国民の我慢は限界です。民意を政治に反映するには、国民民主党・参政党・日本保守党に代表される積極財政派の保守系政党中心による政権を樹立するしかありません。裏で自公立大連立を企む立憲民主党も全く信用できない。

 

福島県に目を移すと、選挙区は参政党候補者、比例区は国民民主党に投票するしかありません。是非、政権交代を実現しましょう。

 

 

郡山市駅前「ティーワン郡山駅西口駐車場」の画像です。立体(自走式)6階建ての駐車場で、アティ郡山専用の駐車場って感じですが、駅前商業施設全体の立体駐車場です。休日になると終日、駐車場に向かう車列で周辺は埋め尽くされます。周辺のアクセス道路には改善の余地があると思うが・・・。例えば、本町緑地方面に直接抜けられる道路があると良い。JR郡山駅西口駅前の渋滞問題に付随する問題として対策するべきです。

 

ティーワン屋上からのプラウドタワー郡山

 

【撮影日:7月12日】

 

 

トライアルホールディングスは、西友の全株式取得を完了し完全子会社化が完了しました。但し、「トライアル」と「西友」の屋号がなくなることはないそうです。経営統合後の戦略については、「既存店改革」「出店戦略」「収益性の向上」「リテールメディア展開」の4つを軸に進める。既存店改革の取り組みの1つとして、トライアル・西友の商品の相互展開を推進する。両社のPB、惣菜を相互に活用し、グループ全体で店舗の魅力向上を図る。具体的には西友PBの「みなさまのお墨付き」を秋口からトライアル店舗で展開予定。出店戦略については、トライアルが福岡を中心に展開している都市型・近隣型の小型スマートストア「TRIAL GO」を、西友の店舗や製造拠点を活用し関東でも本格展開する。

 

ザ・モール郡山

 

【撮影日:7月5日】

 

今回の経営統合により「ザ・モール郡山」への投資が期待されます。西友の苦しい台所事情では新規投資の実施が中々できない状態で、オープン以来大規模な改装や増床は行われいてません。郡山市のど真ん中に立地する貴重な大型商業施設ですから、親会社トライアルとしても相当力を入れると思われるので、大規模改装又は増床が実施されると思います。イオンモール郡山に対抗する意味でも新規投資は必至です。立ち消えとなった幻のシネコン計画も復活するか・・・

 

 

郡山市大町の日の出通りと大町通り交差点に最後まで残った某風俗店跡の解体工事が遂に始まりました。遅々として進まぬ大町再開発事業を象徴する建物でしたが姿を消すことになります。残りは昭和通り交差点側の廃墟ビルだけになりました。この廃墟が最後まで残るとは・・・。

 

 

【撮影日:7月13日】

 

 

郡山市中町の「フロンティア通り」です。早朝の私のウォーキングコースでもあります。此処を通るたびに思うのは、私が夢想する「郡山LRT」が通りを走行する姿です。郡山市レベルの都市なら単線専用軌道での折り返し運行でも十分と思われます。JR郡山駅西口渋滞問題の次にLRT敷設の気運が盛り上がるのを待ちたいと思います。

 

 

【撮影日:7月5日】

 

 

郡山市中町の「なかまち夢通り/中央商店街」が創立70周年を迎えたようです。うすい百貨店1階ショーウインドーにポスターが掲示されています。江戸時代~2000年代初頭までの商店街の様子を見ることができます。江戸時代の郡山宿からの伝統を有する由緒ある商店街です。往年の賑わはありませんが、このままで終わって欲しくありまっせん。地方都市商店街再生の優等生と言われる高松市の丸亀商店街に倣った商店街再生を計ってもらいたのです。商店街が組合を組織し、通り沿いに商業施設を建設、有力テナントを誘致し街中にイオンモール的な専門店街を創るのです。現状のうすい百貨店一店に頼った集客では、2027年以降に襲ってくる黒船に対抗することは難しいと思われます。70年の維持を見せて欲しいです。

 

なかまち夢通り/中央商店街

うすい百貨店1階ショーウインドー

 

【撮影日:7月5日】