おはようございます!
今回は、前回の落穂拾いの続き”旧備前国と旧備中国国境を歩く-後編-”をお届けいたします
⑤ 新幹線の高架橋をくぐると平地が開けてきます。ここに新興住宅が建ち並ぶ中に真南に1本の用水路が走っています。この用水路の名前が「境目川」。かつての国境線なのです。
⑥ 南に歩いて旧国道2号線を渡ると、この辺りから「境目川」の堤脇に所々石柱が立っています。江戸時代、この辺りは備前国久米村・今保(イマボウ)村と備中国延友村の三村の間で境界争いが起き、水争いも絡んだ大騒動が五年に渡って続いたのです。その為、境目川沿いに13ヶ所、計26本の国境石(石柱)が立てられ大切に守られてきたものが今に残っているのです。現在ではその数も減り、僅かに残された大切な文化財に成っているのです。
⑦ 境目川を真南に進むとやがて「足守川」にぶつかります。直ぐ近くにはその名も「引船橋」(写真A)と命名された橋が架かっています。(写真B)
写真A
写真B
当時の雰囲気を伝える物は何も残っていませんが足守川の右岸(南側)にはここに渡船(ワタシブネ)が往来していた事が書かれた案内板が1枚建てられています。
4.さいごに
今回は地元の人でも殆ど知られていない国境線と其の痕跡を紹介しました。車を使うと僅か二時間程度、実際に歩いてみても半日行程で走破できる距離です。時間があれば吉備の中山の山中に分け入り、稜線に沿って歩くと「元宮磐座(イワクラ)」や「奥宮磐座」「天柱岩」「穴観音」等々古より大切に守られてきた多くの遺跡を目にする事ができます。また、眺望も素晴らしくハイキングコースとしても人気が高く多くのハイカーも日々登っています。それに加えて昔の国境の痕跡を訪ねるハイキングは興味深いと思いませんか?是非一度、このルートの走破にチャレンジしてみて下さい。
充足度、100%です。
資料
・境目の石
〒701-1213 岡山県岡山市北区西辛川393−4
・吉備津神社
〒701-1341 岡山県岡山市北区吉備津93
・吉備津彦神社
〒701-1211 岡山県岡山市北区一宮1043
・尾上車山古墳(国史跡指定)
岡山市北区尾上池内
・ギリギリ古墳
古墳を真上から見ると「つむじ」に見えたのか?或いは山裾ギリギリの処に築造された古墳から名付けられたのか?定かではありませんが 実際に歩いてみると後円部はスロープになっていてグルグル回りながら頂上に立つことが出来ます。東京都羽村市には古くから続く螺旋状の「マイマイズ井戸」と呼ばれている井戸が残っています。これは地上から螺旋状に下に降りる斜路があり、それを下る事で底の湧水に辿り着く中世の井戸です。(児玉調)
完
写真・文責 児玉 博文
2編にわたりお届けしてきた今回の落穂拾い
『旧備前国と旧備中国国境を歩く』 いかがでしたか?
今では用水路になっている川がかつての国境線であったり、その痕跡といえる石柱が今も残っており大切に守られていたりと、私たちが暮らしている岡山県の深く長い歴史についてとても興味深い内容でしたね
次回の”UGコラム~落穂拾い~”もお楽しみに
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