近藤健二「日本語の起源(ちくま新書1626 筑摩書房)」を読んで(6) | 気まぐれな梟

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 今日は「なぜオ・スジェなのか」から、K.Will僕が愛すよ」を聞いている。

 

 

(9)「古事記」の神名・地名の語源について

 

 近藤健二「日本語の起源(ちくま新書1626 筑摩書房)」(以下「近藤論文1」という)は「古事記」の天地初発の話から欠史八代の記事までに現れる神名や地名の語源について、以下のようにいう。

 

(a)古事記」は言葉遊びの宝庫

 

 私にとっての「古事記」は言葉遊びの宝庫のような物語、あるいは謎々が満載されたファンタジーです。古事記神話には、言葉をもて遊ぶ上代の時代精神が隠されているように思われます。

 

 この章の目的は、「古事記」の天地初発の話から欠史八代の記事までに現れる神名や地名の語源を明らかにすることです。

 

(b)「古事記」の神の物語は太安万侶が創作した

 

 さて、「古事記」の神の物語は創作されたものです。だから、作者がいます。それは、「古事記」の編集に携わった太安万侶でしょう。作者の安万侶がわけのわからない神名や地名を作ったにちがいありません。

 

 問題は、それをどうやって作ったかです。めちゃくちゃに音を並べたのではなく。何らかの方法にもとづいて名付けをしたはずです。そしてその方法を知っていたら、名前がどういう意味を表すのか、また名前にどういう裏の意味があるのか察しがつくようになっていると考えられます。

 

(c)「古事記」の神名の名付けの基本的原理

 

 では、古事記神話の作者が依りどころにした名付けの基本的原理はいったい何であったのでしょう。私は次のように考えます。

 

①漢語の2字熟語を「名は体を表す」ように配列して、これを融合形にする。いくら長くてもよい。

 

②融合形の中古音にもとづいて名前の音を決める。名前の音は中古音と似ている程度でよい。

 

③名前の音に「体」が露呈しないような漢字をあて、読者の意表を突こうとする。

 

(d)忌部氏の祖だというフトダマ

 

 これを具体例に即して説明します。天孫降臨の話に、ホノニニギ(番能邇邇芸)の同行者として、祭祀に携わった忌部氏の祖だというフトダマ(布刀玉)が出てきますが、このフトダマという名は「忌」にちなんだ次のような成り立ちの名前です。(ここからは、中古音を示します。)

 

フトダマ(布刀玉)

 

フ  怖(phoフ)「おそれる」

ト  懾(tʃiɛp/ʃiɛpセフ)「おそれる」

ダマ 憚(danダン)「はばかる」

 ●怖懾(フショウ)「恐れおののく」

  懾憚(ショウタン)「恐れはばかる]

 

 作者には、中古音のpho-tjiep-danを和語に変えるいくつかの選択肢がありました。フセダ、フセタマ、ホセフダマ、ホトダでもよかったのですが、フトダマに決めて、「布刀玉」という漢字をあてました。この漢字表記からフトダマに込められた意味を探しあてることはできません。

 

 これは、ほかの名前についてもいえることです。

 

 古事記神話の語源探索には空想力が要ります。

 

(10)批判

 

(a)現存「古事記」の編纂経過

 

 大和岩雄の「新版古事記成立考(大和書房)」(以下「大和論文1」という)、同「「古事記」成立の謎を探る(大和書房)」(以下「大和論文2」という)によれば、現存「古事記」の成立過程は、おおむね以下のとおりである。

 

 皇子や皇女の教育用の王家の歴史物語が後宮の内廷で原「古事記」として語られてきたが、内廷と朝廷を掌握した持統天皇が子の草壁皇子が死亡したことで孫の軽皇子を文武天皇として即位させるために、その原「古事記」を修正して「古事記」として公表し、孫への譲位を正当化する論拠とした。

 

 その後、原「古事記」は忘れられていたが、内廷での原「古事記」の編纂に係わっていた多氏の多人長が、その序文や本文の一部の内容に手を加え。先祖の大安麻呂の作と偽って平安時代初めに公表したが、これが現存「古事記」である。

 

(b)古代朝鮮語を駆使した歴史物語の編纂

 

 高寛敏の「倭国王統譜の形成(雄山閣出版)」(以下「高論文」という)によれば、原「古事記」に書かれた王家の歴史物語は、屯倉や部の支配がはじまり王統が確立した六世紀半ばの欽明天皇の時代の始めて編纂され、以降、七世紀初めの蘇我氏の政権によって再編纂され、次に七世紀後半の天武・持統天皇の時代に再度編纂され、おおむね確定した。


 こうした王家の歴史物語の編纂に係わったのは、朝鮮半島南部から渡来した知識人たち、東・西漢氏の史官たちであり、彼らが歴史物語の編纂で駆使したのは、古代朝鮮語であったと考えられる。

 

 そうすると、「古事記」に登場する神名は、古代中国語というよりは古代朝鮮語で読解されるべきものであると考えられ、畑井弘の「天皇と鍛冶王の伝承(現代思潮社)」(以下「畑井論文」という)によれば、意味が分からない古代の神名、人名、地名などは、古代朝鮮語で読解すりことで、そのい意味が把握できるという。

 

(c)淡路島の海民の創世神話の活用

 

 溝口睦子の「王権神話の二元論(吉川弘文館)」(以下「溝口論文」という)によれば、七世紀初めの蘇我氏の政権では王権の祖神はタカミムスヒで、創世神話は、日月や天地を「熔造」したというものであったが、七世紀後半の天武・持統天皇の時代に、王権の祖神はアマテラスに変更され、創世神話も、淡路島の周辺の海民の創世神話を活用して、混沌からの世界誕生と島生みなどの神話が作られた、という。

 

 そうすると、「古事記」の創世神話に出てくる神名は、大和論文1が指摘している「天御中主神」を除いて、淡路島の海民たちが信仰していた神であった可能性が高いと考えられるので、それらの神名はすべて大安麻呂によって創作されたものであるという主張は成り立たないと考えられる。

 

(11)天地初発の神

 

 「天地初めて発けし時に高天原に成りませる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は並びに独神と成りまして、身を隠したまひき。」古事記神話の冒頭は、舞台に現れた登場人物が名前だけを名のって退場するみたいです。

 

 名は体を表すといいますが、神の正体は名前の裏側に隠されています。空想の翼をいっぱいに広げて、それを暴いてみましょう。

 

(a)アメノミナカヌシノカミ

 

アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)

 

ア  安(anアン)「やすらか・やすんずる」

メノ 分(biuənブン)「もちまえ・本分」

i  封(pioŋフウ)「もりつち・領土」

ナ  内(nuəiナイ)「うち・なか]

ヵ  外(ŋuaiグェ)「そと・ほか」

夕  人(nienニン)「ひと」

シノ 臣(ienジン)「おみ・家来」

カミ 宦(ɦuanグェン)「つかさ・役人]

 ◆安分(アンプン)「現在の身分に満足する」

  分封(ブンポウ)「諸侯とする・封建」

  封内(ホウナイ)「領内」

  内外(ナイガイ)「内と外・自国と外国」

  外人(ガイジン)「外国人・よその社会の人・他人」

  人臣(ジンシン)「君主に対する家来・臣下」

  臣官(シンカン)「官吏」

 

 アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)という名は、この神が宇宙のと真ん中に鎮座している最高神のような印象を与えます。しかし私の上の想定が正しければ、この神は上方志向のない平凡な神です。

 

(b)タカミムスヒノカミ

 

タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)

 

夕  財(dzəiザイ)「たから」

カ  貨(huaクッ)「金銭・しなもの」

ミ  物(miuətモツ/モチ)「もの」

ム  繁(biuʌnボン)「しげる・しげし」

ス  殖(ʒiəkジキ)「ふえる・ふやす」

ヒノ 民(mienミン)「たみ・庶民」

カミ 艱(kʌnケン)「かたい・つらさ・なんぎ」

 ◆財貨(ザイカ)「財産としての金銭と物資」

  貨物(カモツ)「宝物・品物・物資」

  物繁(ブツハン)「物が増えること」

  繁殖(ハンショク)「繁り増える・生まれ増える」

  殖民(ショクミン)「新領地への移民」

  民艱(ミンギン)「民の苦しみ」

 

 タカミムスヒノカミ(高御産巣日神)という名は、この神が繁殖を司る位の高い神であるような印象を与えます。実際に、この神は大そうな実力者で、のちに高天原の支配者となるアマテラスオホミカミ(天照大御神)をしのぐほどになります。しかし。この神は物資と金銭を増やすことに熱心です。ちなみに、タカミムスヒノカミは物語の途中からタカギノカミ(高木神)と呼ばれるようになりますが、この名の由来は次のとおりです。

 

(c)タカギノカミ

 

タカギノカミ(高木神)

 

夕  財(dzəiザイ)「たから」

ヵ  貨(huaクッ)「金銭・しなもの」

ギ  貢(kuŋク)「みつぐ・みつぎもの」

ノ  納(nəpノフ)「おさめる・いれる」

カミ 献(hiʌnロン)「たてまつる・さしあげる」

 ◆財貨(ザイカ)「財産としての金銭と物資」

  貨貢(カコウ)「みつぎもの」

  貢納(コウノウ)「みつぎものを納入する」

  納献(ノウケン)「みつぎものを献上する」

 

(d)カムムスヒノカミ

 

カムムスヒノカミ(神産巣日神)

 

カム 喧(hiuʌnコン)「かまびすしい」

ム  繁(biuʌnボン)「しげる・しげし」

ス  浪(siəkソク)「いき・やすむ・むすこ」

ヒノ 民(mienミン)「たみ」

カミ 間(kʌnケン)「あいだ・あいま」

 ◆喧繁(ケンハン)「人がたくさんいてやかましい」

  繁息(ハンソク)「穀物が繁り家畜の子が増える」

  辿、民(ソクミン)「民を休める」

  民間(ミンカン)「一般民衆の中」

 

 カムムスヒノカミ(神産巣日神)という神名にも、二重の意味が認められます。表の意味は「神を次々に生む神」ですが、その裹に「かまびすしい」という意味が隠されでいるようです。カムムスヒノカミは口数の多い気さくな性桁の世話役だったかもしれません。

 

(12)批判

 

 創造神かつ王家の祖神のタカミムスヒは六世紀半ばの王権によって信仰されたが、その際に、古くからの世界樹、かつ神の依り代としての高木神の神格を吸収し、その後、神は夫婦神や兄・妹のペアの神であるという古代日本の伝統によって、タカミムスヒの妻としてカミムスヒが構想されていった。

 

 そして、これらの神は、「古事記」を編纂した後世の人が机上で構想したものではなく、歴史的に形成されたものであり、その神名も、歴史的に形成されたものであったと考えられる。

 

 ここから、近藤論文1が主張する神々の名前には裏の意味があるという主張は成り立たず、それらの神名は中国語の漢字の熟語を積み重ねて創作されたものであったとは言えないと考えられる。

 

(13)別天神

 

 さて、上記の三柱の神が身を隠したあと、高天原に別の神が現れました。本文に、「葦牙の如く萌え謄る物に因りて成りませる神の名は。宇摩志阿斯訶備比古遅神。次に、尺之常立神」と述べられています。私が考えるこれら神名の由来は次のとおりです。

 

(a)ウマシアシカビヒコヂノカミ

 

ウマシアシカビヒコヂノカミ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)

 

ウ  容(yioŋユウ)「かたち・すがた」

マ  貌(mauメウ)「かたち・すがた」

シ  醜(tʃiəuシュ)「みにくい」

ア  悪(akアク)「わるい・いやな」

シカ 食(dʒiəkジキ)「くう・たぺもの」

ビ  品(phiəmホム)「しな・しなものJ

ヒ  評(biʌŋピャウ)「あげつらう」

コ  価(kaケ)「滷たい」

ヂノ 銭(dziɛnゼン)「ぜに」

カミ 貫(kuanクッン)「つらぬく・穴あき銭」

 ◆容貌(ヨウボウ)「顔かたち・姿かたち」

  貌醜(ポウシュウ)「容貌が醜い」

  醜悪(シュウアク)「顏かたちが醜い」

  悪食(アクシ。ク)「まずい食べ物」

  食品(ショクヒン)「食べ物・食糧品」

  品評(ヒンピ。ウ)「品定めをする」

  評価(ヒョウカ)「品ものの値だん・値を決める」

  価銭(カゼン)「値だん」

  銭貫(ゼンカン)「銭を通すひも一銭さし」

 

 ウマシアシカビヒコヂノカミには、「若い芽のような物で忤ったうまそうな食べ物の神」といった意味が感じられます。しかし、これは表面的な意味です。作者がもくろんだ裏の意味は「見た目が悪くてまずい安物の食べ物の神」です。

 

(b)アメノトコタチノカミ

 

アメノトコタチノカミ(天之常立神)

 

ア  夷(yiiイ)「えびす・ひくい・たいらぐ」

メノ 泯(mienミン)「ほろびる」

ト  絶(dziuɛtゼツ/ゼチ)「たえる・たやす」

コ  技(gieギ)「わざ・たくみ」

夕チ 術(dʒiuetジュツ/ズチ)「わざ・すべ」

ノ  能(nəŋ ノウ/ノ)「あたう・よく・よくする」

カミ 官(kuanクフン)「つかさ・役人」

 ◆夷泯(イビン)「亡びる」

  泯絶(ビンゼツ)「亡びる」

  絶技(ゼツギ)「絶妙な技」

  技術(ギジュツ)「うまく行うわざ」

  術能(ジュツノウ)「うまく行う能力」

  能官(ノウカン)「能力のある役人・能吏」

 

 アメノトコタチノカミには、「世界を支える石礫の神」という意味が感じられます。しかし、これは表面的な意味です。作者がもくろんだ裏の意味は、途絶えそうな技術を有する能吏の神」です。

 

 名前に込められた裏の意味があることを忘れてはいけません。作者は読者の裏をかくことに夢中です。

 

(14)批判

 

 前述のように、現存「古事記」や「日本書紀」に書かれた創世神話は、七世紀後半に、淡路島の海民が信仰していたものを採録して加工したものであり、そこに登場する神々の神名は大安麻呂が創作したものではなく、その神名に「裏の意味」があったとは考えられない。

 

 近藤論文1は、現存「古事記」の神々の神名に類似するように古代中国語の上古音で発音した漢字の熟語を組み合わせることで、それらの神名が漢字の熟語を組み合わせて創作されたものであったことを主張するが、それは根拠のない語呂合わせに過ぎない。

 

 近藤論文1は、以降も延々とこうした語呂合わせによって「古事記」の神名などを読み解こうとしているが、それは非常に無残な姿である。