今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「EL Condor Pasa(If I Could)」を聞いている。
(67)推定された先史環日本海諸語の人称代名詞
松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は、先史環日本海諸語の人称代名詞体系について、以下のように言う。
「以上に概略した諸言語の通時的な解釈に基づいて、環日本海諸語の遠い先史時代における人称代名詞の体系を再構してみると、おおよそ」次の表「に示したような形になる」
表 推定された先史環日本海諸語の人称代名詞
1人称単数 2人称単数
先史日本語 *(k)a/*(k)ə/*na *ma
先史朝鮮語 *(k)a?/*na/*nə *ma?
先史アイヌ語 *ku/*en *ma?
先史ギリヤーク語 *ki/*ni *mi
松本論文はこのようにいうが、例えば日本語のように基層言語の上に新層言語が次々と上書きされていった言語では、松本論文がいう「先史」とはいつのことなのかを特定しないと議論は出来ない。
そこで、先史日本語と先史朝鮮語の「先史」を基層言語の時代と読み替えると、それはY染色体DNAハプログループD集団の言語に該当することになるが、朝鮮語の1人称単数と日本語の1人称単数、2人称単数はnaで、朝鮮語の2人称単数はnəとなる。
松本論文が例示している先史日本語や先史朝鮮語の*(k)aはオーストロネシア人の渡来・拡散に伴って波及したオーストロネシア諸語に起源するものであり、先史日本語の*(k)əが基層言語に存在した根拠はない。
また、先史日本語の2人称単数の*maも同じくオーストロネシア諸語に起源するものであり、先史朝鮮語の1人称単数の*nəは2人称単数であり、松本論文が例示している先史朝鮮語の2人称単数の*maが基層言語に存在した根拠はない。
アイヌ語の2人称単数はeであり、松本論文が例示している先史アイヌ語の*maは、松本論文が?を付けているように存在した根拠がない。
ギリヤーク語の1人称単数はniであり、*kiが存在した根拠はなく、同じく2人称単数はciであり、松本論文が例示している先史ギリヤーク語の*miは存在した根拠がない。
しかし、松本論文は、この表に例示された人称代名詞が先史時代に存在したということを「根拠」として、「この表で示されたように、環日本海諸語のI人称代名詞には、古くはアイヌ語だけでなくすべての言語で、沿岸型代名詞に本来的なk-形とn-形が共存していたと考えられる」というが、例えば、先史日本語の*naが基層言語のもので*(k)aが新層言語のものであったように、k-形とn-形はその起源を異にしていて、両者は時間差で「共存」するようになったものであり、また、そうした「共存」は、先史日本語と先史朝鮮語に限られると考えられる。
松諸論文がこのように存在していなかった人称代名詞が実在したかのようにいうのは、以下のような「環日本海諸語のそれぞれの人称代名詞体系で起こったと推定される通時的な諸変化」を考えているからである。
(1)日本語で起こったと推定される人称代名詞の変化。
1.1人称代名詞の語頭子音k-の消失:* ka/*kə>a/ə。
2.1人称代名詞na[re]、o[re]の2人称への転用。
3.本来の2人称代名詞*ma (=[i]ma-si)の消失。
(2)朝鮮語で起こったと推定される人称代名詞の変化。
1.1人称代名詞の母音交替による形態分化:na~nə(日本語の*[k]a~*[k]əと同じ現象)。
2.1人称代名詞(の分化形)nəの2人称への転用。
3.本来の2人称代名詞(*ma?)の消失。
(3)アイヌ語で起こったと推定される人称代名詞の変化。
1.本来の包括人称*ti (=ci)の1・2人称複数形への転用。
2.1人称代名詞enの2人称への転用と語末子音-nの消失(en>e)。
3.不定代名詞[a[n]/i)の包括人称への用法拡張。
(4)ギリヤーク語で起こったと推定される人称代名詞の変化。
1,本来の包括人称*ti (=ci)の2人称への転用。
2.2人称代名詞*miと1人称代名詞*kiの合成による新しい包括人称*mi-kiの創出。
3.本来の2人称代名詞*miの消失。
このように松本論文は主張するが、松本論文がいう「1人称代名詞の2人称への転用」について、崎山理の「日本語「形成」論(三省堂)」(以下「崎山論文」という)は、「人称代名詞では、もともと無人称的な3人称が1・2人称に転用されるということが一般的に発生するけれどもその逆は起りにくい」として否定している。
そして、崎山論文が指摘するように「1人称代名詞の2人称への転用」がなく、それと同様の理由で、「本来の包括人称の1人称や2人称への転用」もなかったとすると、松本論文の「推定」は、その根拠のすべてを失うことになる。
なお、松本論文は、「単に音韻レベルの現象を除けば、これらの変化はいずれも、2人称の呼称をめぐりまたそれとの関連でひき起こされた」もので、「2人称(=相手)をどう呼びどう遇するか、ここに待遇法の原点がある」というが、社会が複雑化する過程で、「2人称の呼称をめぐりまたそれとの関連」して、「2人称(=相手)をどう呼びどう遇するか」ということが問題になり、「ここに待遇法の原点がある」ということはそのとおりであるが、それと、「1人称代名詞の2人称への転用」や「本来の包括人称の1人称や2人称への転用」が存在したということは、別問題である。
また、松本論文は、「環日本海諸語の1人称代名詞には、古くはアイヌ語だけでなくすべての言語で、沿岸型代名詞に本来的なk-形とn-形が共存していた」というが、そのk-形とn-形の存在を自明のこととして、それらがどのような言語に起源するのか、また、それらがどのような言語集団に起源するのかについては検討していない。
しかし、松本論文がいう人称代名詞のk-形とn-形とは、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)が指摘するように、具格接辞の*gaに起源するもので、その*gaがkaとなった新しい言語とnaとなった古い言語があり、両者が時間差で日本列島や朝鮮半島に流入してきたために、朝鮮語や日本語の人称代名詞の体系にk-形とn-形が併存し、朝鮮半島ではn-形が残存し、日本列島ではk-形が残存したのだと考えられる。
このk-形の人称代名詞の体系を日本列島に持ち込んだのはオーストトロネシア人であるので、崎山論文が指摘しているように、日本語へのオーストロネシア諸語の影響は非常に大きかったと考えられる。
以上から、松本論文の「先史環日本海言語圏の人称代名詞」の推定には従えない。