「人類祖語」の再構成の試みについて(104) | 気まぐれな梟

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 今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「Song For The Asking」を聞いている。

 

 アイヌ人とアイヌ語の形成について、崎谷満の「新北海道史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文2」という)は、以下のように言う。

 

(65)アイヌ語と日本語の関係

 

(g)綜合語

 

 峰岸真琴の「類型論から見た文法理論」によれば、「古典的言語類型論では,形態論上の「語構成」という特徴に基づいて,諸言語を「屈折語」,「膠着語」,「孤立語」の3つに分類している」が、屈折語の「語は独立性が強く,一定の文法範疇に応じて語幹と接辞とによる屈折を行うが,両者の接合が緊密で,いわば融合して」おり.膠着語の「語は語幹と接辞からなり,接辞の機能が屈折語のように範疇の累積をなさず,概して単一の範疇を示す.両者の接合は弱く,膠でつけたようであ」り、孤立語の「語は語形変化をせず,いわば語根がそのまま語として用いられる」

 

 そして、「この分類の特徴として,語形態を二段階の基準により分類している」が、その「第一の基準は,語構成において,語がより小さな単位に分類できるかどうかであ」り、「この基準によって,言語はまず語幹と接辞からなる屈折語および膠着語と, 語根のみからなる孤立語との二つに分類される」

 

 「第二の基準は,語の意味内容を担う語幹と,文法機能を担う接辞とが,どのように結びつくかであ」り、「両者の接合が弱いものが膠着語,接合が緊密なものが屈折語である」

 

 崎谷論文がいう「綜合語とは「統合語」ともいい、こうした形態上の語構成による言語類型とは異なった基準、つまり「統合の指標」に元ずく分類であるが、この「総合の指標」とは1語を構成する形態素の数にもとづく指標であり、動詞が多数の形態素から形成される言語をいう。

 

 「綜合語」には、単なる人称接辞などではなく、それ自体で意味を持つ多数の語彙的形態素(たとえば、目的語、手段を表す語、副詞など)が動詞に複合される言語、すなわち動詞が「抱合」により新たな語幹を形成する(多くの場合は意味がやや変化する)言語がある。

 

 つまり、「綜合語」とは、主要部標示言語を前提として誕生した言語であると考えられる。

 

 アイヌ語の動詞句では,主要部である動詞(述語)に主格だけでなく目的格の人称辞を含む多くの構成要素が接辞されて大きな述語を形成するので、アイヌ語は「綜合語」である。

 

 「「人類祖語」の再構成の試みについて(103)」では、動詞に接辞を付加する構文から名詞に接辞を付加する構文が誕生したと、以下のように述べた。

 

 主語と目的語の関係を動詞の接辞で表わしていた言語が、それでは主語と目的語の関係を表せない場合に、主語に能格接辞を付加して格標示するようになったとすると、その後、そうした主語への格標示が一般化して、どんな構文でも主語の名詞に接辞の付加による格標示がなされるようになり、さらにその後、そうした格標示が主語だけではなく目的語にも拡大していったと考えられる。

 

 そして、主語や目的語への接辞の付加による格標示は、動詞への接辞の付加による格標示としばらく併行していたが、その後、動詞への接辞の付加による格標示は衰退していき、動詞には数や時制などの接辞が残存していったと考えられる。

 

 そうすると、アイヌ語のような動詞に接辞などを沢山付加していく「綜合語」が、古い言語の形であったと考えられる。

 

(h)古い言語である「綜合語」

 

 例えばアイヌ語の

usa-oruspe a-e-yay-ko-tuyma-si-ram-suy-pa

は単語としては2つであるが、各形態素を直訳すれば

いろいろ-うわさ 私(主語)-について-自分-で-遠く-自分の-心-揺らす-反復となり、意訳すれば「いろいろのうわさについて、私は遠く自分の心を揺らし続ける=思いをめぐらす」という意味になる。

 

 2番目の動詞は語幹suy(揺らす)に様々なものがついて形成されており、このうちa(1人称)、e(について)、yay(自分)、ko(で)、si(自分の)、pa(反復)は文法的機能しか持たない接辞であるが、tuyma(遠く)とram(心)はそれ自体で意味を持つ副詞および名詞であって、これらが動詞に加わって「思いめぐらす」という意味の新たな動詞語幹を形成している。

 

 そして、そうした「綜合語」が発展すると、接辞などだけではなく、名詞も付加して新しい動詞を形成する「名詞の抱合(NI)」を行う「綜合語」が誕生したと考えられる。

 

 これは、動詞から名詞が派生した「動名詞」やそうした動名詞で動詞句全体が名詞となったような場合と類似する変化であったと考えられる。

 

 シベリアのチュクチ語の Təmeyŋəlevtpəγtərkən. は1語であるが、分解すると

t-ə-meyŋ-ə-levt-pəγt-ə-rkən1人称単数主語-大きな-頭-痛み-1人称現在

「私はひどい頭痛がする」というようになり、3個の語彙的形態素(meyŋ「大きな」、levt「頭」、pəγt「痛み」)を含む。

 

 また、"t-ə-pela-rkən qora-nə"という句は「私はトナカイを置いていく」を意味し、2単語(1人称単数現在の動詞と名詞)からなるが、同じことが1単語"t-ə-qora-pela-rkən"でも表現でき、ここでは語根"qora"「トナカイ」が動詞の中に抱合されている。

 

 そうすると、チュクチ語の例は、本来は1単語であった"t-ə-qora-pela-rkən"が"t-ə-pela-rkən qora-nə"という2単語に分割されたことを示しており、このように、古い「綜合語」は次第にそれを構成する形態素に分割されていったのだと考えられる。

 

 そして、そうした「綜合語」の分割が進行したのは、言語とその構文で表現する情報量が増大していったために、そうした増大した情報量を表現するためには「綜合語」という形式が邪魔になってきたから、つまり、「綜合語」の形態素を分解することで、より長い構文や、より自由な形態素の組み合わせの構文が可能となったからであったと考えられる。

 

 現在、アイヌ語のような「綜合語」が残存しているのは、シベリアのチュクチ・カムチャッカ諸語や北アメリカのエスキモー・アレウト諸語、ナデネ言語集団などだけであり、それ以外のアメリカ大陸の先住民の言語やカフカス諸語、バスク語などには、その痕跡が残るだけである。

 

 また、こうした「綜合語」」の痕跡は、他の言語にもあり、たとえば英語では、手段+動詞からなる抱合や、直接目的語+動詞からなる抱合がみられ、また"understand"は語源的には副詞+動詞である(この造語法ラテン語やドイツ語などインド・ヨーロッパ諸語に多くみられる)。

 

 膠着語とされる日本語でも「横切る」「よみがえる(黄泉から帰る意)」など複合的動詞の例があり、動詞に多数の接辞がつく(綜合的な)ものもあ」り、「行か-せ-られ-ませ-ん-でし-た」には多くの接辞が含まれる。

 

 ただし日本語では述語が人称などを明示しないので、一般には文に相当する意味を表現できるわけではないので、あくまで「綜合語」の痕跡に留まっている。

 

 このように、膠着語の日本語と「綜合語」のアイヌ語の違いは、言語の構文の新旧の違いであると考えられる。

 

(i)新しい言語と古い言語

 

 これまで見てきたように日本語とアイヌ語の違いは、新しい言語であるアイヌ語と古い言語であるアイヌ語の違いであったと考えられる。

 

 例えば、アイヌ語に時制がなく日本語に時制があること、アイヌ語では状態の自動詞から形容詞が分離していないが日本語には独立の形容詞があること、アイヌ語では状態の動詞は静的にある状態と動的に推移する状態を区別しないが、日本語では静的状態と動的状態を区別することなどは、そうしたアイヌ語のような特徴が発展・分化して日本語の特徴となったと考えれば、アイヌ語が古い言語で日本語が新しい言語であるということの根拠となる。

 

 また、アイヌ語では名詞に人称辞が付加されるが、日本語では名詞に人称辞は付加されないということや、アイヌ語では不分離所有形と分離所有形を区別するが、日本語には不分離所有形を欠くというのも、アイヌ語の方が古い言語の特徴であり、日本語の方が新しい言語の特徴を示していると考えられる。

 

 しかし、日本人の基層が現生人類の第1派の移動に起源するY染色体DNAハプログループDの集団であったとすると、それはアイヌ人の基層の現生人類の第2派の移動に起源するY染色体DNAハプログループC3の集団よるも古い集団であったので、日本人の基層集団であるDの集団の言語は、アイヌ人の基層集団であるC3の集団の言語よりも、本来は古い言語であったと考えられ、その古い言語では「主要部標示言語」であり「綜合語」であったと考えられる。

 

 そうすると、こうした日本人の基層の古い言語が、現在の新しい言語になっていったのは、日本列島に渡来・流入してきた様々な言語の影響であったと考えられる。

 

 例えば、Y染色体DNAハプログループのNOそしてNやOの拡散を現生人類の第3派の移動・拡散とすれば、そうした現生人類の第3派の移動・拡散の末端の波が日本列島に波及すると、それに伴って日本列島に流入した新しい言語がそれまでの基層言語を変えていったと考えられるが、それは、具体的には、Y染色体DNAハプログループO1aの集団の渡来・拡散に伴うオーストロネシア諸語の流入であったと考えられる。

 

(66)アイヌ語と日本語は違う言語

 

 これまで見てきたように、シベリア系のアイヌ人と華北に起源する日本人とはその系統を異にする人間集団であり、アイヌ語と日本語の関係は、古い言語の特徴を保持しているアイヌ語に対して古い言語に新しい言語が上書きされた日本語は、一般的な言語の進化・発展の傾向からすれば新しい傾向と古い傾向で連続してはいる特徴もあるが、たとえば人称接辞や人称委代名詞の体系などを見ると、Y染色体DNAハプログループC3の集団の言語であるアイヌ語の基層言語とY染色体DNAハプログループD2の集団の言語である日本語の基層言語との相違も大きく、人称接辞や人称委代名詞の体系がアイヌ語と共通するのが、アメリカ大陸の「非太平洋沿岸原言語圏」の言語であるナデネ言語集団の言語であることからも、アイヌ語と日本語を、松本克巳の「世界言語のなかの日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)がいうような「環日本海言語圏」の言語として一括することは出来ないと考えられる。

 

 ここまで見てきたように、松本論文が「太平洋沿岸言語圏」に含まれるという、ギリヤーク語、アイヌ語、日本語、朝鮮語の「環日本海言語圏」の人称代名詞や人称接辞の体系の特徴は、日本語、朝鮮語のそれの基層が、Y染色体DNAハプログループD集団に起源し、アイヌ語のそれが、Y染色体DNAハプログループC3集団に起源していたと考えられる。

 

 そして、日本語のそれの新層や朝鮮語のそれに痕跡を残した特徴は、Y染色体DNAハプログループO1aやO2b集団の言語に起源していたと考えられる。

 

 そこで、ギリヤーク語の人称接辞や人称代名詞について、検討する。

 

(67)ギリヤーク語

 

 ギリヤーク人はニブフ人ともいい、サハリン島とその対岸のアムル川河口から下流部に居住しているが、ツングース人が進出する前には、東シベリアやアム-ル川流域の広範囲に分布していたとされる。

 

 ギリヤーク人のY染色体DNAハプログループの構成は、基層集団のQに新層集団のC3やN1cが重なっていると考えられる。

 

 松本論文は、ギリヤーク語の人称接辞や人称代名詞について、1人称単数をni、2人称単数をciと例示してて、以下のようにいう。

 

 「ギリヤーク語の人称代名詞も、沿岸型代名詞の本来の姿がそのまま維持されているのは、どうやら1人称のniだけであ」り、「それ以外では、かなりの変容が生じたと見られるが、その通時的な解釈がなかなか難しい」

 

 しかし、高橋盛孝の「樺太ギリヤク語(朝日新聞社)」(以下「高橋論文」という)によれば、ギリヤーク語の人称代名詞の体系は、以下のとおりである。

 

         主格    対格   主格   対格

1人称 単数 ni  nex       na型   na型

     複数  nin   ningax  

2人称 単数  tsi   tex    ti型   tsi型

     複数  tsin  tintox

 

これを近隣の言語と比較すると

 

エスキモー・アレウト諸語

 1人称単数 主格  na

 2人称単数 主格   ti

 1人称単数 目的格 ma

 

ツングース諸語

 1人称単数 主格  na

 2人称単数 主格   ti

 1人称単数 目的格 ma

 

となるが、両者の1人称単数主格のnaは両者の基層のY染色体ハプログループQ集団の言語の

 

 1人称単数 主格  na

 2人称単数 主格   ma

 1人称単数 目的格 ti

 

のnaに影響されたものであり、この両者と同じように、Y染色体ハプログループQ集団の基層の上にY染色体ハプログループC3集団やN1c集団が上書きされたギリヤーク人の言語の人称接辞や人称代名詞の体系は、1人称単数主格がna型、2人称単数主格がti型となっているが、これは、エスキモー・アレウト人やツングース人とギリヤーク人の基層が同じY染色体ハプログループQ集団であったことを反映していると考えられる。

 

 しかし、そうではあっても、エスキモー・アレウト諸語やツングース諸語とギリヤーク語の人称接辞や人称代名詞の体系を比較すると、1人称単数の対格(目的格)が、前二者はmaなのにギリヤーク語ではnaとなっていて、異なっている。

 

 人称接辞と人称代名詞の体系で1人称単数の主格がna型でその目的格もna型であるのは、Y染色体ハプログループD集団を基層とするチベット・ビルマ語があるが、シベリアの古層の言語も同様に1人称単数の対格(目的格)がna型であったと考えられる。

 

 松本論文は、ギリヤーク語の人称接辞と人称代名詞の体系について、「まず2人称(単数)の代名詞を見ると、ここにciという形が出てくる」が、「ciの発音は、アイヌ語同様、[tsi]で、その本来の音形は/ti/だったと見てよい]ので、「この代名詞は、アイヌ語のそれと同じく、元もと包括人称であったと見てよい」という。

 

 しかし、前述のように、ギリヤーク語の2人称単数の主格のciまたはtsiは、エスキモー・アレウト諸語やツングース諸語の2人称単数の主格のtiと共通であり、それを「包括人称」からの転用であるという松本論文の主張には従えない。

 

 松本論文は、「ギリヤーク語で現在の包括人称の形」は、「アムール方言でmegi、北部樺太方言でmemak、東部樺太方言でmeŋのような形となっていて、方言間の対応もかなり不安定であ」り、「その形から明らかに複合語的な形成と見られる」が,「の複合形式は、おそらく、2人称(*mi/*me)と1人称(*ki/*ke)の合成によって新たに作り直された包括人称形」であるという。  

 

 そして、「ギリヤーク語の包括人称に対するこのような解釈が受け入れられるならば、ギリヤーク語も古くは1人称代名詞に*niと並んで*kiというような形を持ち、さらにその2人称は*mi/*meというような形をとっていたという推定が導かれるだろう」という。

 

 しかし、松本論文のこうした「推定」は、ギリヤーク語の包括人称は、「2人称(*mi/*me)と1人称(*ki/*ke)の合成によって新たに作り直された」ものであるという仮定を「根拠」としているものであるが、高橋論文によれば、ギリヤーク語の2人称単数の主格はtsiであり、miやmeなどではない。

 

 だから、ギリヤーク語の2人称単数の主格がかつてmiやmeであったという松本論文の主張には従えない。

 

 そして、ギリヤーク語はアイヌ語とも日本語や朝鮮語とも異なり、ツングース語やエスキモー・アレウト語などのシベリアの言語との共通性がより強い言語であり、松本論文がいう「太平洋沿岸言語圏」や「環日本海言語圏」の諸言語とは異なった、いわば大陸性の言語であったと考えられる。