「人類祖語」の再構成の試みについて(90) | 気まぐれな梟

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 今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「Homeward Bound」を聞いている。

 

(36)アルゴンキン諸語とイロコイ・カド諸語、スー諸語、マスコギ諸語

 

 アルゴンキン諸語は五大湖を中心としてカナダ北部と東海岸沿岸北部、リキー山脈の西側に分布していて、大きく大平原・中央・東部の3語群に分けられ、さらに27ほどの言語(それぞれ多くの方言を含む)に分けられているという。

 

 また、イロコイ・カド諸語は五大湖の東北部に分布しており、スー諸語はアメリカ中央の北部からロッキー山脈山麓の東北部に分布している。

 

 マスコギ諸語は、ミシシピ川下流の東のアメリカ東南部に分布している。

 

 ピーター・ベルウッドの「農耕起源の人類史(京都大学学術出版界)」(以下「ベルウッド論文」という)によれば、北アメリカのオハイオ州の峡谷部、ミシシッピ川の隣接する地域を中心としたイースタン・ウッドランドで中米や南米とは別個に起こった種子植物の栽培化による農耕の開始に基づく初期ウッドランド文化に関わる、初期アルゴンキン語族、初期イロコイ語族、初期スー語族は、図10-13「イースタン・ウッドランドにおける語族の故地の再建」が示すように、ウッドランドでそれぞれ隣接して居住していたが、農耕の拡散に伴って、初期アルゴンキン語族は五大湖の北のカナダ東部へ、初期イロコイ語族は五大湖の東北部へ、初期スー語族はロッキー山脈山麓の東北部へと、それぞれ放射状に拡散していった、という。

 

 また、マスコギ諸語は、イースタン・ウッドランドの南側にいて、中米からトウモロコシの農耕が伝播した後に、それを伴ってアメリカ東南部とカリブ海沿岸に拡散した、という。

 

 これらの語族の関係について、ベルウッド論文は、カド語族、スー語族、イロコイ語族とのあいだとアルゴンキン語族、マスコギ語族のあいだのそれぞれで、遠い系統関係が想定されているという。

 

 また、松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)が人称代名詞システムを例示しているのは、これらの諸語のうち、アルゴンキン諸語、イロコイ・カド諸語、スー諸語の三つである。

 

 松本論文の例示によれば、アルゴンキン諸語の人称代名詞の祖語体系は、1人称が*ni、2人称が*kiであり、イロコイ・カド諸語の人称代名詞の祖語体系は、1人称が*k-、2人称が*n-であり、スー諸語の人称代名詞の祖語体系は、1人称が*w/m、2人称が*y/d-である。

 

 このうち、スー諸語の1人称単数の人称代名詞の*w/mの*wは、具格接辞*gaがga→ya→waというように音変化したもので、スー諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はkaであったと考えられる。

 

 イロコイ・カド諸語の1人称単数の人称代名詞はk-なので、その基本形はkaであったと考えられるが、アルゴンキン諸語の1人称単数の人称代名詞はniなので、その基本形はnaということになる。

 

 崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によれば、ナデネ言語集団のY染色体DNAハブログループはC3であり、松本論文によればナデネ言語集団のアサバスカ諸語の1人称単数の人称代名詞はka型なので、Y染色体DNAハブログループC3の集団の言語の1人称単数の人称代名詞はka型であると考えられる。

 

 崎谷論文によれば、アルゴンキン語族のシャイアン族のY染色体DNAハブログループの構成は、C15.9%,Q61.4%,R15.9%となっており、Rがヨーロッパ人の入植者との混血の結果であるとすると、CはC3でナデネ言語集団との混血の結果であったと考えられるが、ユート・アステカ語族の南部語派のソノラ語群のピーマ族のY染色体DNAハブログループの構成は、Q87.5%,R12.5%となっており、Rがヨーロッパ人の入植者との混血の結果であるとすると、それ以外のすべてがQで、C3に相当するCは存在していないので、アルゴンキン語族のシャイアン族のY染色体DNAハブログループにC3があるということは、南下してきたアサバスカ系集団のナバホ族やアパッチ族と隣接居住していたはずのユート・アステカ語族のピーマ族やプエブロ集団がY染色体DNAハブログループC3を持っていないことからも、単なる隣接して居住していたことだけでは、こうしたY染色体DNAハブログループC3が存在することはなかったと考えられる。

 

 そして、ベルウッド論文が指摘するように、北アメリカ大陸中・東部からの農耕拡散に係わる、カド語族、スー語族、イロコイ語族が遠く系統関係を有し、アルゴンキン語族、マスコギ語族も同様に遠く系統関係を有していたならば、カド語族、スー語族、イロコイ語族はナデネ言語集団が南下したその分派に起源した集団でありその集団との長期間の隣接関係による混血によって、アルゴンキン語族にY染色体DNAハブログループC3が存在するようになったと考えると、アルゴンキン語族にY染色体DNAハブログループC3が存在することと彼らの1人称単数の人称代名詞が、アメリンド言語集団のnaであることが、矛盾なく説明できる。

 

 また、そうすると、そこから、1人称単数の人称代名詞がナデネ言語集団のkaであるカド語族、スー語族、イロコイ語族のY染色体DNAハブログループはC3である、またはC3を多く含むということが推定できる。

 

 ここから、北アメリカ大陸の北西部にいたナデネ言語集団は、アメリカ大陸南西部のナバホ族やアパッチ族の他にも、遠い昔にアメリカ大陸の五大湖の南部にも南下してカド語族、スー語族、イロコイ語族を形成していったと考えられる。

 

 さらに、これらから、松本論文がいう、「アメリカ大陸で人称代名詞が沿岸型には属さないと見られる主な語族」のうち、北アメリカ大陸に分布している言語は、エスキモー・アリュート語族とナデネ言語集団のアサバスカ語族のほかのアメリンド言語集団では、「東部森林地帯に拡がったアルゴンキン諸語とイロコイ諸語、ロッキー山脈東麓の大平原に分布していたカド諸語とスー諸語、合衆国南東部からメキシコ湾岸部を占めていたマスコギ諸語」であるが、これらは皆、アメリンド言語集団のなかでナデネ言語集団の影響を強く受けた言語集団であったと考えられる。

 

 つまり、このことは、北アメリカについていえば、エスキモー・アリュート諸語の1人称単数の人称代名詞がka型になったのがナデネ言語集団の影響であったことからも、松本論文がいう、「先住民言語から見たアメリカ大陸は北と南ではなく、西の太平洋側と東の大西洋側に大きく二分される」という東側の「非沿岸型言語圏」の人称代名詞の特徴とは、ナデネ言語集団の影響がもたらしたものであり、ナデネ言語集団の影響こそが北アメリカ大陸の言語を「西の太平洋側と東の大西洋側に大きく二分」していたのであると考えられる。

 

(37)中米の諸言語集団の故地

 

 ベルウッド論文は、中央アメリカ、メソアメリカの言語集団の故地について、以下のようにいう。

 中央アメリカの祖語は「すべて農耕を基盤として」おり、「オトマング語族(オアハカ州のミステク語とサポテク語を含むおおきな言語グループ)、メキシコのチアパス州とグァテマラ、ユカタン半島のマヤ語族、テワンテペク地峡のミヘ・ソケ語族」、そして「ユート・アステック語族」の「四語族だけをみればよい」

 

 このうち、オトマング語族の故地は「紀元前四〇〇〇年頃のメキシコ峡谷とオアハカ州のあいだ」とされており、初期のオトマング諸語は、ここから「メキシコ中央部におけるトウモロコシ農耕のはじまりとともにひろがった」が、「この過程にかかわるのはオトマング集団だけではな」く、「そのすぐ東にはずっと長い問その区域を制限されていた」「メソアメリカのオルメカ文化の起源と密接にむすびつ」いた「ミヘ・ソケ語話者がいた」

 

 「ミヘ・ソケ語族とユート・アステック語族」は、「その初期の段階でかつておそらくはメキシコ中央部のどこかで隣接していた」

 

 「紀元前二〇〇〇年頃のメキシコのチアパス州、もしくはグァテマラの高地にマヤ語族の起源がある」

 

 なお、中央アメリカ東部から南アメリカ北部に拡散したチブチャ語族の「祖語にはトウモロコシとマニオクにあたる語があり、紀元前三〇〇〇年頃のコスタリカかパナマにその故地がある」

これらの中央アメリカの「主要なすべての柤語がある程度接触していたか、あるいはかなり大規模な地域的拡散によって特徴づけられる一つの地域に少なくとも一時期存在した」と考えられ、それらの祖語の「原メソアメリカ語が話されていた頃にはじまりつつあった植物の栽培化は、大規模な人口増加をひきおこし」、「この人口増加によって、これらの言語を今日特徴づける多様化がおこった」と考えられる。

 

 ベルウッド論文は、図10-11「メソアメリカにおける言語の故地の再建」において、では、中央アメリカの西の内陸に初期のユート・アステック語族の故地があり、その東の太平洋岸に、西から初期のオトマンゲ語族、初期のミへ・ソケ語族、初期のマヤ語族の故地があり、小規模な言語の分布を挟んでそれら東のパナマ地峡に初期のチブチャ語族の故地があったと推定されている。

 

 こうしたベルウッド論文によるこれらの語族の故地の推定から、これらの語族は、アメリカ大陸の西海岸を南下した現世人類の第1派の移動集団の後裔であったと考えられる。

 

 崎谷論文によれば、中央アメリカの集団のY染色体DNAハブログループの構成は、オトマンゲ語族のザボテック族が、Q75.0%、R6.3%、マヤ語族のマヤ族が、Q87.3%、R12.7%であり、これらのRを入植したヨーロッパ人との混血によるものであるとすれば、これらの集団は、現生人類のアメリカ大陸への第1派の移動集団のY染色体DNAハブログループQを引き継いでいるのである。

 

 なお、松本論文は、、オトマンゲ諸語については、「中米の「オトマング」と呼ばれる語族は、その内部の言語構成が複雑多岐にわたるために、現状では、人称代名詞の祖体系の再構は断念せざるを得ない」として例示しておらず、チブチャ語は南アメリカの言語で検討している。

 

(38)ミへ・ソケ諸語

 

 松本論文によれば、ミヘ・ソケ諸語はメキシコ南部の太平洋に面したオアハカ州からカリブ海のメキシコ湾岸にかけて分布する現状では比較的小規模な語族であるが、かつてメソアメリカ最古のオルメカ文化(1,200BC~300BC)を創始したのはおそらくこの語族である」という。

 

 松本論文の例示によると、ミへ・ソケ諸語の1人称単数の人称代名詞は、トトンテベック語が?ac、サユラ・ポポルカ語がi:c、コパナイラ語がis、フランシスコ・レオン語がihciである。

 

 また、松本論文の例示によると、ミへ・ソケ諸語の2人称単数の人称代名詞は、トトンテベック語がmic、サユラ・ポポルカ語がmi:c、コパナイラ語がmis、フランシスコ・レオン語がmihciである。

 

  この、両者を比較してみると、ミへ・ソケ諸語の2人称単数の人称代名詞の語形は、その1人称単数の人称代名詞の語形にmを付加したものであることが分かるが、フランシスコ・レオン語のihciやmihciの-ih-がiの音変化したものあり、サユラ・ポポルカ語がi:cのcがコパナイラ語のisが音変化したものであり、コパナイラ語のisがフランシスコ・レオン語のihciの音変化前のiciのiが脱落したものであったとすると、ミへ・ソケ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はiciであったと考えられ、2人称単数の人称代名詞の語形を参考にすると、このiciの前には何かの子音は省略されていると考えられる。

 

 そこで、ミへ・ソケ諸語の人称接辞を検討すると、松本論文が例示している絶対格と所有格の1人称単数の人称接辞はトトンテベック語の絶対格が-、所有格がn-、サユラ・ポポルカ語の絶対格がti、所有格がtin-、コパナイラ語の絶対格が-ih、所有格がn-、フランシスコ・レオン語の絶対格が-、所有格がinであるので、ti→i-→-という音変化を想定すると、それらの基本形は、絶対格がti、所有格がtinであると考えられるが、その後ろにnが付加されたものが所有格の語形であったとすると、所有格の基本形はtin-となる。

 

 近藤論文が指摘するように、人称代名詞がゼロ標識の人称接辞+存在動詞+連用形接辞から構成された副詞句に起源するならば、例えば古典マヤ語のようにメソアメリカの諸言語には存在動詞がなかったとすれば、所有格の人称接辞がその代わりであったと考えられる。

 

 そうすると、ミへ・ソケ諸語の人称代名詞もその人称接辞の所有格に起源していたとすると、ミへ・ソケ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形icihは、本来はその前にtが、後ろにnが付いているticinであり、これは、具格接辞のnaの前に同じく具格接辞のtiを二つ重ねた語形に起源していたと考えられる。

 

 それを参考にすると、例えば、フランシスコ・レオン語の2人称単数の人称接辞の所有格がminは、具格接辞のma+ti+naであったと考えられる。

 

 以上から、ミへ・ソケ諸語の1人称単数の人称代名詞の祖形はna型であったと考えられる。

 

 しかし、松本論文は、ミへ・ソケ諸語の1人称単数の人称代名詞の祖型を*kic、2人称単数の人称代名詞の祖型を*micとして、以下のようにいう。

 

 「まず独立代名詞から見ていくと、1人称は、頭子音がゼロまたは声門閉鎖音で現れるけれども、祖語形で示されたように、この場合もk-を持つ1人称形に遡ると見てよい」

 

 「次に、ミヘ・ソケ諸語の動詞の人称標示は「一体・多項型」と呼ばれるタイプで、他動詞の場合、主語人称と目的語人称が一体となって標示され、それぞれを分離して取り出すことができない」ので、「ここでは便宜上、自動詞に現れる(主語)人称と名詞に接する所有接辞を示す」と、「自動詞に現れる1人称の接辞は、多くの言語でゼロ子音('-)で現れ、これはおそらく古い*kー形に遡る形であ」るが、「それに対して、名詞に接する所有接辞は、ほぼ一様にn-形となっている」

 

 このように、松本論文は、ミへ・ソケ諸語の人称接辞で、例えばトトンテベック語やフランシスコ・レオン語の絶対格が-はk-が消失したものであったというが、サユラ・ポポルカ語の絶対格がtiであることから、この「ゼロ子音('-)」はtiが消失したものであったと考えられる。

 

 また、松本論文は、「一部の言語(表ではポポルカ語)で、1人称にti-/tin-という孤立した形が現れている」というが、このtiは他の言語で消失したtiが残存しているのであって、「孤立」しているわけではない。

 

(39)マヤ諸語

 

 マヤ諸語について、松本論文は以下のようにいう。

 

 「マヤ諸語は、メキシコのユカタン半島からグァテマラにかけて分布」するが、「これらの言語は、通常、地理的に孤立したメキシコ湾岸のワステック語を別にして、ユカタン半島を中心とする「低地語群」とグアテマラ高地を中心とする「高地語群」に分けられ」、また「その内部がさらにいくつかの小語群に分類されている」

 

 「マヤ諸語の人称接辞は、A類とB類と呼ばれる2つの類に分かれる」が、「A類の人称接辞は、他動詞に接して主語(=動作主)人称、名詞に接して所有人称を表し」、「B類は、他動詞に接して目的語人称、自動詞に接してその主語人称を表す」ので、「マヤ諸語の人称標示は、典型的な能格型のタイプに属している」

 

 こうした松本論文の指摘から、マヤ諸語の人称接辞A類は能格、同B類は絶対格であることがわかる。

 

 松本論文の例示によると、マヤ諸語の1人称単数の人称代名詞は、ワステック語がnana、ユカテック語がten、ツェンタル語がho?on、マム語がna?yen、キチェ語がinである。

 

 また、同じく、マヤ諸語の2人称単数の人称代名詞は、ワステック語がtata?、ユカテック語がtec、ツェンタル語がha?at、マム語がxay、キチェ語がatである。

 

 人称接辞について、松本論文の例示によると、A類(能格)の1人称単数の人称接辞は、ワステック語がu-、ユカテック語がinw-、ツェンタル語がk-、マム語、キチェ語がw-であり、同2人称単数の人称接辞は、ワステック語がa-、ユカテック語、 ツェンタル語がaw-、マム語がt…ya-、キチェ語がaw-である。

 

 また、同じく、B類(絶対格)の1人称単数の人称接辞は、ワステック語が- in、ユカテック語が-en、ツェンタル語が-on、マム語がcin-、キチェ語が-inであり、同2人称単数の人称接辞は、ワステック語がit-、ユカテック語が-ec、ツェンタル語が-at、マム語がc-、キチェ語がat-である。

 

 ここで松本論文が例示しているマヤ諸語の人称接辞と人称代名詞を比較すると、例えば、ユカテック語の1人称単数の人称代名詞tenとB類(絶対格)の1人称単数の人称接辞-enが対応しているように、マヤ諸語のB類(絶対格)の人称接辞と人称代名詞が対応していることがわかる。

 

 しかし、松本論文が例示していない古典マヤ語(マヤ文明の古典期である紀元後250年から9世紀ごろまでに使われていたが、今は使われていない言語)では、人称代名詞に能格と絶対格の区別があったとされていて、能格をA類、絶対格をB類とすると、能格(A類)の人称代名詞は、1人称単数がni-、2人称単数がa/aw-、絶対格(B類)の人称代名詞は、1人称単数が-en、2人称単数が-etとされている。

 

 この古典マヤ語の能格(A類)の人称代名詞は、松本論文が例示しているマヤ諸語の人称代名詞が絶対挌(B類)の接辞と対応しているので、能格(A類)の人称接辞と対応するはずであるが、松本論文が例示している能格(A類)の人称接辞にはnが含まれていないのに、古典マヤ語の能格(A類)の人称代名詞にはnがあるので、その対応関係はよくわからなくなっている。

 

 ここで、能格(A類)の人称接辞の1人称単数のユカテック語のinwがi-n-wで、kが消失しているとするとi-n-kwとなるが、その原型は, 古典マヤ語の能格(A類)の人称代名詞の1人称単数のni-を参考にすると、i-ni-kuであったと考えられる。

 

 能格(A類)の人称接辞の1人称単数の語形の原型はi-ni-kuであり、その中で基本となるのはniであったとすると、マヤ諸語の1人称単数の基本形はna型であったと考えられる。

 

 松本論文は、「A類の人称接辞から見ていくと、言語間の対応は非常に規則的で、祖語形として*ku-というような形を容易に導き出すことができる」といい、その根拠は、「一部の言語を除いて、語頭のk-は規則的にゼロ子音に変わったと見られるからである」というが、表面上の「非常に規則的」な語形ではなく、「一部の言語」に例外的に残存した語形に注目すると、その1人称単数の人称接辞の祖語形は、これまで述べて来たように、na型であったと考えられる。

 

 また、松本論文は、能格(A類)の2人称単数の人称接辞の祖型を*kau-としているが、ケクチ語のakwはa-kwであり、ユカンテック語やチョル語などのaw-がa-wで、a-kwのkが消失したもとすると、その後半のkwはka-waがkw となったもので、それはka-uからkuとなったと考えられるが、この前半のaを含めて、その祖型を*kauとするのは少し乱暴な議論であると考える。

 

 ここで、同じ2人称単数の人称代名詞である、ミへ・ソケ諸語のma-ti-naやユート・アステカ諸語のna-miと同じように、マヤ諸語の2人称単数の人称代名詞も、具格接辞maを原形としていたとすれば、ケクチ語のakwのaはmaのaであり、akwのkwがkuであるとすると、akwはma-kuとなるので、ma-kuというのが能格(A類)の2人称単数の人称接辞の最初期の原型となり、ここから、マヤ諸語の2人称単数の人称接辞の基本形はma型であったと考えられる。

 

 マヤ語の能格(A類)の接辞や人称代名詞が他の言語の主格に当たるとすれば、まず、能格(A類)の人称代名詞について検討をする必要があるが、マヤ諸語の言語のそれぞれの能格(A類)の人称代名詞を松本論文は例示していないので、松本論文が例示している能格(A類)人称接辞などを参考としながら、古典マヤ語の能格(A類)の人称代名詞を検討する。

 

 先述したように、古典マヤ語の能格(A類)の1人称単数の人称代名詞と古典マヤ語の能格(A類)の1人称単数の人称接辞とは、対応していないが、古典マヤ語の能格(A類)の1人称単数の人称接辞の原型がi-ni-kuであったとすると、その前半のniが人称代名詞となり、後半のkuが人称接辞として残ったと考えられる。

 

 次に、古典マヤ語の能格(A類)の2人称単数の人称代名詞のaはwaのwが省略されたものであるが、前述したように、ケクチ語の能格(A類)の2人称単数の人称接辞のakwが、ma-kw=ma-kuであり、それが、ma-ka-waに起源するとすると、古典マヤ語の能格(A類)の2人称単数の人称代名詞のwaの原型はma-kuとなる。

 

 そうすると、古典マヤ語の能格(A類)の人称代名詞と松本論文が例示している能格(A類)の人称接辞は、対応することになる。

 

 次に、目的挌に当たるマヤ諸語の絶対挌(B類)の1人称単数の人称代名詞を見ると、ユカテック語のtenのtが消失したのがキチェ語のinであり、ツェンタル語のho?on、はマム語のna?yenが音変化したもので、ツェンタル語のho、on、はマム語のna、yenで、マム語のyenはユカテック語のtenにenが音変化したものであったとすると、ツェンタル語とマム語の?はtであったと考えられる。

 

 そうすると、それらの語の原形はna-ti-nとなるが、ワステック語の1人称単数のnanaから、na-ti-nの祖型はna-ti-naという、具格接辞を3つ重ねた語形であり、それをまとめると、ni-naまたはninとなり、それがさらに短縮されて、inからenになったのだと考えられる。

 

 ここから、マヤ諸語の絶対挌(B類)の1人称単数の人称代名詞の基本形はna型であったと考えられる。

 

 なお、マヤ諸語の絶対挌(B類)の1人称単数の人称代名詞のnが、同2人称単数の人称代名詞ではtになるという対応をしているので、前者の基本形は、ni-naのnaの代わりにtiが入った、ni-tiであり、それが省略されてnetというようになったと考えられる。

 

(40)中米の諸言語の人称代名詞の基本形

 

 以上見てきたように、中米の4つの大語族であるユート・アステカ諸語とミへ・ソケ諸語とマヤ諸語とオトマンゲ諸語のうち、ユート・アステカ諸語とミへ・ソケ諸語とマヤ諸語の1人称単数の人称代名詞詞はna型であることが分かるが、これは、アメリカ大陸への第1派の移動のY染色体DNAハブログループQの集団がアメリカ大陸の太平洋沿岸を南下していったことと、その集団の後裔がアメリンド言語集団であり、その言語の1人称単数の人称代名詞の基本形はna型であったという想定と矛盾しない。

 

 そして、ここから、松本論文が、「その内部の言語構成が複雑多岐にわたるために、現状では、人称代名詞の祖体系の再構は断念せざるを得ない」として分析を放棄したオトマンゲ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形もna型であったと推定することが出来る。