「人類祖語」の再構成の試みについて(89) | 気まぐれな梟

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 今日は、Simon & Garfunkelの「The Best Of Simon & Garfunkel」から、「The Sound Of Silence」を聞いている。

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)は、続いて「環日本海言語圏」の言語として、日本語と朝鮮語、アイヌ語とギリヤーク語の人称代名詞について述べ、その後、アメリカ大陸の言語の人称代名詞について述べているが、ここでは先にアメリカ大陸の言語の人称代名詞について検討したい。

 

(31)現生人類の移動とアメリカ大陸の言語

 

 現生人類のアメリカ大陸への移動については「「人類祖語」の再構成の試みについて(84)」で述べたが、崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によれば、アメリカ大陸への現生人類の拡散は3派に渡って行われ、第1派の移動が約15,000年前のY染色体DNAハブログループのQの集団、第2波が約10,000年から7,000年前のY染色体DNAハブログループのC3の集団、第3派の移動が約5,000年前のY染色体DNAハブログループのQとN1cの集団の移動であった。

 

 この第1派の移動に係わるのがナデネ言語集団で、第2派の移動に係わるのがアメリンド言語集団、第3派の移動に係わるのがエスキモー・アレウト言語集団であった。

 

 また、これまで検討してきたように、現生人類の第1次の拡散に関わる集団の言語の人称接辞や人称代名詞は具格接辞*gaに起源する*ŋaを経由したnaが基本形となり、第2次の拡散に係わる集団の言語の人称接辞や人称代名詞は具格接辞*gaに起源する*gaを経由したkaが基本形となったと考えられる。

 

 そうすると、アメリカ大陸に第1次移動したY染色体DNAハブログループのQの集団であったアメリンド言語集団の諸言語の人称接辞と人称代名詞の基本形はnaであり、第2次に移動したY染色体DNAハブログループのC3の集団であったナデネ言語集団の諸言語の人称接辞と人称代名詞の基本形はkaであったと考えられる。

 

 これまでの検討から、ナデネ言語集団のアサバスカ諸語の1人称単数の人称代名詞は*kiであり、エスキモー・アレウト諸語の1人称単数の人称代名詞にはŋa/raの二つがある。

 

 これらは、どちらも具格接辞*gaに起源するものであるが、前者はkaが基本形であり、後者はnaとkaが基本形となっている。

 

 エスキモー・アレウト集団のY染色体DNAハブログループはQとN1cであるので、エスキモー・アレウト諸語の1人称単数の人称代名詞はnaとなるはずであるが、そこにkaが混在しているのは、先住集団であるナデネ言語集団の言語の影響を後続集団の言語のエスキモー・アレウト諸語が受けたためであったと考えられる。

 

 松本論文のアメリカ大陸の言語の検討は、エスキモー・アレウト諸語とナデネ言語集団のアサバスカ諸語以外のアメリンド言語集団の諸言語についてのものであるが、大きな言語集団の言語でも検討されていないものがある一方、小さな言語集団の言語でも検討されているものがあり、少しアンバランスであるが、全体の傾向は把握できる。

 

 なお、松本論文によれば、アメリンド言語集団は、「太平洋沿岸型言語圏」と「非沿岸型建語圏」に以下のように区分できるという。

 

 「太平洋沿岸型言語圏」の「人称代名詞の分布圈をごく大まかに概観すると、まず北米ではその太平洋岸のほぼロッキー山脈の西側に限られて、その東麓に拡がる「大平原」までは及ばず、南米の場合は、ロッキー山系の延長線上に、太平洋岸を縦走するアンデス山脈に沿ってその東麓低地までで、現在ブラジル領に属するアマゾン中央部から大西洋岸に至る地域には、このタイプの人称代名詞はほとんど現れない」

 

 「この意味で、先住民言語から見たアメリカ大陸は北と南ではなく、西の太平洋側と東の大西洋側に大きく二分される」が、「この太平洋側の言語圈がユーラシアの太平洋沿岸部と連携して、ここに文字通り「環太平洋」と呼ばれる広大な言語圈が形作られるのである」

 

 松本論文が主張する「太平洋沿岸型言語圏」の諸特徴は人称代名詞の基本形だけではないが、これまで見てきた1人称単数の人称代名詞の基本形のna型とka型の分布がアメリカ大陸の「太平洋沿岸型言語圏」と「非沿岸型言語圏」の区分とどのような関係にあるのか、松本論文の論述に沿って、以下順次見ていきたい。

 

 なお、ユーラシア大陸がそうであったように、アメリカ大陸でも農耕の誕生に伴って人間集団の大規模な移動が繰り返されてきたので、現在の言語集団の分布状況だけではなく、その言語集団の故地がどこで、そこからどのように移動してきたかということも考慮に入れて以下の検討を進めるために、ピーター・ベルウッドの「農耕起源の人類史(京都大学学術出版界)」(以下「ベルウッド論文」という)を参考にしつつ、検討を進める。

 

 ベルウッド論文によれば、「紀元前3,000年頃までは、アメリカ先住民すべてが基本的には狩猟採集民であ」ったが、「アメリカ大陸熱帯地域全体でもっとも古い農耕定住から先古典期を経て後期都市期への発展は、紀元前2,000から300年のあいだにおこった」が、新大陸において農耕は「独立して、おそらく三カ所で起源した」という。

 

 そして、「初期農耕の地域」の「一つ目はエクアドル南岸部から、ペルー、ボリビアとチリ北部につづくアンデス地域であ」り、次に「メキシコ中央部からホンジェラスとエルサルバドルへ広がる」「メソアメリカ」という「文化領域」であり、最後に、「周辺農業地域グレート・プレーンズとテキサス州南部を横切って、肥沃なイースタン・ウッドランドにかけての地域である」という。

 

 この三カ所での農耕の誕生により、その三カ所およびその付近の集団の移動が開始し、その結果、現在に繋がるアメリカ先住民の分布が形成されていったのである。

 

(32)ペヌーテイ諸語

 

 松本論文によれば、「太平洋沿岸言語圏」に属するという「「ペヌーティ」と呼ばれる言語群は、カナダのブリティッシュ・コロンビア州から合衆国カリフォルニア州に及ぶ太平洋沿岸部と台地と呼ばれるその後背地にかけて分布していた諸言語で、系統的に必ずしもひとつの語族としてまとまりをなすものではない」が、「おおよそ地域別に、北の方から北西海岸、オレゴン・台地、カリフォルニアという3ないし4つのグループに分類する」という。

 

 松本論文の例示によると、ペヌーテイ諸語の1人称単数の人称代名詞は、北西海岸語群のチヌーク語がn-、台地語群のタケルマ語がki、ヤマキ語がink、カリフォルニア語群のマイドウ語がni、サン・ホセ語がkanaである。

 

 また、松本論文の例示によると、ペヌーテイ諸語の2人称単数の人称代名詞は、北西海岸語群のチヌーク語がm-、台地語群のタケルマ語がma、ヤマキ語がimk、カリフォルニア語群のマイドウ語がmi、サン・ホセ語がmeneである。

 

 ここから、ペヌーテイ諸語の2人称単数の人称代名詞の基本形はmiであり、それはma型であったと考えられる

 

  松本論文は、ペヌーテイ諸語1人称単数の人称代名詞は、大部分の言語ではnー形で統合されているが、台地語群のタケルマ語、カリフォルニア群の中の「カリフォルニア南部で「コスタノアン」と呼ばれる小語族(ムツン語その他)およびミーウォク語などは、k-形の1人称を持っている」という。

 

 松本論文のいうカリフォルニア語群のk-型であるが、ムツン語、オーロン語、ミーウォク語のkanはサン・ホセ語のkanaと同じka-naであり、基本形のnaの前にkaが付加されたものであったと考えられるので、これらの言語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであったと考えられる。

 

 そうすると、台地語群のタケルマ語がkiが、ka-naの-naが脱落し、kaが音変化してkiとなったものだったとすれば、タケルマ語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであったので、ペヌーテイ諸語の1人称単数の人称代名詞はnaであったと考えられる。

 

(33)ホカ諸語

 

 松本論文によれば、「太平洋沿岸言語圏」に属するという「「ホカ」と呼ばれる言語群は、ペヌーティ諸語とカリフォルニア中央部で複雑に入り組みながら。カリフォルニア州からメキシコ北部、さらにテキサス州南部まで拡がる系統的にも類型的にもかなり多種多様な言語を内包している」言語群であるという。

 

 松本論文の例示によると、ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞は、カロック語がna、ワポ語が?ah、ワショー語がle、サリナ語がkek、ユアウイルティコ語がnai、ユマ語族のディエゲーニョ語が?na、マリコバ語がnaである。

 

 また、松本論文の例示によると、ホカ諸語の2人称単数の人称代名詞は、カロック語が?im、ワポ語がm?、ワショー語がmi、サリナ語がmo?、ユアウイルティコ語がmai、ユマ語族のディエゲーニョ語がma、マリコバ語がmanである。

 

 ここから、ホカ諸語の2人称単数の人称代名詞の基本形はmaであったと考えられる。

 

 ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞の?をkとすると、ワポ語の?ahはkahであるが、このhがna→ha→hと変化したものであったとすると、kahはka-naとなり、ユマ語族のディエゲーニョ語の?naはkhaとなるが、このkhaがka-naであるとすると、ワポ語とユマ語族のディエゲーニョ語の1人称単数の人称代名詞は同形となるが、ここから、ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞は、基本形のnaの前にkaを付加した語形のka-naが基本であったとすると、ワショー語のleやサリナ語がkekは、ka-naの-naが脱落してkaが音変化したものであったと考えられる。

 

 松本論文は、ホカ諸語の「大部分の言語は1人称にn-型持っているが、ユキ語、ワポ語、ポモ語(もとサンフランシスコ北部の海岸沿いに分布)、サリナ語(サンフランシスコ南部)およびセリ語(メキシコ北東部ソノラ海岸)の1人称は、k-形を示している」というが、近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)が指摘するように、人称接辞や人称代名詞が具格接辞*gaや*ti、*maを組み合わせて構成されたものであったとすれば、語頭の子音に拘泥すべきではなく、組み合わされた具格接辞のうち語末にあるものが本来的なものであったとすれば、ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はnaであったと考えられる。

 

 松本論文が、ホカ諸語の1人称単数の人称代名詞のタイプがn-型とk-型の二種類あるというのは、松本論文が、人称接辞や人称代名詞は「基幹子音」に他の子音や母音が付加されて構成されたと考えているので、それらが具格接辞*gaに起源するka-とna-の組み合わせであることを理解できず、とりあえず語頭に来た子音がk-に関わるものなのかn-に関わるものなのかという、いわば表面的なことで人称代名詞のタイプを判断しようとしているからである。

 

 だから、正しくは、1人称単数の人称代名詞のタイプは、ka-とna-のどちらなのかということなので、ka-とna-が組み合わされていたときは、そのどちらが基本形なのかを検討しなければいけないのである。

 

 また、松本論文の「基幹子音」という考え方では、何でその子音が「基幹子音」となったのかとか、その「基幹子音」になぜある特定の子音や母音が付加されるのかとかいうことを説明出来ないのである。

 

(34)ユート・アステカ諸語

 

 松本論文によれば、「ユート・アステカ諸語は、カリフォルニア州東部とその後方に拡がる「大盆地」からカリフォルニア南部を経てメキシコ中央部まで拡がり、その分布域と内包する言語数において北米では最大規模の言語であ」り、「通常、合衆国に分布する「北部語派」とメキシコに拡がる「南部語派」の2つに分けられ、さらに北部語派は、大盆地に拡がる「ヌミック語群」)とカリフォルニア南部に分布する「タキック語群」に分けられ」、「南部語派は、メキシコ北西部のソノラ州を中心とする「ソノラ語群」とメキシコ中央部でかつて繁栄を誇ったアステカ帝国領内の「ナワ語群」から成っている」という。

 

 ベルウッド論文によれば、ユート・アステカ系集団の故地とその後の移動については、以下のとおりであったという。

 

 「初期のユート・アステック集団」は、「トウモロコシ農耕をともない」、「初期のメソアメリカの農耕地帯の北西端にあった」「メキシコのシェラ・マドレ北部から拡散し」、「ユート・アステックの一部の人々は南に向かってメソアメリカに移動し、また別のものたちは北に向かってグレート・ベースンに移動した」が、「グレート・ベースンに移動したユートトアステック集団であるヌミックは、最終的に農耕から狩猟採集に再転換した」

 

 その後、「ユート‥アステック語族の領域に」「アパッチやナバホの先祖」の「アサバスカ語話者とユマ語話者が侵入したことで」、「ユートトアステック語族はアリゾナ州の大部分において地理的に分断され」た。

 

 「ユート・アステック祖語の故地は、おそらく紀元前二五〇〇~一五〇〇年のあいだのメソアメリカにあ」り、「それはメキシコ峡谷のテオティワカンにある偉大な古典メソアメリカ都市複合体(紀元後一六〇〇年頃)から隔たっていなかった」が、この「ユートトアステック語族の故地」は、「同時期にオトマング語族とミへ・ソケ語族の故地」の「がきわめて近くに位置した」ことになる。

 

 ベルウッド論文の図10-11「メソアメリカにおける語族の故地の再建」によれば、メソアメリカの語族の故地は北からユート・アステック語族、オトマンゲ語族、ミへ・ソケ語族、マヤ語族、チプチャ語族の順で並んでいたとされている。

 

 なお、ユート・アステカ諸語のナワ語群のナワトル語はアステカ帝国の公用語であった。

 

 松本論文の例示によれば、ユート・アステカ諸語の1人称単数の人称代名詞は北部語派のヌミック語群の北パイユート語がni、同タキック語群のクペニーヨ語がnə?、南部語派のソノラ語群のテペカノ語がani、同ナワ語群の古典ナワトル語がnə?waである。

 

 また、松本論文の例示によると、ユート・アステカ諸語の2人称単数の人称代名詞は北部語派のヌミック語群の北パイユート語がimi、同タキック語群のクペニーヨ語が?ə?、南部語派のソノラ語群のテペカノ語がapi、同ナワ語群の古典ナワトル語がtə?waである。

 

 このうちクペニーヨ語の?ə?の?は、北部語派のヌタキック語群のルイセーニヨ語の1人称単数の人称代名詞のnoが2人称単数の人称代名詞では?omとなっていることから、語頭の?がnで、語末の?がmであったと考えられるので、クペニーヨ語の?ə?はnəmとなり、その本来の形は、基本形のmiにnaが付加されたna-miであったと考えられる。

 

 これらから、ユート・アステカ諸語の1人称単数の人称代名詞は、北部語派のタキック語群のクペニーヨ語のnə?はnən、南部語派のナワ語群の古典ナワトル語のnə?waはnənwaであるので、その本来の形は、基本形のniにwaが付加されたni-waであったと考えられる。

 

 以上から、、ユート・アステカ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はniで、2人称単数の人称代名詞の基本形はmiであるので、1人称単数の人称代名詞の基本形で区分した場合は、ユート・アステカ諸語の1人称単数の人称代名詞のタイプはna型になると考えられる。

 

(35)セイリッシュ諸語

 

 セイリッシュ諸語はナデネ言語集団とペヌート系集団に挟まれたカナダとアメリカの境界線に跨がった太平洋岸北西部に分布する言語であるが、松本論文はセイリッシュ諸語を、「アメリカ大陸で人称代名詞が沿岸型には属さないと見られる主な語族」の一つとしている。

 

 松本論文が例示しているセイリッシュ諸語の人称代名詞祖体系によると、1人称は*n-、2人称はko-となっている。

 

 こうした祖型の推定が正しいとすれば、セイリッシュ諸語の1人称単数の人称代名詞の基本形はna型となり、他の「太平洋沿岸言語圏」の言語の1人称単数の人称代名詞の基本形と同じ形になる。

 

 なお、松本論文はセイリッシュ諸語の2人称単数の人称代名詞の祖系がko-であったというが、koが語頭にあったセイリッシュ諸語の2人称単数の人称代名詞の語末にmaやmiが含まれていたのを、松本論文が「基幹子音」という考えかたで切り捨てた結果として、koが祖型として推定されたとすれば、2人称単数の人称代名詞の本来の基本形はmaあるいはmiであったと考えられる。

 

 もしもそうならば、セイリッシュ諸語の人称代名詞の語形は、1人称も2人称も、他の「太平洋沿岸言語圏」の言語の人称代名詞の基本形と同じ形になるので、人称代名詞の語形だけからは、セイリッシュ諸語を、「アメリカ大陸で人称代名詞が沿岸型には属さないと見られる主な語族」の一つということは出来ないと考えられる。