「人類祖語」の再構成の試みについて(82) | 気まぐれな梟

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 今日は、鬼束ちひろの「HYSTERIA」から、「Dawn of my faith」を聞いている。

 

(13)ウラル諸語とユカギール語

 

 ウラル諸語は北欧のラップ語などのフィノ・ウゴル諸語と西シベリアの極北地帯に残存するツンドラ・ネネツ語などのサモイェード諸語からなり、東シベリアの極北地帯に残存するユカギール語もウラル諸語と同系であると考えられている。

 

 崎谷満の「新日本列島史(勉誠出版)」(以下「崎谷論文」という)によれば、華北で拡散したY染色体DNAハプログループはNOの現生人類の集団は、華北から南下したY染色体DNAハプログループOの集団と華北から北上したY染色体DNAハプログループNの集団に分岐し、その北上した集団のうち、Y染色体DNAハプログループN1cの集団は北欧に拡散し、Y染色体DNAハプログループN1bの集団はシベリアに拡散したという。

 

 そうすると、Y染色体DNAハブログループN1cの集団がフィノ・ウゴル諸語の言語集団に対応し、Y染色体DNAハブログループN1bの集団がシベリア極北地帯のサモイェード諸語とユカギール語の言語集団に対応すると考えられる。

 

 そして、サモイェード諸語のうちセルクブ語の言語集団のY染色体DNAハブログループはN1bよりもQが多く含まれており、その傾向はユカギール語の言語集団のY染色体DNAハブログループでも変わらないと考えられる。

 

 この、Y染色体DNAハブログループQの集団は、華北からY染色体DNAハブログループNの集団が北上する前に、南シベリアのアルタイ・サヤン地域で拡散してシベリアに拡散し、さらにその一部は陸化したベーリング地峡を伝ってアメリカ大陸に拡散した集団であった。

 

 そうすると、華北からシベリアや北欧に北上したY染色体DNAハブログループN1の集団は、基層集団であったY染色体DNAハブログループQの手段の影響をほとんど受けなかったY染色体DNAハブログループN1cのフィノ・ウゴル諸語の言語集団と、その影響を受けたY染色体DNAハブログループN1bのサモイェード諸語とユカギール語の言語集団に分岐し、その中でもQからより多くの影響を受けた集団がユカギール語の言語集団であったと考えられる。

 

(10)人称代名詞の構成

 

 松本克巳の「世界言語の中の日本語(三省堂)」(以下「松本論文」という)が例示するウラル諸語(フィノ・ウゴル諸語とサモイェード諸語)とユカギール語の1人称単数と2人称単数の人称代名詞のうち、例えばフィノ・ウゴル諸語ではエルジャ・モドウイン語を、サモイェード諸語ではセリクブ語を、ユカギール語の1人称単数と2人称単数の人称代名詞と比較してみると、1人称単数の人称代名詞は、エルジャ・モドウイン語mon、セリクブ語man、ユカギール語metとなり、2人称単数の人称代名詞は、エルジャ・モドウイン語ton、セリクブ語tan、ユカギール語tetとなる。

 

 近藤健二の「言語類型の起源と系譜(松柏社)」(以下「近藤論文」という)が指摘するように、これらの人称代名詞が人称接辞+存在動詞+連用形接辞から構成されたものであり、その人称接辞がゼロ標識の具格接辞*-gaを基本形として構成されたものであったとすると、これらの人称代名詞の構成は以下のようであったと考えられる。

 

(a)1人称単数

 

 エルジャ・モドウイン語monやセリクブ語manは具格接辞*-ma-*-gaに起源するma-naが音変化したma-nが原型であるが、フィノ・ウゴル諸語のフィンランド語やエストニア語の存在動詞がollaで、同じくハンガリー語の存在動詞がlenniであり、ユカギール語の存在動詞がleであることから、それらの言語の共通の祖語の存在動詞を例えばlaというように復元し、またハンガリー語の存在動詞lenniの語尾がiであることから、共通の祖語の連用形接辞を-iとし、それらがゼロ形態の標識を含意していたとすると、フィノ・ウゴル諸語の1人称単数の人称代名詞は、例えばø-ma-n-la-i「私ありて」などと復元することが出来る。

 

 そうすると、ø-ma-n-la-i「私ありて」から-la-iが脱落したものがmo-nやmanであり、サモイェード諸語のツンドラ・ネネッツ語の1人称単数の人称代名詞monyの語尾のyは連用形接辞-iの残存であると考えられる。

 

 ユカギール語metのmは具格接辞*-maに起源するmaが音変化したもので、eは具格接辞*-tiに起源するiが音変化したあり、tは具格接辞*-tiに起源するtであるとすると、metの祖型は、ゼロ形態の格標識と存在動詞、連用形接辞を付加すると、ø-ma-i-t-la-iというように復元できるが、フィノ・ウゴル諸語の中で南に遠く離れているハンガリー語の1人称単数の人称代名詞enがti-gaと復元できることを参考にすると、ユカギール語metにも本来は具格接辞*gaに起源するnが含まれていたと考えられる。

 

 そうすると、ユカギール語の1人称単数の人称代名詞metの祖型は、例えばø-ma-i-n-t-la-iというふうに復元することが出来る。

 

(b)二人称単数

 

 エルジャ・モドウイン語ton、セリクブ語tan、ユカギール語tetは、1人称単数の人称代名詞の構成を参考にすると、ø-ti-n-la-i「あなたありて」またはø-ta-n-la-i「あなたありて」などというように復元できると考えられる。

 

(c)人称代名詞の構成の体系

 

 以上から、ウラル諸語とユカギール語の1人称単数と1人称単数の人称代名詞の体系は、具格接辞*-gaに起源するnを基本形として、それに具格接辞*-maに起源するmを付加して1人称単数の人称代名詞を形成し、また、同じく具格接辞*-tiに起源するtを付加して2人称単数の人称代名詞を形成したのだと考えられる。

 

 松本論文はウラル諸語とユカギール語の人称代名詞の体系について、「ウラル諸語の独立人称代名詞には、印欧語に見られるような、斜格語幹(m-)に対する主格語幹(*k/g-?)のような対立がな」く、「1、2人称の基幹子音m-、t-は、印欧諸語よりもさらに明瞭な形をとって現れる」という。

 

 松本論文が、インド・ヨーロッパ諸語では斜格語幹(m-)に対する主格語幹(*k/g-?)のような対立が」あるというのは、例えば、インド・ヨーロッパ諸語の古代ギリシャ語では1人称単数の主格の代名詞がegoであるのに対してその目的格がemeであり、ゴート語の1人称単数の主格の代名詞がikであるのに対してその目的格がmikであり、サンスクリット語の1人称単数の主格の代名詞がahamであるのに対してその目的格がmaであることを指している。

 

 しかし、「「人類祖語」の再構成の試みについて(80)」で述べたように、インド・ヨーロッパ諸語の1人称単数の主格の人称代名詞は、具格接辞*-gaが-kaに音変化したものを基本形としており、その基本形に具格接辞*-maが-maに音変化したものを付加することで主格と差別化することで目的格の1人称単数の人称代名詞が形成されているのであって、目的格などの主格以外の斜格の語幹(m-)が人称代名詞系制の原理・体系として主格語幹(*k/g-?)と「対立」しているわけではない。

 

 松本論文が、インド・ヨーロッパ諸語では、1人称単数の主格のgaまたはkaと斜格のmが「対立」していると考えるのは、それらの主格と目的格などの斜格の人称代名詞が、何を素材にしてどのように形成されてきたのかということを理解できずに、表面的かつ皮相的な現象面の理解に留まっているためであると考えられる。

 

 また、松本論文は、ウラル諸語やユカギール語の1、2人称人称代名詞の「基幹子音」はm-とt-であるというが、これは、それらの言語の1人称の人称代名詞の「基幹子音」はm-であり、同じく2人称の人称代名詞の「基幹子音」はt-であるという主張であるが、これまで見てきたように、ウラル諸語の1人称や2人称の人称代名詞の語尾に共通して含まれているnは、具格接辞*-gaに起源するnaが音変化した、1人称と2人称の人称代名詞に共通する基本形であり、1人称のmは具格接辞*-maに起源するmaが基本形のnの前に付加されて1人称を表わしたもので、2人称のtは具格接辞*tiに起源するtが基本形のnの前に付加されて2人称を表わしたものであった。

 

 だから、人称代名詞の構成という点からすると、ウラル諸語やユカギール語で「基幹」的なものはnであり、mやtは二次的、派生的、副次的な存在であると考えられる。

 

(14)チュクチ・カムチャッカ諸語

 

 崎谷論文によるとユーラシア大陸からアメリカ大陸への現生人類の移動には言語集団と関連した三つの波があり、第一派の移動は最大最終氷期(LGM)直後の後氷期、約15,000年前であり、そのときに移動したのはY染色体DNAハプログループのQの人間集団であり、石刃文化を持った彼らはアメリカ大陸の錦眼を南下しつつ東の内陸に拡散していったが、彼らは言語集団ではアメリンド言語集団に相当する。

 

 第二の波はシベリアで約20,000年か14,000年前に起こった細石刃文化を持った集団の移動であり、彼らは10,000年~7,000年前に細石刃文化を持って移動してきたが、彼らのY染色体DNAハプログループはC3で、言語集団としては北アメリカの北西部を中心に分布するナデネ言語集団に相当する。

 

 第三派の移動は、約5,000年前に北アメリカの極北地帯に移動してきた人たちで、彼らのY染色体DNAハプログループはQとN1cでありC3を含まず、言語集団としてはエスキモー・アレウト言語集団に相当する。

 

 チュクチ・カムチャッカ諸語の言語集団のY染色体DNAハプログループの構成はエスキモー・アレウトの言語集団と同じでQとNicからなり、C3を含まず、アメリカ大陸固有のQ1a3を含むので、エスキモー・アレウト言語集団がシベリアに逆流してきたのがチュクチ・カムチャッカ言語集団であり、その逆流の時期は、エスキモー・アレウト言語集団のアメリカ大陸への流入時期以降である。

 

 こうした崎谷論文の指摘から、エスキモー・アレウト言語集団はシベリアに展開していた言語集団と関連しており、チュクチ・カムチャッカ言語集団は、エスキモー・アレウト言語集団を介してシベリアに展開していた言語集団と関係していると考えられる。

 

 チュクチ・カムチャッカ諸語の人称代名詞については、「「人類祖語」の再構成の試みについて(80)」で以下のように述べた。

 

 近藤論文の例示によると、チュクチ語の人称代名詞の1人称の単数の絶対格はgumであるが、gum「私」は具格接辞の*-gaと*-maが結合したものであり、チュクチ語のga-と-maという二つの形態が名詞をはさんで, ga-lela'-ma「目で」のように用いられるので、「gumは,「私」をゼロ形態にした*ga-ø-maから生まれた形である」

 

 また、チュクチ語の人称代名詞の1人称の複数の絶対格はmu'riであるが、mu'ri「私たち」は、「ma-ur-i」から生まれた形であり、ma-は具格接辞*-maであり「私」を、「-ur」は複数接辞で「ら」を、「-i」は具格接辞で「で」をそれぞれ意味したので、「ma-ur-i」は本来は「私らで」という副詞句であったが、アイヌ語のkuaniと同じように、自動詞文で行為主体を表わす副詞句が他動詞文の主語になり、「私たち」という人称代名詞になったと考えられる

 

 チュクチ語の人称代名詞の2人称の単数の絶対格はgit であるが、git「あなた」は具格接辞*-gaに由来するg-に存在動詞-itが付されたものである。

 

 また、2人称複数絶対格のtur'iは語頭のt-「の祖形は*ti-であ」り,「あなた」がゼロ形態として含意された*ø-tあるいは*ø-tiが最初にあって,*-tあるいは*-tiが「あなた」という意味を獲得し,続いて複数接辞の-ur「ら」が付いて*turあるいは*tiurという語が成立し,最後に具格接辞の-iが付いてtur'iになった」

 

 チュクチ語の1人称の単数の絶対格の人称代名詞の人称代名詞も人称接辞に対応するga-ø-ma「私」に存在動詞の-itと連用形接辞の-iが付加された副詞句のga-ø-ma-it-i「私ありて」に起源するものであったが、その後、-it-iが脱落して、残ったga-ø-maが音変化してgum「私」という人称代名詞が誕生したのだと考えられる。

 

 こうした近藤論文の指摘から、チュクチ・カムチャッカ諸語のチュクチ語の人称代名詞は、具格接辞*gaに起源するgaを基本形としそれに具格接辞*maに起源するmaや具格接辞*tiに起源するtiを二次的に付加し、存在動詞と連用形接を組み合わせて構成されたと考えられる。

 

 しかし、松本論文は、チュクチ・カムチャッカ諸語の人称代名詞について以下のようにいう。

 

 「チュクチ・カムチャツカ諸語で注意すべき点は、1、2人称の単数形である」が、「これらの独立形は、いずれもga-/ka-という増幅成分によって拡張されている」ので、「基幹子音のm-、t-は対応する複数形の方でより明瞭な形で捉えられる」

 

 ここでは松本論文は、m-、t-が「基幹子音」であり、gaは「基幹子音」のm-、t-の「増幅部分」であると主張するが、そうした主張は、その「増幅部分」とは何で、それが付加されたのはどんな意味を持つのか、という、人称代名詞の構成原理を統一的に説明できず、本来の基本形を「増幅部分」という付加的なものと捉え、本来の付加的な部分を「基幹子音」として基本形であると誤認したものであると考えられる。

 

(15)カルトヴェリ(南カフカス)諸語

 

 崎谷論文によれば、現生人類は、約65,000年前に東アフリカのソマリア半島の付け根のジブチ付近から水位が低下していた紅海を越えて対岸のアラビア半島南部に渡り、そこからアラビア半島の南岸を経由して、当時は大部分が陸化していたペルシャ湾を含むメソポタミアとイラン南部のユーラシア大陸何部に、比較的短期間で到着した。

 

 その後、現生人類はヨーロッパが氷河に覆われ、アフリカ北部に砂漠が拡大していたため、西方への移動はせずに、そのままユーラシア大陸南部に留まる集団と、そこから北上する集団と南下する集団の三つの集団に分岐した。

 

 南下した集団は、イラン南部からインド半島の海岸線を進み、インドシナ半島に海岸線からスンダランドを経由してオーストラリアに、約40,000年前までに移動した。

 

 北上した集団は、イラン南部から中央アジアに進み、そこからマンモス・ステップの草原を東進して、シベリア南部のアルタイ・サヤン地域やバイカル湖の周辺に約45,000前までに到着した。

 

 そして、そこからY染色体DNAのQの集団がさらに北上してシベリアとユーラシア大陸の極北地帯に、約30,000年前までに拡散し、同じくDの集団がシベリア南部から中国の華北に約34,000年前までに移動し、そこからチベット、東南アジアに、また、中国東北部、朝鮮半島を経て日本列島中間部にまでに移動した。

 

 そして、その後、約40,000年前にヨーロッパと北アフリカの環境が改善するとそれまでイラン南部に滞留していた集団はアナトリア半島を経由してヨーロッパに移動を始め、またレバノン回廊を南下して北アフリカに移動したが、現生人類の本格的なヨーロッパへの移動は約25,000年前であり、この時には、北方ルートで中央アジアに来ていた集団も、ウクライナ平原やロシア平原を経由してヨーロッパに移動した。

 

 現生人類が初期拡散でイラン南部から北上するルートはコーカサス山脈の東側のカスピ海の

沿岸を経由するルートと同じく西側の黒海の沿岸を経由するルートがあったので、イラン南部から北上する現生人類はコーカサスを経由したと考えられる。

 

 近藤論文によれば、コーカサスの諸言語は基本的に、ニューギニアのパプア諸語やオーストラリアの原住民の言語と同じように、比較的古い形式の言語である能格言語であるが、これは、コーカサスに古くから現生人類が住んでいたために、そうした古い言語の形式が残存したのだと考えられる。

 

 松本論文が例示しているカルトヴェリ(南カフカス)諸語はカフカスの諸言語集団の一つであるが、そのなかの古典グルジア語の人称代名詞は、松本論文の例示によると1人称単数がmeであるが、同じカルトヴェリ(南カフカス)諸語のラズ語の1人称単数がma(n)、スヴァン語の1人称単数がmi/nであるので、これまで見てきたように、人称代名詞がゼロ標識の人称接辞と存在動詞、連用形接辞から構成された副詞句に起源するとすれば、古典グルジア語の存在動詞iq’osの祖型をiqとすると、1人証単数のmeの祖型はø-ma-na-lq-i「私ありて」で、2人称単数のsenの祖型はø-si-na-lq-i「あなたありて」であったと考えられる。

 

 また古典グルジア語の1人称複数cwenや2人称複数のtkwenのcやtは具格接辞*tiに起源するtであると考えられる。

 

 そうすると、古典グルジア語などのカルトヴェリ(南カフカス)諸語の人称代名詞の体系は、具格接辞*gaに起源するnaを基本形としそれに具格接辞*maに起源するmaや具格接辞*tiに起源するtを二次的に付加し、存在動詞と連用形接を組み合わせて構成されたと考えられる。

 

 そして、カルトヴェリ(南カフカス)諸語でも人称代名詞の基本形はnaであり、maやsi,tはその基本形に二次的に付加されたものであったと考えられる。

 

 なお、崎谷論文によれば、グルジア人のY染色体DNAハプログループの構成はJ2が73.1%を占めているが、このJ2はイラン南部のJから分岐したもので、北上してイラン高原にに拡散するちともにウクライナ平原に拡散し、同じJから分岐したJ1はレバノン回廊を経由して北アフリカに拡散した。

 

(16)基層言語の新旧の違いに起因

 

 松本論文がいう「ユーラシア内陸言語圏」の諸言語のうちの「ユーロ・アルタイ型の人称代名詞」を持つという言語を近藤論文による人称代名詞の構成で再分類し、崎谷論文に従って、その言語集団の代表的なY染色体DNAハプログループを決定すると、以下のとおりとなる。

 

インド・ヨーロッパ諸語 

 人称代名詞の基本形 ka

  Y染色体DNAハプログループ R1b

 

ウラル諸語とユカギール語

 人称代名詞の基本形na

  Y染色体DNAハプログループ N1c,R1a

 

チュルク諸語

 人称代名詞の基本形na

  Y染色体DNAハプログループ C3,R1a,N1c

 

モンゴル諸語

 人称代名詞の基本形na

  Y染色体DNAハプログループ C3 N1b

 

ツングース諸語

 人称代名詞の基本形na

  Y染色体DNAハプログループ C3 N1c

 

チュクチ・カムチャッカ諸語

 人称代名詞の基本形ka

  Y染色体DNAハプログループ Q、N1c

 

カルトヴェリ諸語

 人称代名詞の基本形na

  Y染色体DNAハプログループ J2

 

 ここから、これらのほとんどの言語の人称代名詞の基本形はnaであることが分かる。

 

 しかし、その中でもインド・ヨーロッパ諸語の人称代名詞の基本形だけがgaとなっているが、言語によってその人称代名詞の基本形が異なるのは何故だろうか?

 

 アンリエット・ヴァルテールの「西欧言語の歴史(藤原書店)」(以下「アンリエット」論文という)によれば、インド・ヨーロッパ語族は紀元前5,000年頃には黒海の北方のウクライナ平原にいて、紀元前4,000年にはドナウ川流域に移動し、紀元前3,500年にはバルト海とエルベ川の流域に移動し、紀元前3,000年にはライン川の流域に移動した、という。

 

 また、デビット・ライクの「交雑する人類(NHK出版)」(以下「デビット論文」という)によれば、紀元前5,000年頃に、「ヨーロッパのハンガリーから中央アジアのアルタイ山脈のふもとまで」の広大な「ステップの草原地帯」に、定住せずに移動して牧畜をする「ヤムヤナ文化」が広がったが、そうした拡散は「家畜化された馬の導入」と「車輪の発明」によって初めて可能となったものであった、という。

 

 デビット論文によれば、「荷車に動物を繋ぐことによって、ヤムヤナの人々は水や補給物資を開けたステップまで運搬できるようになり、それまでは手が出せなかった広大な土地を利用できるようになった」ことと、馬が家畜となったことで「馬の乗り手が一人いれば、徒歩で追うよりも何杯も多くの家畜を管理できるようになった」ことによって、ヤムヤナ文化は拡散した、という。

 

 この車輪を用いた荷車はコーカサスの「マイコープ文明」からヤムヤナ文化に伝えられたが、それともにイラン南部から多くの人たちが、コーカサスを経由してステップに流入してきて、Y染色体のDNAハプログループのR1aの在地の集団と混血したのである。

 

 そうすると、Y染色体のDNAハプログループのR1aの在地の集団がイラン南部やカフカスなどの集団の影響を受けることで、インド・ヨーロッパ語族の祖先集団が形成されたのであるので、インド・ヨーロッパ祖語はY染色体のDNAハプログループのR1aの集団の言語を基層言語として形成されたのだと考えられる。

 

 このY染色体のDNAハプログループのR1aの集団が中央アジアから西方に拡散していったのは現生人類の初期拡散が終了してからであり、その時期は約25,000年から20,000前であったと考えられる。

 

 インド・ヨーロッパ諸語以外のウラル諸語やモンゴル諸語、ツングース諸語、チュルク諸語のなどの言語集団は、現生人類の初期拡散で広がっていたY染色体のDNAハプログループのQの集団の上に広がっていったのであり、それらの言語は基層集団であったY染色体のDNAハプログループのQの集団の言語の影響を強く受けたと考えられる。

 

 そうすると、Y染色体のDNAハプログループのQの集団の人称接辞と人称代名詞がnaを基本形としていたために、その言語を基層言語としたウラル諸語やモンゴル諸語、ツングース諸語、チュルク諸語などの人称接辞や人称代名詞もnaを基本形としたのであったと考えられる。

 

 そして、人称接辞と人称代名詞の基本形の違いは、その基層言語が、現生人類の初期拡散で誕生した言語であったかその後の移動で誕生した言語であったかによる、いわば、基層言語の新旧の違いに起因していたと考えられる。