私の心は相変わらず、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」方針で生きるように言ってきています。
それはそれでいいんですが、ふと気づいたんです。
この方針って、自分がなにをやりたいのか、なにをやりたくないのかを意識的にであれ無意識にであれ、常にチェックしなきゃいけないというストレスがない? と。
すると心は、「ついに気づいたか」などと、なんかカッコつけた返事をかえしてきました。
最近のAI絡みの話題でもよく出てくることとして、AIの答えを信じすぎてひどい目にあった、というのがあります。
AIは普通に間違いも言うから、その答えが正しいかはちゃんと自分で確認しなきゃダメ! と、その各AIの公式サイトにも大体書いてるかと思います。
それはそうなんですが、でもそれってストレスだよな、と感じるんです。
だって、「こいつ嘘ついてるんじゃないか?」と常に疑うっていうのは、常に警戒・緊張状態にあるってことだから。
そんなことを思ってると、人間はそもそも、「信じる」に快を感じ、「疑う」を不快に感じる生き物なんじゃないかな、なんてことも思ったんです。
そこから、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」のさらに進化系として、そういうことを感じる「自分の感性を絶対的に信じる」という境地に行けちゃえばもっといいのでは? と思いました。
とはいえ、それはそれで危険なのでは? とも思ったので心に聞いてみたら、「100%正解しか出さない存在でもない限り、なにを信じようが危険はつきまとうもんや」と言われ、まあそりゃそうだ、となります。
けど危険はさておき、そうなったら人生楽だろうなあという観点で思うと、自分を絶対的に信じることができればいいだろうなあとも思うんです。
ということで、それを実践する方法はある? と心に聞くと、「絶対的な愛やな」とのこと。
「なにをしようが、そんな自分を愛することや。愛せないという気持ちも、疑ってしまうという気持ちも、うまくいかないという気持ちも、全部な」
そんなこと実践できるもんなの? と聞くと、「できたりできなかったりする自分を、愛したり愛さなかったりするんや」と、いつもの心構文と言うべきものが返ってきました。
それを聞いた私は、「愛か……」と、それこそがまさに究極の答えなんだろうなあ、という思いを抱いたんです。