「自己肯定感」って、結局は「人生肯定感」だよな、ということを、今朝寝床の上で横になりながら、ふと思いつきました。

 

自己とはなにか? というのはいろんな見方があるでしょうが、結局のところ、自分の人生そのものが自己である、とも言える。

 

人生が幸せということは、すなわちその人生を生きている自分も肯定できているわけです。

 

逆に、人生を不幸だと感じているのに、でも自己肯定感が高いということがあり得るか? と考えると、それこそ言葉の定義次第ではあるかもしれませんが、私にとってその場合の「自己肯定感が高い」というのは、偽の自己肯定感だよな、と思うんです。

 

自分は素晴らしい人間なのに、社会や世界がそんな自分を認めないから人生は不幸だ、と感じている場合、それって本当に自分を素晴らしい人間だと思えているの? とツッコむと、多分違うんじゃないかなと。

 

 

さて、そんなことを思いついたはいいんですが、例によってその先が思い浮かばなかったので、心に聞いてみました。

 

「自己肯定感なんぞ上げようとする暇があったら、楽しいことやれ、って話やな」

 

それを繰り返しているうちに、自分が本当に望むものというのが段々わかるようになり、さらにはそれを肯定できるようにもなっていって、つまりは自己肯定感も上がると?

 

「本来なら『繰り返さなくてもいい』んやが、まあそういうことや」

 

……だそうなので、自己肯定感が低い! 自分が好きになれない! という人は、それはそれとして自分が楽しいと感じられることをやり、楽しくないことはやらない! を貫いてみるといいかもしれません。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

「健康」に関する本を読むことはそれなりに多いんですが、皮肉にというか、おかしなことにというか、逆にある意味当然と言えるのかもしれませんが、そういう本に非常によく書かれていることが「脅し」だったりします。

 

「◯◯するのは絶対ダメ!」みたいな文言ですね。

 

私は率直に言って、そういう文言は嫌だなあ、と思うんです。

 

もっとストレートな気持ちを言えば、「他人を脅してんじゃねえよ」という怒りや嫌悪感を感じる。

 

そしてなんとなくですが、「健康」という概念は結局のところ、そういう「脅し」からは結構遠い所にあるんじゃないのかな、とも思うんです。

 

科学やらなんやらで、これは健康のためにはやったほうがいい、やらないほうがいい、みたい知見はいろいろあるでしょう。

 

でも、「絶対に正しい」と言えるものははたしてどれだけあるんだろう? という疑問があるんです。

 

例えば「運動が健康にいい」というのはほぼ絶対の真理のように言われていますが、風邪やらなんやらで動くことすら大変な人にとって、運動はおそらく健康にはよくない。

 

この例ならわかりやすいですが、ハッキリした病気とまで行ってなくても、精神的に強い疲労状態にあったり、身体が実は疲れを蓄積していたりして、「今は運動するより休んだほうがいいよ」というケースも多いだろうな、と思うんです。

 

そしてここらもケースバイケースであり、精神的な疲労なんかは、軽く運動すると解消されるということも確かにある。

 

でも、そういう意見に従って軽く運動してみたら、なんかかえって気分も悪くなったぞ? ということもあるんです。

 

 

まあそんなわけなんで、私は「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」という基準が、とりあえずいいんじゃないかなあ、と思ってます。

 

この基準が絶対に正しいかなんてわからないけど、今のところは暫定これ、って感じですね。

 

そして私のこの基準で言うと、「他人を脅すような文言は読みたくない」ともなるんで、最初に書いたように、健康を謳って他人を脅すような本とかは、多分読まないほうが健康になるんじゃないかな? とも思うんです。

 

この例に限らず、わかりやすい言語化はできずとも、「なんかやりたいな」とか「なんか嫌だな」という感覚は基本大事にしたほうがいいんじゃないかなあ、とも思います。

 

これも過去に何度か書いてると思いますが、言葉というのはそれ自体がすごい力を持っているからこそ、「言語化できる」ということが過大評価されてる面もあり、「言語化できない感覚なんて偽物!」みたいな意見もあったりしますからね。

 

いやいや、先に感覚があり、言語化なんてのはその後でやってるもんでしょうが、と思うんですが、人は言葉によって自分自身すらも騙した気になれてしまう生き物なので、なかなか難しいものです。

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

「楽しく過ごすことにこだわる」というのは、一歩間違えれば発作の嵐に突入しかねない罠になります。

 

なぜなら、「楽しくないのは間違ってる!」というジャッジが働いてしまうから。

 

特に今の時代、ネット上に楽しいことがあふれまくっているので、「今やってることよりあっちのほうが楽しいかも?」という迷いが生じまくり、次々に「もっと楽しいこと」を求めまくる状態になりかねない。

 

なにかをやり終えても、「もっといい選択肢があったのでは?」と自分を責める可能性も出てくる。

 

じゃあどうすんの? と心に聞いてみると、「気にすんな!」と返ってきます。

 

気にすんな、で気にせずに済んだら苦労しないのよとツッコむと、「全てを気にすんな」と心は言う。

 

気にしてしまうことも気にしない。気にしない、ができないことも気にしない。

 

楽しさを求めて目移りしてしまうことも、発作の嵐に突入することも、自分の時間の使い方に後悔することも、全て気にしない。

 

もちろん、それらのことをそれでも気にしてしまうことも、気にしない。

 

ん? つまり、なんでもいいってことでは? と心に聞くと、「せやで」と心は答えます。

 

ならいいか、と私は、きっとこれからもいろんなことを気にしまくるんでしょうが、それはそれとして「まあいいか」の芽が心の片隅にひょっこり出てきたような、そんな気がするようなしないような――うん、まあいいや!

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

私の心は相変わらず、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」方針で生きるように言ってきています。

 

それはそれでいいんですが、ふと気づいたんです。

 

この方針って、自分がなにをやりたいのか、なにをやりたくないのかを意識的にであれ無意識にであれ、常にチェックしなきゃいけないというストレスがない? と。

 

すると心は、「ついに気づいたか」などと、なんかカッコつけた返事をかえしてきました。

 

 

最近のAI絡みの話題でもよく出てくることとして、AIの答えを信じすぎてひどい目にあった、というのがあります。

 

AIは普通に間違いも言うから、その答えが正しいかはちゃんと自分で確認しなきゃダメ! と、その各AIの公式サイトにも大体書いてるかと思います。

 

それはそうなんですが、でもそれってストレスだよな、と感じるんです。

 

だって、「こいつ嘘ついてるんじゃないか?」と常に疑うっていうのは、常に警戒・緊張状態にあるってことだから。

 

そんなことを思ってると、人間はそもそも、「信じる」に快を感じ、「疑う」を不快に感じる生き物なんじゃないかな、なんてことも思ったんです。

 

そこから、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」のさらに進化系として、そういうことを感じる「自分の感性を絶対的に信じる」という境地に行けちゃえばもっといいのでは? と思いました。

 

とはいえ、それはそれで危険なのでは? とも思ったので心に聞いてみたら、「100%正解しか出さない存在でもない限り、なにを信じようが危険はつきまとうもんや」と言われ、まあそりゃそうだ、となります。

 

けど危険はさておき、そうなったら人生楽だろうなあという観点で思うと、自分を絶対的に信じることができればいいだろうなあとも思うんです。

 

ということで、それを実践する方法はある? と心に聞くと、「絶対的な愛やな」とのこと。

 

「なにをしようが、そんな自分を愛することや。愛せないという気持ちも、疑ってしまうという気持ちも、うまくいかないという気持ちも、全部な」

 

そんなこと実践できるもんなの? と聞くと、「できたりできなかったりする自分を、愛したり愛さなかったりするんや」と、いつもの心構文と言うべきものが返ってきました。

 

それを聞いた私は、「愛か……」と、それこそがまさに究極の答えなんだろうなあ、という思いを抱いたんです。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

久々に「なんか書きたい! 具体的に書きたいテーマはない!」という気分になったので、書きたいがままに書いてみます。

 

そういえば以前は、ダラダラモードと言ってこういう状態で書いていたなあ、なんてことを思い出す。

 

じゃあ今もダラダラモードという言葉を使うかというと、別に嫌というわけではないんですが、なぜか特に使おうという気にはなれない。

 

こんな感じで、文章を書いたり、おそらくは言葉を口でしゃべるときも、「これはもういいや」という変化は起こるんだろうなと思います。

 

それは単純に飽きたというよりも、おそらくは内面の変化を反映している。

 

全てがきれいに説明できるわけではないし、する必要もないけれど、なにかが自分の中で変わったことで、選ぶ言葉も変わっていく。

 

だから逆に、使う言葉を変えることで自分の内面も変えることができるんだろうな、というのが私のカウンセリングの根底にある考え方、なのかもしれない。

 

とはいえ、じゃあ意識的に「前向きな言葉を使おう!」みたいなことをやればいいのかというと、必ずしもそうじゃないよね、というのもあるわけです。

 

そこは、なんか無意識に作用するのではないのでしょうか、という言葉を使ったほうがいい気がするし、一方でシンプルにわかりやすい言葉を使うのもありかなとも思う。

 

最近の私は、自分自身の感覚で「やりたいか、やりたくないか」を判断して動いているんですが、カウンセリングで使っている「十三技法」の内容を変える際は、その自分自身の感覚だとよくわからんとなって、普通に「心に聞く」や「クエリ」を使って決めています。

 

おそらくそのレベルになると、支配というやつが強烈に入ってきて、自分の感覚がわかりにくくなるんだろうなと思っています。

 

そう、支配は文字通り、自分の感覚すらも支配してくる。

 

それを喰らうと、自分が本当に感じていることがわからなくなったり、誤認したりすることさえある。

 

ただ私自身についても、昔に比べるとそういった支配はだいぶ(?)減り、自分の感覚というやつがだいぶわかるようになってきたかも、とは思うんです。

 

そして昔を振り返ると、本当はやりたくないことも、頑張ってやってたなあ、と思う。

 

本当に、頑張っていたな、と。

 

そんな自分を責めるとか、ことさら労うとかいうわけではなく、まあ頑張ったよお前は、なんてことを過去の自分に対して思うんです。

 

そして、そう思えるようになったこともまた、自分自身の変化の表れなんだろうな、とも。

 

 

 

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