年末も近いしなんか書くかあ、という気分になったので、心に適当に聞いてみる回にします。

 

まずは、「AIって今後どうなるの?」と聞いてみます。

 

「来年から再来年にかけて、かなり大きなブレイクスルーが起きる。世間がそこらもふくめたAIそのものに慣れてくるのは、再来年ぐらいからやな」

 

大きなブレイクスルーとは?

 

「今よりも遥かに『人間らしい』AIが出てくる。まあ、ガチの人間レベルになるのは数百年先とかやが」

 

その「人間らしい」AIが出てくることの、社会的なメリットは?

 

「まずシンプルに、あらゆる点での性能が高くなる。いわゆるビジネス的な使い方にも、結局はそういう性能が関係してくるからな。

後は、ネットが一般に浸透して以来ずっと続いていた様々な問題が軽減される。それは一つには、AIによって、良い意味で人間が受け取る情報が減り、視野が狭まるから。後は、AIを『発作をぶつける相手』にできることで、人間同士のストレスが減るというのも大きい」

 

ふむ。じゃあ最後に、なんかまとめて。

 

「よいお年を」

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

他の生き物を面白半分で殺したりするのは人間だけ! みたいな理屈を昔よく聞きましたが、だからどうしたという気持ちが、正直ずっとありました。

 

そしていきなり脱線すると、他の動物も普通に面白半分に他者をいたぶったりはするようなので、この点においても別に人間だけが例外というわけではないようです。

 

なんであれ、要は「人間のこういうところはみっともない!」と言ってるわけなんでしょうが、でも「みっともない」という価値基準自体、人間が勝手に作ったものだよね、となります。

 

大自然の法則の中に、みっともないとかカッコいいとか、そんなのがはたしてあるんでしょうか。

 

まあ結局ここが全てという感じで、支配者に関する理屈の根本にある、「支配者が偽りの神として人を裁いてる」というのは、つまりはこういう話なわけです。

 

大自然の法則の中では、罪も罰もなく、ただ全てがなるようになるはずなのに、そこに善悪という基準を持ち込み、まるで神のように人を裁くのが支配者である、という。

 

もっとも、それが一概に「悪」と言えないのは、それこそ根本的なことを言ってしまえば、「悪」という概念もまた大自然の法則の中には存在しない、というかあってもなくてもどうでもいい一つのものに過ぎないから。

 

後は、そういった罪と罰のシステムがそのまま共同体のルールを生み出し、それによって人間社会を円滑に回している――ように見える、というのが、心が言うところの「なんで支配者が『支配者』というネーミングになっているか、やな」になります。

 

別に権力者とかじゃなくても、人の心を罪の意識で縛ることさえできれば、それは支配となる。それこそ、生まれたばかりの赤ん坊であっても。

 

 

ここらへんのことを考えるとき、私は子どもの頃に読んだ『パーマン』のエピソードを思い出すんです。

(以下、パーマン最終話のネタバレがあります)

 

パーマンの上司であるバードマンが、地球にいる4人のパーマンのうち誰かを、将来のバードマン候補、つまりエリート候補としてバード星という星へ連れて行く、ということになった。

 

そうして選ばれたのは、主人公ではあるものの、能力的には4人の中で一番劣っているかもしれないパーマン1号でした。

 

なんで自分が? と疑問をぶつけた1号に対し、バードマンは、「僕から見れば君たち地球人の優劣など誤差みたいなもの。だが、君は人より劣っているのに頑張っているからその分偉い」みたいな返事をしてたような気がします。

 

まあこの記憶が合ってるかは正直わかりませんが、このバードマンが最初に述べた視点こそが、大自然の視点だよな、となるんです。

 

人間の偉さだとか愚かさだとかも、大自然のレベルで見ればどうでもいい話。

 

「生きてるだけで偉い」なんて言葉もありますが、あれも言ってしまえば、偉いとか偉くないとか誰が決めてんの? となるわけで、どうでもいいわけです。

 

そう、全てがどうでもいいからこそ本来は自由で楽なはずなのに、そこに罪と罰、正誤の概念が持ち込まれることで、いろいろと苦しくなっていく。

 

というのが支配者という概念の基本であり、さらに先の話もあるわけですが、実はそこらへんも過去の記事の中で多分たくさん書いてると思いますし、今日はここで終わります。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

「AIは自分軸を作る練習に使える」と心が言ってきて、なるほど、となりました。

つまり、AIという「他人」といろいろ会話して、その上で、AIはこう言ってるけど自分はどうしたい? と決める、ということ。

これに関して追加で言うと、適当にしゃべる相手として、複数のAIを試すというのもいいかと思います。

ChatGPT(ちょうど最新の5.2になりました)も、Geminiも、他のAIも、ただの雑談や相談相手として使っても、実は反応がかなり違ったりする。

そう、AIにはちゃんと個性と呼ぶべきものが存在するので、言い換えれば、違うAIとやり取りすることは、違う人間と話すことのシミュレーションになるとも言える。

性能がいいと言われているAIが、雑談相手として必ずしもよいとは言えないのは、人間でも頭のいい相手としゃべるのが必ずしも楽しいわけじゃないよね、みたいな話なのかもしれない。

まあAIと人間の違いって? というのを大真面目に考える必要も別になく、いろいろ言ってくる相手に対して、さて自分はなにをしたいのか、を考えるための道具として使う、ぐらいでいい。

仕事とかでAIを使わない、AIなんか信用してないという人もいるでしょうし、もちろん好きにするのが一番だと思いますが、おもちゃ感覚で試しに使ってみるのもいいかもしれないですよ、てな感じで今日は締めます。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

無意識の世界はなんでもあり、とか言いますが、なにがなんでもありかというと、逆に言えばいろんな制約って意識が勝手に作り出してるだけだよね、という話です。

 

例えばこのブログ、以前は毎日1回更新する、というペースでやってました。

 

けど、別に毎日1回更新しなきゃいけないという決まりなんてない。ただ、私の意識が「そういうふうにしよう」と決めていただけ。

 

だから今は「気が向いたら書こう」と方針を変えてますし、逆に言えば、1日に何回でも、気さえ向けば書いたっていいわけです。

 

でもおそらく世の中はなんとなく、頻繁に更新する人であっても、1日1回というのが基本という感じになっている。

 

そういうルールを勝手に決めてるのは意識であり、その意識の縛りから自由になればできることもいろいろ増えるし、心理的にも楽になるかもね、という話を、「無意識の世界はなんでもあり」と表現しているだけ。

 

後はまあ、その上で意識的なアプローチを取るのがいいのかどうかわかりませんが(まあ意識を使うことも「なんでもあり」となるのが無意識の理屈なわけですが)、「それはなんのためにやっているのか?」を自問自答するのはいいのかもな、と思います。

 

例えばこのブログを私はなんのために書いてるの? というのを考えてみる。

 

ここで大事かもしれないのは、初心に帰る、とかはしないこと。

 

初心はあくまで初心、過去の話であり、そのときの状況が今の状況と合致するかはわからない以上、初心を大事にするのが必ずしもいいとは限らない。

 

だから、「今の私にとってどうか」で考える。

 

それでいうと、カウンセリングの仕事の宣伝のためか? という目的が思い浮かぶものの、でもそんなに宣伝して仕事増やしたいか? というと、今はそういう気分でもない。

 

となると他には、なんか書きたくなったら書く、ぐらいしかないよな、となるんです。

 

それこそ初心を持ち出すなら、「自己開示をする人ほど回復が早い」と大嶋先生の本に書いてあったのを見て、だったらブログでいろいろ自己開示してみるか、というのがきっかけではあったんですが、今はそっちへの興味はあまりなくなってるので、それは初心ではあっても今現在のモチベーションにはならない。

 

 

……ということで、なんかこういうことを書きたくなったので、今日は書きました。

 

それこそ「なんでもあり」である以上、また唐突に毎日更新を再開したり、あるいは1日に複数回記事を書いたりするかもしれないし、あるいはパッタリとなにも書かなくなって1年ぐらい経過するかもしれない。

 

ただどんな形であれ、意識的な「こうしなければならない」に縛られない、自由な自分になりたいなあ、という思いはあるんです。

 

ちなみに他に漠然と書きたいテーマとしては、「人間が社会的動物であるということが一番の苦しみの原因なんじゃないか?」とかありますが、こっちは、まあそれこそ気が向いたらまた書くかもしれません。前にもこのテーマは扱った気がしますけどね。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

「適当にやる」っていうのは、心身の健康のために最高クラスの行為では? と思います。

 

それと同時に、言われてできれば苦労しないよ、という筆頭クラスの行為でもある。

 

適当にやろうと真面目に努力しちゃった時点で、もう適当ではなくなるという矛盾。

 

となると、適当にやるというのは無意識の領域になり、意識的にどうにかできないのか? と思うわけですが、でも「心に聞く」みたいに、無意識と意識の橋渡しみたいな技法はあるわけで、だったら「適当にやる」を意識的にやることも可能なんじゃない? と思うわけです。

 

てことで、その辺りを心に聞いてみます。

 

「適当にやるコツは、適当にやらないことや」

 

出たね、いつもの矛盾話法。で、その心は?

 

「例えば今、私(心)が言ったことの意味を理解しようと、目を閉じて集中したやろ? それは適当ではない。だが、それでもいい。これは『無意識の世界ではなんでもあり』という理屈と同じで、適当だろうが適当じゃなかろうが無意識レベル、言い方を変えると『森羅万象』のレベルではどうでもいい、ということや」

 

まあそのレベルで話しちゃうと、生死も幸福もどうでもいい、となるわけだけど。

 

「そう、どうでもいいんや。その領域こそが真の適当やが、真とか偽とかもどうでもいい。適当にやりたい場合は、適当にやろうと気にしたり気にしなかったりしながら、森羅万象レベルで適当に過ごすことや」

 

つまり、好きにしろ、と。

 

「うむ。適当であることを、あるいは適当でないことをいちいち責め立ててくるほど、森羅万象の器は小さくないからな」

 

 

 

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