私の心は相変わらず、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」方針で生きるように言ってきています。

 

それはそれでいいんですが、ふと気づいたんです。

 

この方針って、自分がなにをやりたいのか、なにをやりたくないのかを意識的にであれ無意識にであれ、常にチェックしなきゃいけないというストレスがない? と。

 

すると心は、「ついに気づいたか」などと、なんかカッコつけた返事をかえしてきました。

 

 

最近のAI絡みの話題でもよく出てくることとして、AIの答えを信じすぎてひどい目にあった、というのがあります。

 

AIは普通に間違いも言うから、その答えが正しいかはちゃんと自分で確認しなきゃダメ! と、その各AIの公式サイトにも大体書いてるかと思います。

 

それはそうなんですが、でもそれってストレスだよな、と感じるんです。

 

だって、「こいつ嘘ついてるんじゃないか?」と常に疑うっていうのは、常に警戒・緊張状態にあるってことだから。

 

そんなことを思ってると、人間はそもそも、「信じる」に快を感じ、「疑う」を不快に感じる生き物なんじゃないかな、なんてことも思ったんです。

 

そこから、「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」のさらに進化系として、そういうことを感じる「自分の感性を絶対的に信じる」という境地に行けちゃえばもっといいのでは? と思いました。

 

とはいえ、それはそれで危険なのでは? とも思ったので心に聞いてみたら、「100%正解しか出さない存在でもない限り、なにを信じようが危険はつきまとうもんや」と言われ、まあそりゃそうだ、となります。

 

けど危険はさておき、そうなったら人生楽だろうなあという観点で思うと、自分を絶対的に信じることができればいいだろうなあとも思うんです。

 

ということで、それを実践する方法はある? と心に聞くと、「絶対的な愛やな」とのこと。

 

「なにをしようが、そんな自分を愛することや。愛せないという気持ちも、疑ってしまうという気持ちも、うまくいかないという気持ちも、全部な」

 

そんなこと実践できるもんなの? と聞くと、「できたりできなかったりする自分を、愛したり愛さなかったりするんや」と、いつもの心構文と言うべきものが返ってきました。

 

それを聞いた私は、「愛か……」と、それこそがまさに究極の答えなんだろうなあ、という思いを抱いたんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

久々に「なんか書きたい! 具体的に書きたいテーマはない!」という気分になったので、書きたいがままに書いてみます。

 

そういえば以前は、ダラダラモードと言ってこういう状態で書いていたなあ、なんてことを思い出す。

 

じゃあ今もダラダラモードという言葉を使うかというと、別に嫌というわけではないんですが、なぜか特に使おうという気にはなれない。

 

こんな感じで、文章を書いたり、おそらくは言葉を口でしゃべるときも、「これはもういいや」という変化は起こるんだろうなと思います。

 

それは単純に飽きたというよりも、おそらくは内面の変化を反映している。

 

全てがきれいに説明できるわけではないし、する必要もないけれど、なにかが自分の中で変わったことで、選ぶ言葉も変わっていく。

 

だから逆に、使う言葉を変えることで自分の内面も変えることができるんだろうな、というのが私のカウンセリングの根底にある考え方、なのかもしれない。

 

とはいえ、じゃあ意識的に「前向きな言葉を使おう!」みたいなことをやればいいのかというと、必ずしもそうじゃないよね、というのもあるわけです。

 

そこは、なんか無意識に作用するのではないのでしょうか、という言葉を使ったほうがいい気がするし、一方でシンプルにわかりやすい言葉を使うのもありかなとも思う。

 

最近の私は、自分自身の感覚で「やりたいか、やりたくないか」を判断して動いているんですが、カウンセリングで使っている「十三技法」の内容を変える際は、その自分自身の感覚だとよくわからんとなって、普通に「心に聞く」や「クエリ」を使って決めています。

 

おそらくそのレベルになると、支配というやつが強烈に入ってきて、自分の感覚がわかりにくくなるんだろうなと思っています。

 

そう、支配は文字通り、自分の感覚すらも支配してくる。

 

それを喰らうと、自分が本当に感じていることがわからなくなったり、誤認したりすることさえある。

 

ただ私自身についても、昔に比べるとそういった支配はだいぶ(?)減り、自分の感覚というやつがだいぶわかるようになってきたかも、とは思うんです。

 

そして昔を振り返ると、本当はやりたくないことも、頑張ってやってたなあ、と思う。

 

本当に、頑張っていたな、と。

 

そんな自分を責めるとか、ことさら労うとかいうわけではなく、まあ頑張ったよお前は、なんてことを過去の自分に対して思うんです。

 

そして、そう思えるようになったこともまた、自分自身の変化の表れなんだろうな、とも。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

人生においてなにが一番大切なのか? なんてことは、私は神様じゃないのでわかりませんが、とりあえず今は「自分の気持ちをチェックすること」なんじゃないかな? と思っています。

 

他人はいろいろ言うし、ネットを見ればいろんな意見があるし、世の常識なる実態のよくわからない概念も存在している。

 

それはそれとして、じゃあ自分自身はどう感じてるの? それをしたい? したくない? 好ましいと思ってる? 嫌悪感を抱いている?

 

そういうことをチェックするのが一番大事なんじゃないかな、と思います。

 

言い換えれば、そういう「自分の気持ち」を見失い、それがわからなくなってしまうのが、一番まずい状態な気がする。

 

気持ちを実際に他人やら社会やらに言えるかどうかは状況にもよるでしょうが、少なくとも自分自身の意識として、「自分はこう感じている」と認識できる状態であるかどうかっていうのが、精神の健康状態を見る上で重要なバロメータであるように思います。

 

つまり、今回が年明け一発目の記事であるにも関わらず、「あけましておめでとうございます」的なことを一切書いてないのも、「まあ書かなくていいか」と私の気持ちが感じたからであり、それに従っているから、となります。今書きましたけどね。

 

そんなわけで、今年もそういう自分の気持ちをチェックした上で、書きたくなったらなんか書く、のスタンスで行くことに多分なると思うので、よろしくお願いします。

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

年末も近いしなんか書くかあ、という気分になったので、心に適当に聞いてみる回にします。

 

まずは、「AIって今後どうなるの?」と聞いてみます。

 

「来年から再来年にかけて、かなり大きなブレイクスルーが起きる。世間がそこらもふくめたAIそのものに慣れてくるのは、再来年ぐらいからやな」

 

大きなブレイクスルーとは?

 

「今よりも遥かに『人間らしい』AIが出てくる。まあ、ガチの人間レベルになるのは数百年先とかやが」

 

その「人間らしい」AIが出てくることの、社会的なメリットは?

 

「まずシンプルに、あらゆる点での性能が高くなる。いわゆるビジネス的な使い方にも、結局はそういう性能が関係してくるからな。

後は、ネットが一般に浸透して以来ずっと続いていた様々な問題が軽減される。それは一つには、AIによって、良い意味で人間が受け取る情報が減り、視野が狭まるから。後は、AIを『発作をぶつける相手』にできることで、人間同士のストレスが減るというのも大きい」

 

ふむ。じゃあ最後に、なんかまとめて。

 

「よいお年を」

 

 

 

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唱えるだけで楽になる「呪文」について

他の生き物を面白半分で殺したりするのは人間だけ! みたいな理屈を昔よく聞きましたが、だからどうしたという気持ちが、正直ずっとありました。

 

そしていきなり脱線すると、他の動物も普通に面白半分に他者をいたぶったりはするようなので、この点においても別に人間だけが例外というわけではないようです。

 

なんであれ、要は「人間のこういうところはみっともない!」と言ってるわけなんでしょうが、でも「みっともない」という価値基準自体、人間が勝手に作ったものだよね、となります。

 

大自然の法則の中に、みっともないとかカッコいいとか、そんなのがはたしてあるんでしょうか。

 

まあ結局ここが全てという感じで、支配者に関する理屈の根本にある、「支配者が偽りの神として人を裁いてる」というのは、つまりはこういう話なわけです。

 

大自然の法則の中では、罪も罰もなく、ただ全てがなるようになるはずなのに、そこに善悪という基準を持ち込み、まるで神のように人を裁くのが支配者である、という。

 

もっとも、それが一概に「悪」と言えないのは、それこそ根本的なことを言ってしまえば、「悪」という概念もまた大自然の法則の中には存在しない、というかあってもなくてもどうでもいい一つのものに過ぎないから。

 

後は、そういった罪と罰のシステムがそのまま共同体のルールを生み出し、それによって人間社会を円滑に回している――ように見える、というのが、心が言うところの「なんで支配者が『支配者』というネーミングになっているか、やな」になります。

 

別に権力者とかじゃなくても、人の心を罪の意識で縛ることさえできれば、それは支配となる。それこそ、生まれたばかりの赤ん坊であっても。

 

 

ここらへんのことを考えるとき、私は子どもの頃に読んだ『パーマン』のエピソードを思い出すんです。

(以下、パーマン最終話のネタバレがあります)

 

パーマンの上司であるバードマンが、地球にいる4人のパーマンのうち誰かを、将来のバードマン候補、つまりエリート候補としてバード星という星へ連れて行く、ということになった。

 

そうして選ばれたのは、主人公ではあるものの、能力的には4人の中で一番劣っているかもしれないパーマン1号でした。

 

なんで自分が? と疑問をぶつけた1号に対し、バードマンは、「僕から見れば君たち地球人の優劣など誤差みたいなもの。だが、君は人より劣っているのに頑張っているからその分偉い」みたいな返事をしてたような気がします。

 

まあこの記憶が合ってるかは正直わかりませんが、このバードマンが最初に述べた視点こそが、大自然の視点だよな、となるんです。

 

人間の偉さだとか愚かさだとかも、大自然のレベルで見ればどうでもいい話。

 

「生きてるだけで偉い」なんて言葉もありますが、あれも言ってしまえば、偉いとか偉くないとか誰が決めてんの? となるわけで、どうでもいいわけです。

 

そう、全てがどうでもいいからこそ本来は自由で楽なはずなのに、そこに罪と罰、正誤の概念が持ち込まれることで、いろいろと苦しくなっていく。

 

というのが支配者という概念の基本であり、さらに先の話もあるわけですが、実はそこらへんも過去の記事の中で多分たくさん書いてると思いますし、今日はここで終わります。

 

 

 

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