人生は、本來ほんらい、樂たのしいもの
樂たのしくないもの、辛いものにしているのは、
他でもないあなた
本當ほんとうのあなたは、
本當ほんとうのあなたに戾もどってくれることを、
本當ほんとうのあなたを思い出してくれることを、
今か、今かと、
待っています。
ただただ靜しずかに
戾もどれば、思い出せば、
樂たのしいことしかないことを、
幸せしかないことを、
知ることになるでしょう。
本當ほんとうのあなたに戾もどって、
本當ほんとうのあなたを思い出して、
樂たのしく幸せに生きていきたいあなたの
お手傳てつだいをしている
上西 呂佳です
ホントはね、
もうすでにみんな、本當ほんとうの自分なんだよね~
本當ほんとうの自分じゃなかったことはない。
本當ほんとうの自分以外にはなれないんだ。
だから、
本當ほんとうの自分に戾もどるという表現も
本當ほんとうの自分に還ろうという表現も
違ってる。
けど、言葉にも限界があるので、
そう表現するしかない
人はみんな、
生きてる閒あいだに、
樂たのしい經驗けいけんや辛い經驗けいけん、
苦しい經驗けいけんや嬉しい經驗けいけん、
その他いろんな經驗けいけんをする。
その、いろんな經驗けいけんをすることによって、
本當ほんとうの自分に汚れが付いていく
だから、
本當ほんとうの自分に戾もどるとは
本當ほんとうの自分に還るとは
付いた汚れを取って、
元々のピカピカな狀態じょうたいにしていくことなんだ。
家だって
車だって
窓や鏡だって
汚れたら掃除するでしょ。
掃除をすれば、
スッキリしたり、
汚れで見えにくかったものが
ハッキリ見えるようになるでしょ。
それと同じ。
いろんな經驗けいけんで付いた汚れは、
考え方や捉え方を歪ませてしまったり、
言動に制限をかけたりする
その狀態じょうたいは、
本當ほんとうの自分ではあるけど、
本當ほんとうの自分とは違うもの。
だから、いろんな問題を引き起こす。
というより、
問題に見えてしまう。
生きにくい
とか
人生投げ出したい
とかの思いが出てきて
本來ほんらい、樂たのしいはずの人生が
辛い人生となっていく。
そのままでいたいなら、
それでいい。
けど、本來ほんらいの人生にしたいなら、
その汚れを取るしかない。
汚れは、
氣きづくこと、
自分で自分を知っていくことで
少しずつ、少〜しずつ、取れていく。
ただ、過去世やご先祖樣さまをも含めた、
今までの全ての經驗けいけんから付いた汚れなので、
結構、こびりついてます。
しかも、何重にもなって分厚くなってます。
みなさんもよくご存知の通り、
こびりついた汚れは、
なかなか取れないので、
雜巾ぞうきんで何度も拭いたり、
洗劑せんざいもいるでしょ。
雜巾ぞうきんは自分のやる氣き、
洗劑せんざいは氣きづき方知り方を敎おしえてくれる人。
洗劑せんざいだけでも、雜巾ぞうきんだけでも、
なかなかなのは、想像つくでしょう。
本當ほんとうの自分磨きとは、
自分で自分を掃除していくこと
ピカピカな自分にしていくこと