芽キャベツの種と出會であい、植えてみたけど…
結局、芽キャベツは全くできなかった。
でも、花が咲いた。
ついでに、雜草ざっそうだと思うんだけど、
可愛い花を見せてくれた。
生きているっていう證あかし。
できることをする必要な時にしてるっていう證あかし。
植物は、
できるできないに關かかわらず、
そのまんまの姿を
堂々と見せてくれる。
まるで、これでいいんだよ
って言ってるよう。
人生は、本來ほんらい、樂たのしいもの
樂たのしくないもの、辛いものにしているのは、
他でもないあなた
本當ほんとうのあなたは、
本當ほんとうのあなたに戾もどってくれることを、
本當ほんとうのあなたを思い出してくれることを、
今か、今かと、
待っています。
ただただ靜しずかに
戾もどれば、思い出せば、
樂たのしいことしかないことを、
幸せしかないことを、
知ることになるでしょう。
本當ほんとうのあなたに戾もどって、
本當ほんとうのあなたを思い出して、
樂たのしく幸せに生きていきたいあなたの
お手傳てつだいをしている
上西 呂佳です
人の振り見て我が振り直せ。
っていう諺がある。
現實げんじつ世界は、二元なので、
自分とは、
言動が違う人、
捉え方が違う人、
想いが違う人等、
違うものを見ないとわからないようになっている
自分とは別の人を見て、
こんな人になりたいなぁ
とか
こんな人にはなるまい
とか
思うでしょ。
あと、自分の本音がわかったり。
そうやって、
見せてくれる人がいないと、
自分のことはわからない。
ただ、私は、
この諺のように、我が振り直せではなく、
我が振り知ろうの方がピンと來くる
直せということは、
今の自分を否定するから、
直そうと思うんだよね。
直そうとして直るものでもない。
直そうとする必要もない。
直そうというのが、
もうそのまんまじゃないし。
人の振りを見て、
自分を知る
そうやって、
自分をドンドン知っていく。
あっ、
私ったら、こんなところがあるわぁ。
とか
ホントは、こう思ってるんだ。
とか
こういうのが自分の好みだわぁ
とかね。
人ってね、
ホントは、
自分を知りたがってる生き物だと思うんだよ。
よく、
ホントのことを敎おしえてよ。
とか
ホントはどう思っているの?
とか、言うじゃない。
私が占い師をしてた時もよく言われた。
どんな結果でもいいので、
ホントのことを言ってください。
って。
ホントを知りたがってるのに、
ホントを知ろうとしない。
面白い生き物だと思う。
自分を知れば知るほど、
生きるのが樂たのしく面白くなってくる
そして、
知れば知るほど、自分が變容へんようしていく。
自分が變容へんようしていくと、現實げんじつも變かわってくる。
出來事できごとって、
起きる必要があって起きてるだけだから。
自分を知るって
いいこと盡づくし、
ご襃美ほうびだらけ
それより何より、
魂が尋常じゃない喜び方をしてくれるんで、
それがまた嬉しいんだけどね。