東京の階段ウォッチング -30ページ目

東京の階段ウォッチング

街の歴史や人の暮らしを感じながら歩く <uenchの東京の階段シリーズ>
「東京の階段」-都市の『異空間』階段の楽しみ方(松本泰生著)を参考に、
東京の階段を探して歩きます。
「uench 東京階段map」と連動していますのでぜひご一緒に♪

赤坂Bizタワー前の三叉路交差点から乃木坂方面に向かうと商店街の間から見えてくる小さな階段があり、そこを上がると実はかなり長くてびっくり!な階段があります。
そこを上って一ツ木公園→三分坂(さんぶんさか)→パークコート赤坂ザタワー脇の坂→丹後坂
と歩きました。
さすがに閑静な高級住宅地のたたずまい。
TBSの特番「オールスター感謝祭」のミニマラソンでもおなじみの坂の多いエリアです。

2018.01.07撮影

 

赤坂Bizタワー前の三叉路交差点

 

TBS南側の長い階段
港区赤坂5-4と5の間
斜面を斜行しながら上る102段の細く長い階段。上った先に一ツ木公園がある。

 

一ツ木公園

 

三分坂(さんぶんさか)
急坂のため、通る車賃が銀三分(さんぷん・百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説がある。

 

パークコート赤坂脇のなだらかな坂は優雅なラインが美しい。
敷地内の傾斜もデザインに含まれている感じです♪

 

丹後坂
港区赤坂4丁目2
元禄初年(1688)に開かれたと推定される坂。その当時、東北側米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。(港区HPより)
裾の広がった大きな階段との事だったけど、左半分だけになっている。(後で気づいたので要確認だなぁ)

 

 

 

王子権現からの続きです。
飛鳥山公園まで、そしてJR王子駅まで歩きました。

2018.01.14撮影

王子は日光御成街道(岩槻街道)沿いにあり、花見で人気の飛鳥山(18世紀に徳川吉宗によって桜が植えられた)に寄ったついでに王子神社や王子稲荷でちょっとお参りして行こうというので栄えた、いわば門前町なのかな?
明治大正昭和の初めにかけては、王子製紙を初めとする化学工場群が次々と建ち並び、屈指の工場地帯に。といっても戦時中は火薬工場などの軍用地としての立場を担っていたようですが。
そして戦後の焼け野原から、残った工場も徐々に撤退、住宅地として表情を変えていった町のようです。
そんな歴史の面影を探して歩くのも興味深いものです。

 


音無橋から親水公園への階段。

 


桜の頃の写真(2017.04.07撮影)
音無橋はコンクリート製三連アーチ橋で、欄干などに桜のデザインが施されています。

 


歩道橋からの飛鳥山公園
なだらかな階段が観客席になるような野外ステージ(飛鳥舞台)があり、案外な安価で使用できるらしいです。

 


飛鳥山公園北側に2009年に設置されてたモノレールに乗ってみました。
贅沢にも倍賞千恵子さん(寅さんのさくらつながり?)のアナウンス付き♪

 


飛鳥山公園への階段

 


飛鳥山公園入口にある、いつから顔がつぶれてしまったのか気になる地蔵

 


京浜東北線ガード下の都電荒川線

 

※20190707撮影分を追記します。

 

王子は飛鳥山公園を初めとした桜の名所で、音無親水公園から板橋方面への川沿いの桜も見事。
その公園脇から王子神社境内へつながる階段が味わい深いです。
春には何度も来ているのに、この階段には気づきませんでした。
なんと入口に門があり、これは神社の鳥居みたいなもんでしょうか?
そして、上がって行くとVの字に折返し、上の方は蛇行していて、それぞれに風景が変わります。
途中に大銀杏の木があり、きっと秋には紅葉が美しいに違いありません。
また訪れようと思います。

 


北区王子本町1-1
2018.01.14撮影

 

上から見おろした音無親水公園

 

上から見下ろすとこんな感じ

 

階段を上がると境内まで続く石畳があります。

 

社殿の前には大きなクスノキが。
開運招福や運気の回生、厄除けや家内安全、身体健全、交通安全などに御神威深き神社とのこと。

我が家はこのところケガ続きなので、念入りにお祈りしてきました(笑)

 

王子権現の歴史について
 王子という地名は元亨二(1322)年に領主豊島氏が熊野より当社を勧請した事に由来します。以来、熊野信仰の拠点として尊崇を集め、戦国時代は小田原北条氏も当社を崇敬し朱印状を寄せて社領を安堵しております。
 徳川時代、初代家康公は天正十九(1591)年に朱印地二百石を寄進、将軍家祈願所と定められて、それより「王子権現」の呼称で江戸名所の一つとなります。三代家光公は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて当社に奉納しております。
 その後も代々将軍の崇敬篤く、特に八代吉宗公は紀州ゆかりの当社を崇敬して元文二(一七三七)年に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としました。これが現在の花の飛鳥山の基です。
 明治元年には明治天皇より皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、現在まで東京の北方守護として鎮護しております。(頒布のリーフレットより)

 

20180410追記

桜の頃の画像を追加します

 

 

 

永田町を歩いてみました。お初です♪
国会議事堂や首相官邸、議員会館、記者会館などが建ち並び、まさに日本の政治の中心地。
日曜日だったせいか閑散としていましたが、あちこちに警官が立っていて近づくクルマを検問していたりして緊張(@_@;)
国会議事堂の前の国会前庭(こっかいぜんてい)になにやら由々しき何かがありそな階段を発見!

 

階段の詳細は未確認ですが、この土地の歴史は・・・
幕末の大老井伊直弼はここから内堀(桜田濠)沿いの道を桜田門に向かう途中の路上で桜田門外の変に遭った。明治時代になって当地は国有地となり、はじめ弾正台、のちに参謀本部・陸軍省が置かれた。そして陸軍省が廃止された戦後に衆議院の所管に移され、周囲の土地区画整理や道路拡張の後に洋式の庭園に整備された。・・・とあります(Wikiより)

 

千代田区永田町1丁目1
2018.01.07 撮影

 

随分立派な焼却炉があるなあと思って近づいたら、何やら説明書きがあり、これは日本水準原点標庫といって、日本水準原点を保護するための建物とのこと。
ローマ風神殿建築に倣い、ドーリア式オーダー(配列形式)をもつ本格的な様式建築で明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重なもので、東京都指定有形文化財(建造物)に指定されている。(Wikiより)
こりゃまた失礼しましたm(_ _)m

 

 

国会議事堂。右が参議院、左が衆議院だど♪

 

茱萸坂(ぐみざか)
江戸時代に、大名屋敷の間の坂の両側に、茱萸の樹が植えられていたことから、茱萸坂と呼ばれたそうです。
日枝神社の祭礼時、この坂において行列の順番付けをした故事から別名番付坂とも呼ばれているそうです。
右手に国会議事堂、左手に衆議院別館、奥に国会記者会館、その先に首相官邸。

 

 

 

 

創建の年代は不詳である。文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした[1]。・・・(Wikiより)

ここは初めて訪れた時に、時間がなく暗くなってしまったので再度参拝。
後で他にも階段があると知って3度も行きました。
出世と縁結びのパワーがあるとの事で、3回分のお願いをぜひ叶えてもらいたいものです。

 

千代田区永田町2丁目

2017.12〜2018.1 撮影

 

日枝神社 山王男坂(表参道)
永田町から山王坂を下った角を左に上ると、日枝神社の山の形をした大きな石の鳥居がありそこにある古い急な52段の階段が山王男坂。階段の先には日枝神社の正面、いわゆるこれが表参道。

 

稲荷参道の「千本鳥居」があり、そこはまるで異空間を感じさせるような細い階段です。

 

西参道の階段

平成12年完成(?)の山王橋参道(裏参道)の建設に伴い、以前は西参道と稲荷参道の入口は一つだったが、この時に南北に分かれることになったとのこと。

 

外堀通りに面した山王橋参道(裏参道)の鳥居にかかる大階段は、隣接する超高層ビル 山王パークタワーの建設に伴い新設されたもので、エスカレーターも設置されている巨大階段です。

 

日枝神社から永田町の国会議事堂は山王坂で結ばれていて、なだらかだけど結構な傾斜がある坂。

 

山王坂の途中にある衆議院議員会館に映る国会議事堂
 

ちなみに日枝神社を探して道に迷い上ってしまって後悔しそうになったこの急な坂は「新坂」(赤坂七丁目と八丁目の境界)
別の名を遅刻坂とも呼ばれていますが、官庁に向かう役人、登 校を急ぐ学生がかばんをかかえてかけ上がる風景からよばれたといいます。

左手は日比谷高校