BGM用

 

 

18日夜に総合ランキング

3位確定

 

 

最終節、

数年不動の2トップ、いしさん、アキラさんが

ともにシーズン最高ポイントのボケを叩き出し、

3位アキラさんに順位を抜かされて終わりました。

結局、2トップは不動のまま牙城は崩せず。

 

この終わり方じゃ、

カッコつかないと思っているのだけど。

 

 

 

去年12月1日、記念にとっていたスクショ

 

順位こそ一時首位だったけど、

今にして思えば、この程度のポイント差なんてあってないようなもの。

 

 

大喜利グランプリのシーズンが終わるにあたり、

書き連ねた記事を全部読み返したいところなのですが、

僕はとにかく長文だから、読み返す気が失せて1つも読み返せず。

 

 

ただ、

この記事だけは、中でも大事なものだと思っているので載せます。

 

 

 

冒頭の一文。

 

 

”大喜利をやってて最後が笑いでオトせないのはおかしい!
ランキングで順位落としたとか、

過去の発言が一貫できてないとかよりも、

これこそ恥ずべきことなのだ! 最後は笑顔で終わらせる。”

 

 

このブログは…

大喜利を突き詰めた先には、生きる上での悟りがあると信じてやっていますが、

この言葉はその一つだと思っています。

 

 

 

昨年末、

真剣にボケをひねり出した後、超シリアスになって書いた記事

 

 

もう気持ちはブレないはずだったのですが、

『宣言』した後も、

結果を見るのは怖いままだったし、

回答が億劫でスタートダッシュが遅れた時もあった。

結局、一貫は出来ていなかったのです。

 

そして、何度目かの優秀作品からの選考漏れが起きます。

 

紹介した言葉は、

レールから脱線してしまった後、

その気まずさと失意の中で気づいたことです。

 

ここで僕が具体的に言うべきことはすでにその記事の中に書いてあります。
 

2重3重にうまくいかない状況に対する、

あがきであり、重荷の降ろし方であり、希望の見つけ方であり…

 

何よりも苦境に対する長尺のボケ回答です。

 

 

 

その後、よく『〇〇大喜利』と言いながら、

大喜利方法の試行錯誤と共に大喜利グランプリを進めていきました。

 

言い方を変えれば、もう黙々とやるには辛いものがあったのです。

 

 

1月、

なぜ常に1位がいしさんで、

なぜ常に2位がアキラさんなのかを考察したことがありました。

 

 

僕の中で、

1位いしさんは、少数精鋭で投稿しています。

 

2位アキラさんは、尊敬に値するほど常に大量投稿しています。

 

記事でやった考察では、

大量投稿すると個性の強いボケが10選に選ばれちゃうリスクが高くなり、

必然的に1位になれないという結論です。

 

その後、僕は、

少数精鋭にすべきと分かっていながら、

絞りきれず毎回大量投稿なのを気にし続けます。

 

僕のは

「管理人さん、僕は絞りきれないんで、手間だけどこの中でいいやつ選んでください!」

っていう管理人さん頼りの

『お願い!管理人さん方式』でした。

 

 

しかし、

4月に入ってからのシーズン終盤、

僕は堂々とこれで行くことに決めました。

 

そもそも、このやり方で僕は上位に来ました。

 

 

頼ればいい、堂々と。

 

 

考え方をポジティブにしました。

 

 

大喜利をやる中で、僕にはこのブログか欠かせないものです。

もしかしたらブログの方が大事かもしれない。

 

現状をお知らせしたり、辛さを露呈したり、笑いを誘ったり、

誰かが見守ってくれる、意見してくれる、笑ってくれる、という状況と共に大喜利を続けています。

人との交流の中で。

だからどのボケも、

すべて薄っすらみなさんとの共作であり、

そうやってやるのが僕の大喜利なのです。

 

また、

管理人さんの選出には不満がある時もありました。

しかし、

そのボケじゃ票伸びないよと思った選出ボケが、相当数伸びた時もありました。

その時は自分の誤りと、管理人さんの確かさを感じました。

 

管理人さんは敵対するものではなく、

ブログで繋がった人たちと同じ様に、

僕にとっては最後に頼れる味方の一人であり、

最終的には助けてくれると信じて投稿することに決めたのです。

 

以上が大喜利グランプリで辿り着いた僕の大喜利スタイルでした。

 

 

同時期、

大量投稿する順番をマイおススメ順にして投稿していました。

20個投稿するとしたら、

1番目が一番掲載してほしい本命ボケで、20個目はあんまりという並びです。

 

「そういう風に送りますから!」

なんて一言も言ってないので管理にさんに伝わっていたかどうかは分かりません。

 

その後、1番目のボケが選ばれることはありませんでした。

僕のおススメと、管理人さんの選出はズレ続けた訳ですが、

最後の最後、

最終回だけ、1番目のボケが優秀作品に選ばれていました。

 

こういうボケ(お題は省略)

 

 

「私を選んでくれて嬉しい。ありがと」気分も乗せてくれる

 

 

僕もその気持ちです。

 

最後は管理人さんと考えが一致しました。

 

総合順位の落ち方が衝撃的だったので、

その日は気持ちが全部持って行かれましたけど、

冷静になってきたら、ここは良かったところでした。

 

 

大喜利グランプリは、

優秀作品10選の絞り込みと、

その後ユーザー投票となる所に特徴があります。

尚、僕が知る限り、

参加ユーザーはみなさんその選出の妥当性について一度は疑問を持たれます。

 

そういう選出方法もあるんだ、と知ったことと、その課題、受け止め方…

あと、僕としては上で書いたような…

人を巻き込みながら大喜利をする、

人に味方してもらいながら大喜利をする、

そういう…自分の嗜好?傾向?が分かりました。

 

その辺が収穫です。

僅かながら悟りに一歩近づいたのではないかと。

 

あ、まだ、ありました。

 

1お題を1週間ずっと考え続けることを初めてやりました。

今となっては普通ですが、

当初は非常にやりやすさを感じました。

すごい時間的余裕を感じました。

基本的なことですが、そういう大喜利もあると経験させてもらいました。

 

 

大喜利 ✕ 順位、数的評価

 

をどう受け止めるかは課題として浮き彫りになりました。

 

でも、これが浮き彫りになったのはやはり良い事です。

 

 

↓トークも含めて面白かった動画…素朴に大喜利っての楽しいなって感じた。

大喜利をやろう!ってだけでも楽しいので、

順位や、ポイント数などの評価は必須ではありません。

 

でも、当たり前のようにネット大喜利だとこれが存在していて…

 

僕の場合、モロ影響を受けるのがよく分かりました。

 

 

匿名大喜利の場合、人の順位表は、公式サイト上では出てこないので、

僕は自分との戦いをよくやっていました。

今もですけど、目標に達せるかが怖くて気軽にボケられないという…

 

大喜利グランプリの場合、公式サイトで人の順位表が出るので、

人との競り合いを意識していました。

 

確かにただ楽しもうよりも、自分とでもいいし、相手とでもいいし、

上を目指そうと思った方が、質の向上はしそうですね。

 

でも度が過ぎると不穏な感じになっちゃうんですよね…楽しめなくなってくる…

 

完全に、数字、評価を無くすことはできないのだろうか。

 

ただ、かく言う僕も、

自分のブログで投票企画をやったことがあるので、

何の疑いも持たずやりますね、順位や数字で評価。

 

…。

 

この内容は今後、別の記事に託します。

 

 

最後ですが、大喜利グランプリでやった

大喜利、そのものについて。

 

 

自信あり、上位のボケを出せた回もちらほらありました。

 

しかし悔やむべきは選出漏れ…だけどもっと言うと、選出漏れよりも、

自分の中で納得のボケを出せないことが一番嫌でした。

 

競技としてもそうだし、楽しむ為としてもそうだし、共通しているのですが、

 

どんなお題でも納得(正解)のボケを出せる

 

のは達成すべきことです。

ハードルを上げて(正解)と付けました。

出せないと萎えますからね。

 

その為には、まず、お題はあるんだけど、

 

そこから自由になってボケを出さないと。

 

自由発想、と僕はよく言っていますが、自由の翼を得たい。

これはずっと課題。

 

 

 

この記事が終わると、

僕の大喜利グランプリは気持ち的にも一旦終了です。

 

ちょっと、寂しいですね( ;∀;)

 

僕の大喜利グランプリの参加について

見守り、コメント頂いたすべての方にお礼を。

 

ありがとうございました。

 

 

最後の最後に以下のランキングを紹介して終了致します。

 

ほんじゃあ(@^^)/~~~

 

 

1位確定。