日本と大分と指原莉乃の左翼的考察|ケンケンのブログ -5ページ目

【書評】川上則道「『空想から科学へ』と資本主義の基本矛盾」

川上則道「『空想から科学へ』と資本主義の基本矛盾」の前半部分を読んだ。


前半部分は、エンゲルス「空想から科学へ」での資本主義の基本矛盾の定式についての不破哲三氏の否定的な評価を批判し、エンゲルスの資本主義の基本矛盾の定式の独自の意義を強調したものだ。
マルクスとエンゲルスの著作の精密な読解をした著作だが、すぐれて運動実践上の意義がある、というか、市井の学習運動での問題意識が基盤になっている。
不破氏がエンゲルスの基本矛盾論に否定的評価を与えたことで、学習運動で「空想から科学へ」はもう取り上げなくていい、という雰囲気になっている、という現状への危機感を背景にしている。
川上氏の結論だけ先に言うと、川上氏がここでつけているような解説をつければ、今でも学習運動で「空想から科学へ」は取り上げて当然の古典だということだ。
日本共産党前議長にして、現党付属社会科学研究所長で常任幹部会委員でもある不破哲三氏は、理論面では他の追随を許さない、絶大な影響力を運動圏では持っている。

エンゲルスの「資本主義の基本矛盾」論とは、「社会的生産と資本主義的取得の矛盾」が、(1)資本家階級と労働者階級の矛盾 (2)個々の工場での生産の組織化と社会全体での生産の無政府状態の矛盾としてあらわれる、というものだ。

不破氏は2001年から、その定式に疑問を表明し、その後、批判に転じた。それ以前の著作では、エンゲルスの資本主義の基本矛盾の定式は高く評価され、積極的に活用してきたことは言をまたない。

川上氏は、エンゲルスの基本矛盾論には、マルクス「資本論」第一部24章から引き出したものと推定したうえで、生産の無政府性を強調したことにエンゲルス独自の創造的理解と高い評価を与えている。

不破氏の見解では、剰余価値論と搾取がエンゲルスの基本矛盾では欠落しているとしている。その問題意識はエンゲルスの基本矛盾論から恐慌論を考えることの困難にある。
川上氏は、社会的生産と資本主義的取得の矛盾は、そのものが搾取を表現したものだとし、欠落してはいないことを論じる。ただ、エンゲルスの基本矛盾から、恐慌の必然性を直結させるのは誤りとする見田石介氏の見解を支持している。

川上氏は、不破氏のような誤読は他の研究者にも見られるとし、エンゲルスの説明不足を指摘する。当人には自明と思えることはあえて説明しない、という事情なのではないかと川上氏は推定する。

不破氏のエンゲルス批判を、僕はエンゲルスの基本矛盾論が静態的だというように理解した。川上氏も、「恐慌の運動論」にはエンゲルスの基本矛盾論を直結できないとしているので、僕の理解に変更の必要もない。

むしろ、問題はエンゲルスの基本矛盾論の独自の意義をどうとらえるかだ。
エンゲルスの言う生産の無政府性について、マルクスは「資本論」で言ってはいるが、エンゲルスのように定式化したわけではない。

マルクスはやはり「基本矛盾」の語で、恐慌に焦点をあてた、生産と消費の矛盾ということを論じている。不破氏のエンゲルス批判も、マルクスとエンゲルスの「基本矛盾」の異同を論じ、マルクスに軍配をあげる論法が最初だったと記憶する。不破氏はこのとき「生産のための生産」というマルクスの命題を強調し、確かに動態的だ。

川上氏は、マルクスの基本矛盾と、エンゲルスの基本矛盾は、対象が違う、ということで、エンゲルスの基本矛盾には恐慌はもちろん重要なポイントだが、現象面からもう少し奥の方にある、本質面のことを言ってるのだ、という論だと僕は理解した。

エンゲルスの基本矛盾を恐慌の必然性に直結させる、という雑な「空想から科学へ」理解を克服しようという探究が不破氏の誤読の背景にはあるようだ。

誤読のポイントとして川上氏が重視したのが「社会的生産」の語義である。
エンゲルスの基本矛盾においては、「社会的生産」は、集団的な協業と分業による生産の意味で用いられている。ところが同じ用語でも、「生産の社会的性格」を含む場合もあって、「空想から科学へ」にも、こちらの用語法があるという。「生産の社会的性格」とは、「人間網の目の法則」のことでどんな商品も商品交換を通じて社会的な性格を持っている、ということだ。エンゲルスの基本矛盾が、「生産の社会的性格」と「生産物の資本主義的取得」が矛盾する、という意味だとなると、確かに搾取の契機は抜け落ちる。
「生産の社会的性格と資本主義的取得の矛盾」という定式はレーニンの「経済的ロマン主義」にあるもので、レーニンの議論の当否とは別に、エンゲルスの基本矛盾とは別の定式になっているという、角田修一氏の論を紹介している。
そういう川上氏の過去の解説論文でも「生産の社会的性格と資本主義的取得の矛盾」として、エンゲルスの基本矛盾を誤読した解説をしていると自身で紹介している。
この混同はむしろスタンダードだったことを川上氏は指摘している。岡本博之監修「科学的社会主義」とか、労働者教育協会編の概説書とか、学習運動の教科書でも共有されていた誤読だったことには、軽い戦慄すら覚える。

生前の上野俊樹氏は、エンゲルスの資本主義の基本矛盾とマルクス「資本論」の関係を口頭でよく問題にしていた。上野氏自身の見解を披歴したわけではなかったように思う。
上野氏が心酔していた見田石介氏がエンゲルスの基本矛盾について論じたことがどの程度、頭にあったのか、立命館大経済学部の同僚だった角田修一氏の見解をどう思っていたのかも、僕にはわからない。あるいは、本書で指摘されている、見田・角田両氏の見解と、スタンダードな教科書との違いが念頭にあったのかもしれない。

本書の後半は堀江正規「文章のよみかた」というマルクス主義古典書の読解法についての本を解説・検討する章になっている。

どうやらこの本は、現在ではAmazon kindleでしか入手できないらしい。僕はペーパーバックで入手。
電子書籍はまだ購入したことがない。

#VIVANT考察 の考察 出雲大社と神田明神と天照大神の直結はあり得ない

ドラマ「VIVANT」についての考察が盛んだという。


グローバルなテロ組織とそれとたたかう日本の秘密警察(公安部外事課)と自衛隊の秘密組織(別班)との三つ巴と、謎が散りばめられた展開を見せられたら、確かに考察はしてみたくなる。


その中に、出雲大社と神田明神と天照大神を直結させ、テロ組織テントの名は「お天道様」に由来する、という見解があるらしい。

神田明神の主神(一之宮)は、出雲大社と同じオオナムチということが根拠とされる。



調べてみると、六本木に「出雲大社東京分祠」というのがあって、こういう出雲大社を本社と仰ぐ神社じゃないと、実は直結してはならない。同じ祭神を主神にしているからといって、系列神社であるとは限らない。

神社は、全国チェーンの系列のはっきりした神社と、地場のローカルな神社とがある。出雲大社は、直営式でチェーン店方式ではないようで、分詞・大教会・分院・教会・講社といってあまり多くないようだ。

出雲大社の全国の出先社の一覧はなぜかオフィシャルサイトにはない。人気の高い神社なので、いくつも一覧ページがそれぞれにつくられている。

有名な全国チェーン方式の神社は八幡社とか天満社とか、同じ名前を持ってるものだ。




神田明神の二之宮はスクナヒコナで、三之宮が平将門。

こういう祭神構成の場合、本来の主神は平将門と見るべきで、なんらかの理由で由来を出雲系ということにした、ということだと思う。

国つ神が本来の主神である場合、古代国家神道との関係だけでなく、さまざまな地域の政治的社会的な事情から、天つ神を上に乗っけていたり、記紀神話に登場する類似の神に置き換えたりしていることが多い。

例えば、八幡社の総本社の宇佐神宮の場合、主神は応神天皇だとされているが、本来の主神は明らかに副神の比売大神の方で、むしろヒメ神の由来を隠ぺいしたことが疑われる。歴史学者も八幡神は「謎の多い神」とコメントする。



オオナムチとスクナヒコナは国づくりのコンビとして記紀神話に登場する。(その物語は僕が小学校低学年のころ、童話として教科書に載っていた)神田明神は、商売繁盛の神様なので、それにふさわしい祭神だとは言えるだろう。どっちが先なのかはわからないが。

本来の主神が平将門なのであれば、江戸幕府の崇敬を神田明神が受けた理由がよくわかる。徳川家康の江戸入府以来、関東の平将門信仰を徳川氏が重視し、崇敬していたことはよく知られる。


平将門はもちろん、出雲のオオナムチも、アマテラスとは、直結できないのは、浅学ながら、神話学と歴史学の常識だ。スピリチュアルの方面でもかなり常識らしい。

記紀神話にある出雲の国譲りは、ヤマト政権が強制的に出雲政権を服属させ、その代償として出雲の神々に天つ神としての高い位置づけを与えたストーリーである。(ざっくりではこのストーリーで専門家間の合意があるが、細部については諸説あり)


ゆえに、出雲系の神社や神々は、皇祖神であるアマテラスとは別の系譜であり、見方によっては対立的ですらある。当の出雲系の神社はもちろん、伊勢系と対立姿勢はとってはいない。


だから、テントが「天道」に由来するということはあり得ても、それをアマテラスに直結させるのほあり得ない。

ドラマ制作陣が、この程度の知識もリサーチせすにストーリーづくりをしたとしたら、せっかくの大きなスケールのドラマなのに、そこは雑で残念、という話になると僕は思う。だから、出雲大社・神田明神・天照大神を直結させる考察は当たってないことを僕は願う。


「VIVANT」が意味ありげに神田明神や出雲大社を配してるのは事実だ。

リアルの日本国家は、もちろん皇祖神アマテラスを最高神とする系譜だ。日本国憲法で政教分離を定めていて、現行憲法下では天皇や首相が必ず伊勢神宮に参拝する、というのは、僕は憲法違反の慣行だと思うが、現実にはそういうことなのだ。政権交代があって、野党時代にはあまり伊勢神宮に参拝していなくても、自民党政治家でも首相になるまでは伊勢神宮参拝とかしていなかったのに、首相に就任すると伊勢参拝に行くのだ。

自覚的な無神論者である僕には理解できないが、そうしなくてはならない「何か」が日本国家にはあるらしい。


ドラマには、公安部外事課の一同が神棚に礼拝するシーンもあった。公安警察というのは、秘密のベールに覆われた存在だが、だからこそフィクションでは好き放題に描ける。本当に公共機関の職員が集団で神棚に礼拝なんてしてたら、それこそ憲法違反だが、やってることの多くが違法行為の公安ならやってそう、という感覚がw

おそらく、あの神棚はアマテラスか伊勢系の神のいずれかなんだろう。


リアルの神社界は、ときに神社本庁の専横が問題になることはあるが、それは地域の神社と神社本庁との矛盾だとか、過疎で常駐の神職がいない神社が増えているとか、といった世俗的な問題として扱われ、「神々の争い」になることはない。宇佐神宮でのように、宮司の世襲と氏子会の対立が起こって、神社本庁に宮司を交替させてもらう、というようなことが、神社本庁の権力を強めることになってはいるが、その後の宇佐神宮で神社本庁任命の宮司と氏子会が対立するというようなことも、現代的な出来事であって、やはり「神々の争い」とはならない。

フィクションのテロ組織なんて、どうせカルトなんだから、精神的な基盤の世界観がどんなにデタラメでも、「いやあ、そこはカルトだから」と阿部寛なり堺雅人に言わせればそれですむ。

本来の主神が土着の国つ神で、後世に天つ神を主神に乗っけた、というのも古代国家神道とか、その後の展開の中で何かの都合で行われたことであり、国家神道との関係をうまくやっていこうとした、ということにほかならない。


テントについての情報もまだほとんどドラマでもないんだけど、神々の争いをからめたいのであれば、平将門にせよ、出雲系にせよ、テントはアマテラス・伊勢系に敵対的な神をバックにしなければならない、ということだ。そんなんで、モンゴル系民族が多数を占めるバラカになにがしかの拠点を置く国際テロ組織、というのは無理があるとは思うが、どうせ無理だらけのドラマなんだから、とも思う。





#のり弁 「情報公開」についての意見書(ばいじん公害をなくす会大分)

僕は「ばいじん公害をなくす会大分」の役員を務めています。日本製鉄を主要な発生源とすれる降下ばいじんその他の公害の改善を求める団体です。
会のFacebookページの以下の記事から転載します。

2022年5月に日本製鉄大分地区で起こった死亡事故について、大分労働局がばいじん公害をなくす会大分の情報公開請求に対し行なった「のり弁」公開(画像参照)について、22年12月に不服申立てをしていました。
23年3月に、国の情報公開・個人情報保護審査会に諮問され、会にも意見書提出を求められたので以下の意見書をメールで提出しました。

なぜこのような「のり弁」公開が行われるのかについての推測と改善要求も、審査内容に関係ないという見解もあるかと思いますが、国の責務と国民の権利実現にとって重要なことと考え、付記しました。

なお、独特の法律用語がありますが、
「現処分」とは、大分労働局が行った「のり弁」公開の決定のことで、「諮問庁」とは、厚生労働省のことです。

  2023 年(行情)諮問第 274 号に対する意見書


  2023 年 4 月 14 日
ばいじん公害をなくす会大分

行政機関情報公開法(以下、「法」とする)第 1 条は、政府のいわゆる説明責任を定め、「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な業績の推進に資することを目的とする」としている。
また、法第 5 条は、公開請求を受けた文書について、原則として開示し、例外として不開示情報を限定列挙している。
法第 6 条は、不開示情報のみを除去して公開する部分開示を定めている。
本件原処分についても、形式的には部分開示であるが、有意な情報とされ、開示すべき情報と不開示情報に該当する部分との区別が行われていない、と思われる。
すなわち、不開示となった部分には、不開示情報に該当しない情報が多く含まれると、請求人は考える。
また、法第 6 条は、部分開示の要件として「不開示情報が記録されている部分を容易に区分して除くことができるとき」としている。本件原処分は、この区分について、まともに検討したのかが疑わしいほど、粗雑かつ乱暴に判断し、事実上の不開示とも表現したくなるほど広い範囲を不開示としている。諮問庁による理由説明書においても、この区分についてまともに説明されていない。

例えば、労働安全行政においては、各種の研修等において事故事例の概要を紹介し、これからの事故防止のための教訓を得ることが行われている。この事例紹介においては、個人情報、法人情報、公共安全情報、行政運営情報等の、法第 5 条に定める不開示情報は当然に除去されている。すなわち、事故等において、不開示情報と開示情報の区分は容易に可能であることを示している。

原処分および諮問庁理由説明書は、あまりに粗雑かつ乱暴に、安易に不開示部分を広範囲としていることは、先行事例、ことに各種判例といったレベルにとどまらず、法の主旨の根本をまったく理解していないものと言わざるを得ない。情報公開請求については、不服申立から諮問まで 3 か月、諮問から裁決まで 1 年程度かかるのが通例だとされている。
行政庁が一旦、こうした粗雑で安易な行為をなすと、たとえ、不服審査によって救済されたとしても、多大な時間と労力を国民に強いるものとなり、法に定める行政機関の責務や、国民の権利の実現に多大な障壁を設けるものとなっている。国民の権利実現を事実上、妨げる本件処分のごとき行いは、地方自治体の情報公開行政と比較しても極めて低質で、国の行政への信頼を損なわしめるものである。また、本件原処分について、現処分庁が粗雑で安易な行為をなしたのは、何らかの省力化圧力が強くはたらいたことによるものだと、請求人は推測しているが、これにより、情報公開・個人情報保護審査会その他の行政機関の事務量はむしろ圧倒的に増大しているがゆえに、不服申立から裁決に至るまでに要する時間は示していると思われる。このような省力化圧力がなぜいかにして生じているのかを行政機関全体として再検討し改善することが、実は行政機関全体としては効率化となり、それが国の責務と国民の権利実現にもつながることを認識するように求めたい。
仮に本件原処分のような粗雑な不開示処分が頻発しているのであれば、国民の権利実現と国の責務の遂行に、不服申立て手続きを経た 1 年以上の年月を必要とし、事案によっては権利実現や法の趣旨の実現に決定的な毀損が生じるおそれがある。行政機関全体の猛省と抜本的な改善を求めたい。

以上

























【日本科学者会議大分支部声明】「戦争の準備」ではなく、「平和の準備」を

僕の所属している日本科学者会議大分支部が、安保3文書、軍拡予算、陸上自衛隊大分分屯地敷戸弾薬庫での長射程ミサイル保管庫の新設に反対・抗議する声明をプレスリリースしました。

以下に掲載します。

 

 

立憲主義と暮らしを踏みにじる「異次元」の軍拡に反対

 「戦争の準備」ではなく、「平和の準備」を

2023  4  18 

日本科学者会議大分支部

 

 1. 「異次元」の大軍拡予算 

軍事費を前年度比 1.3 倍化する大軍拡予算が 3 月末に成立した。今後 5 年間では、1.6 倍、総額43 兆円の軍事費、10 年後には GDP  2%(年 10 兆円超)の軍事費を政府は計画している。こうした巨大な軍事費は、昨年 12 月に防衛省が策定した安全保障関連 3 文書(「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」)を具体化したものであるが、政府は国会の実質審議も経ないまま閣議決定を行ない、さらにはこの計画をバイデン米国大統領に約束し、大統領から満足の返答を得た。米国優先・国会(国民)軽視の首相の姿勢は、大軍拡政策が米国の意向に基づくものであるこ

とを示している。

 

 2. 子育て予算は吹き飛ばされ、軍事優先で社会がゆがめられる 

この大軍拡の財源として、増税、歳出削減、国債増発が必要だとし、今年度予算においても、政府・与党が公約していたはずの、子ども関連予算の大幅拡大が見送られるほか、生活関連予算の削減が行われている。「大砲かバターか」の古典的な争点の再浮上である。学術研究の関連では、大学や研究機関の基礎的な研究費の抑制が継続される一方、軍事関連の研究開発予算は約 3 倍とすることが今年度予算に盛り込まれ、軍事研究への研究者の誘導が強化される方向である。

 

 3. 「敵基地攻撃能力」整備は、憲法と立憲主義の破壊 

安保 3 文書では、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えて、その整備がうたわれている。

安保法制は、憲法違反の集団的自衛権(他国間の戦争への参戦権)の限定的な行使を容認したが、その後も、政府は「専守防衛」を堅持するとしてきた。安保 3 文書は政府の従来の憲法解釈をも踏み越えて、先制攻撃を発動しうる内容となっており、憲法と立憲主義の破壊をさらに進めるものとなっている。その最初の具体化である今年度予算では、巡航ミサイル「トマホーク」など長射程のミサ

イル配備を盛り込んでいる。安保法制で公然と行われた立憲主義の破壊が、学術会議会員の任命拒否事件などとともに、法治主義を踏みにじり、平和主義のみならず、国民の生活や権利をもおびや

かすものにまでなっている。

 

 4. 敷戸弾薬庫の大拡充は、県民を核攻撃の危険にさらす 

安保 3 文書の中には、全国 300 の自衛隊基地について核攻撃被害も想定した強靭化計画が組み込まれている。その一つが、陸上自衛隊大分分屯地の敷戸弾薬庫の大拡充であり、「敵基地攻撃能力」を担う、長射程のミサイルを保管する可能性のある施設を新設する予算も盛り込まれている。敷戸弾薬庫は、住宅地のど真ん中にあり、保育園、小中高校、大学、病院その他に隣接しているだけでな

く、大分駅へ約 6km、別府駅へも約 16kmに過ぎず、一般道・大分自動車道でのミサイルなどの輸送による危険も考慮すれば、多数の大分県民が戦争の犠牲になりかねない危険を内蔵している。

もちろん、その危険は平時においても格段に高まる。

 

 5. 軍拡のエスカレーションではなく、外交による「平和の準備」が現実的な安全保障 

ロシアのウクライナ侵略による不安が、中国の脅威と結びつけられる世論誘導が行われている。

しかし、米中戦争に日本が参戦するという無謀な想定にもとづく異次元の大軍拡計画は、軍拡の相互エスカレーションを招き、抑止の名の下にかえって戦争の危険を増大させる愚策である。岸田政権の「台湾有事は日本有事」という言明は、「専守防衛」の枠を超え、安保法制整備にあたって示された「限定的な集団的自衛権の行使」の限定すら撤廃しかねないものである。

ロシアによるウクライナ侵略は断じて許されないが、NATO の東方拡大による封じ込め政策が、ロシアの暴発を招いた、という面では、ロシア・ウクライナ戦争は NATO の外交的失敗であること

を直視し、外交による平和解決こそが戦争回避の道であるという教訓が引き出されねばならない。

 

 6. 戦争では誰も得しない 

米中戦争への日本の参戦は、日米中いずれにも生産や流通の混乱のために多大の犠牲や経済的損害が発生する。もとより、日本国憲法の平和主義原則と人権尊重原則は、深く結びついたものであ

り、アジア太平洋戦争が多大の軍事的被害と経済的損害をもたらしたことの反省にもとづくものであることを私たち日本国民は忘れるべきではない。

ロシアによるウクライナ侵略の短期的な帰趨がどうなろうとも、中長期的には、国際社会でのロシアの信頼が失墜したことは、ロシアの国益を大きく毀損したことは明らかである。

 

 7. 戦争の準備ではなく、外交や文化による平和の準備を 

中国、台湾、米国、日本各国の経済的な相互依存関係は深く、国民相互間の文化的理解も可能である。ロシアのウクライナ侵略や中国の脅威を口実に、米国の言いなりに軍備拡大を進めることは、憲法の平和主義に反し、日本の安全を脅かすだけでなく、国民生活や人権をも圧迫するものである。

異次元の軍備拡大路線に反対と抗議の意を表明するとともに、経済関係での結びつきの深さを踏まえ活かした、外交や文化交流による「平和の準備」の強化を求めるものである。

 

以上

 
 

 


 

大分合同新聞4月19日付の記事(電子版は会員限定記事)

https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2023/04/19/JD0062277494

 

大分市議補選の選挙公報に異状あり

大分選挙区での参議院議員補欠選挙が全国的にも注目を集める激戦となっている陰で、大分市議会議員補欠選挙も行われている。※

欠員が1で自民と共産の一騎打ちだ。ほとんど注目されず、市議補選があることも知らない大分市民が多いのが実情で、参院補選の投票に行ったら、市議補選の投票用紙も渡されて面食らう方が多いだろう、という状況だ。


他のエントリーも参照してもらうとわかるが、僕は日本共産党のいわさき貴博候補(元)を推す立場だ。

大分市議補選に、ちょっとした変事が生じている。


選挙公報の紙面だが、自民党候補が掲載申請をせず、広大な空白が生じている。


市議選は公式の選挙期間が短く、選挙公報配布が間に合わないんじゃないか、という心配をせねばならないところだ。

無党派の政治に関心の強い友人が、大分市選管のサイトに行って、PDF版を見て

「有権者としてとても蔑まれた気分」とツイートしていた。



ツイッターではあまり広がりを見せていないが、Facebookでは、僕の周囲で党派を超えて疑問の声があがっている。

先日の大分県議選の立憲民主党推薦候補だった下垣裕美子さんは、この件を理由に「いわさき候補に投票する」とまでツイートした。彼女がいかに歯に衣着せぬツイートをしてようと、ここに踏み切るのは並大抵でない怒りだ。



普通なら、自共一騎打ちで共産党候補に勝ち目は薄い。関心が低いことに勝機があるかも、と思って選挙活動をしている。

ただ、こんなすごい「敵失」を自民党候補はしてくれた。

この「敵失」を活かさない手はないだろう。


この自民候補に何があったかは、僕には知る由もない。衆院大分1区支部長(立候補予定者)となった前県議の秘書だった方らしいが、知人のメディア記者さんは「前県議の秘書に能力もスタックも欠けてるはずがない」と首をひねっていた。


参院大分補選では、立民の吉田ただとも候補を共産党も支持している。吉田さんの支持者の多くは共産党候補に投票することに抵抗感が強いだろうが、この選挙公報を見たらどう思うだろうか?


もしいわさき貴博くんを勝たせられたら、ちょっとした衝撃力を持つだろう。


安保3文書にもとづく大軍拡予算(前年度比3割増)で、大分市内に長射程ミサイル保管庫が新設される計画だ。この計画を撤回に追い込むのには、いわさきくんの市議会復帰が有効だと思う。




※市町村議会議員補欠選挙は、議員定数の6分の1以上の欠員が出た場合には、即時に行われるが、欠員がそれほど多くなくても市町村長選挙があれば一緒に行われる。