今年のテーマは、藤原氏。紫式部も藤原氏ビックリマーク

ってことで、藤原道長の墓はてなマークから移動してきました。宇治陵34。


伝 藤原冬嗣夫妻墓所。





お願い



藤原冬嗣

平安初期の政治家。右大臣内麻呂の二男。後の嵯峨天皇が皇太弟となったとき春宮大進、春宮亮となり信任厚く、天皇即位後は昇進が著しかった。810年(大同5)3月に初めて蔵人を置いたとき蔵人頭を兼ね、同年9月の薬子の変後式部大輔ついで翌年参議に昇進、以後順調に昇進して右大臣となり、淳和天皇即位後、左大臣に昇進し、嵯峨朝および淳和朝初期の重要政務に関与した。また勅命を受け『内裏式』『弘仁格式』を撰修した。その子良房は嵯峨天皇皇女の源潔姫を妻に迎え、その女順子は仁明天皇の妃となり、後の文徳天皇を生むなど皇室との血縁関係を強く結び、藤原北家興隆の基礎を築いたが、一方では氏寺興福寺に南円堂を建て、勧学院を創立するなど藤原氏全体の繁栄のために尽くした。広大な邸宅閑院に住み閑院左大臣と称せられた。天長3年7月24日死去、文徳天皇即位後外祖父のゆえをもって太政大臣を追贈された。


振り返って。



燈籠。



許波多神社へ移動してきました。走る人

京都府宇治市木幡東中 1番地




由緒。



参道。



鳥居⛩️



手水舎。





拝殿 お願い







宇治市名木百選。



お休み石 🪨 天武天皇ビックリマーク



私も腰掛けさせていただきました〜お願い





で、許波多神社前に、宇治陵36(藤原基経の墓)







宇治陵の文字を確認。

藤原基経

平安前期の官僚。藤原長良(良房の兄)の第3子で、母は藤原乙春。藤原良房の養子となり、養父を継いで氏長者となり、いわゆる藤原摂関家隆盛の基礎をつくりあげた。


裏側。



JR小幡駅。



JR宇治駅。



JR木津駅。











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