最近は文書の作成はもっぱらワープロを使用するうえ 家庭用のプリンターが安くなったことにより 年賀状等も手書きをしないので 文字を書く機会がめっきりなくなっていた だが実際にプリントアウトするのも年賀状ぐらいだし 不景気な昨今ほんとに親しい人のみしか年賀状も出さなくなったりするのと 意外とレイアウトが面倒だったりするので 今年から手書きに戻そうと思っている といっても字がきたいないほうなのでうまくなろうと思い買った本が以下の本である
- 田中 鳴舟
- みるみる字が上手くなる本―一週間集中講座
- 一日A4用紙3枚ぐらい練習しているが三日目にして自分でも上手になってきているのが実感できる 一文字一文字をどのように書くときれいに見えるかということがわかりやすく書かれている本なので役立っている ARTとまではいかないが 文字をきれいにかこうとする意識が美意識の高揚に関係するように思える・・・
2、3年前だが フランスの民族について買いてある本を立ち読みし気になることが書いてあったが そういうものが火種で いまの暴動につながったのかと思得る ようはアラブ人であれ黒人であれ オリジナルまだいい オリジナルとオリジナルのかけあわせは最悪という考え方が台頭していきているというようなものだったように覚えている
不況下において移民の2世3世が仕事につけず その社会のお荷物的存在となっていることのうえに さらにアイデンティティーのなさに 存在意義すら見失い 自虐的さ増幅させているのであろうか
小泉流の派閥にとらわれず本人本位で人を登用するというのは一面社会の活性化を促す作用はあると思う ただいかなる方法をとろうとも負け組の敗者復活の機会をあたえたり スローに生きる人の場を提供することも必要であると思うが そういうもののひとつとして中日新聞でとりあげられていたが 既存の銀行では融資がされない人への融資を可能にするようなNPOもものような仕組みが必要なのだと思う・・・
ケーキとお菓子を売っているお店にあったバス
最近は 細部にまでこったというかアート的な物が増えてきたように思う
このバスは子供が欲しがったので買ったものだが 置物としても使えるようにできている
自分の子供のころから比べると世の中成熟した世の中になったものだと思う
題名を忘れたが ある弁護士が北米の田舎町で公害の被害者を弁護するうちに 金儲け主義や自己の名声をかなぐり捨て真実を追究しようとするが 仲間も自分も自己破産して ついに信念を曲げて相手方と和解してしまうが その後も一人で真実を追究し証拠をそろえてのだが 依頼者も費用もなく その資料を公的機関にすべてたくし その企業は罰金を科せられ 汚染した土壌を莫大な費用をかけてもとにもどすという映画をみた
誰しもでないが 何かをきっかけに 今で積み上げたものをふとかなぐり捨ててでも 何かを成し遂げようと思うときがあるものだと思う そういうときに個々人の耐えれる限度がことなり 人と人との関係がこわれもし 新たな出会いも生じるのだろうが 最後に自分が満足できれば幸せなのだと思う がそれでもそういうことの繰り返しではまだ何かが足りない気がするのだが
並外れて優れた聴覚を持つ盲目の少年の世界を詩的に描く人間ドラマと紹介されるサイレンスという映画を見た。幼い子供をとりまく環境や大人にかぎらず個人の内なる世界という面からみても考えさせられるが、描き方が非常にアートである。マイナー?な映画はあまり見ないのだが、こういう映画もあるのだと感心してしまった。
年とともに感動がすくなくるなというか、自己の感情を制御できるようになる?という気がするが 自分の心に感じるものもどんどん変わっていくものなのだと実感させられる・・・・・
- 民岡 順朗
- 「絵になる」まちをつくる―イタリアに学ぶ都市再生
- これはなかなかためになる本です。題名以外にいろいろと役立つ本です。
- 「美的価値」については、古代ギリシア人がイデアに絶対美を求めて以来、「美は対象(つまり)に属す」という考え方が西洋哲学の主流であった。そしてイデアは・・・数学のような理性的・論理的アプローチでき客観的に把握できると、と考えられた。・・・・・・・・ところが、ヨーロッパのこうした知的伝統が、「現象学」の登場とあいまって大きく変化している。・・・現象学の立場からすると、「美は対象に属す」のではなく、「美は主体の認識のうちにある」ということになる。・・・あなたが美しいものと感じるものを、私も美しいものと感じるとは限らないからだ。・・・私は、さらにこの流れの延長線上に、美的価値から歴史的価値への重心の移動があると思う。・・・とあるが多くは美は主体の認識のうちにあるのだろうが一部には同時に対象にぞくする美があるような気がする。
- この本を読みおわ得ると提言の部分がよくわからない気もしますが示唆に富む本だと思います。
中日新聞だったと思うが ある現代美術画家が 最近の美術館で話題となる指定管理者制度や 入館者数を増やそうと四苦八苦している美術館の現状を嘆いていた記事があった
さまざまなかんがえあるが 批判されるものを運用している世の中が存在することは事実であり それを批判だけしてもしょうがないと思う 日々生きるのに四六時中哲学的なことを考えて行動するわけではない
それよりも自分がどう考えて現代美術なるものを製作しているかを見せて欲しいと思う 確か くまさん という人を取り上げた番組があったが 感覚的にそのひとの制作活動が理解でき 一人の芸術家を少しは理解できた気がした
中日新聞にキリンを題材にした作品が掲載されていたが その作品を見るかぎり アートな感じは受けなかった いかなる表現活動も保護される必要はあると思うが そう いう場の提供の確保は 住民の理解を得る必要はあると思う 芸術は発表者と受けてとのコミュニケーションがなければ育たないと思うから・・・
夫婦にか限らないが 逆境に落ちいったときに どのように対処するか 連れ合いがいるときには 互いの信頼関係が問われる また信頼関係があっても生き方の違いが明確になるときでもある そういうときにどうするか この映画の時代のように 価値観がそう違わない時代のほうが楽のような気もするが
互いの根源的な相違は美術に対する感想によく現れるきがする そういうシーンを映画の中でも使って欲しい気もするが
それにしても 子供の食べるものもないような事態におちいったときにどうするか イスラムの殉教者による自爆も理解はできるが そのような状況におちいらせないように 失敗したひ とにもチャンスを与える社会であってほしいし
極貧者への援助だけでなく リンダロッテンバーグのようにミドルクラスのチャンスに恵まれない人に適正な機会を提供することによりミドルクラスを厚くし貧困を結果的に少なくするという活動も非常に重要だと思うが そういうものが非常にアートだと最近は思える
久々にいい映画を見たと思う 大恐慌時代を家族のために 拳で生き抜いた・・・ 当時の時代背景を上手に描き出している アイルランド出身者らしく音楽もアイリッシュダンス系ののもので リバーダンス依頼味あわせてもらった こういう描き方は日本では無理なようで 極端にいうとアートな感じに仕上がっている気がする 題材はともあれ 意外とアイルランドの人を題材にした生き様を描く映画は多いようだ 結構記憶に残っている
映画は一度見るだけ でかなりいろいろ考えさせられるが 中日新聞に毎日万博に通った人の記事があり 何回も通うことにより見えてくるものがあったと紹介されていたように 美術は何度も見ることにより見えてくるものがあると思う いろいろなもに出会いいろいろ感じることが必要なのだと思う
日本で今ノーベル賞に近い人の記事も出ていたが 天才的な理論を有していなくても 事前準備をすることにより偶然でない必然な発見ができるように いろいろなものに接することにより 豊かな人生が遅れるのだと思う・・・
ブログを書くことも自分の思考のアウトプット作業として役立つように思える


