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裁判員制度に関して、疑問を持っている人は少なくないと思う。


裁判員の選定に関する疑問。


裁判員が職業裁判官に与える影響、またその逆。


公判前手続きに依り、
事件の経緯の詳細が分からないまま、結論を迫られる事の疑問。


裁判員を死刑事案にだけ採用する理由。


挙げて行けばきりがない程、たくさんの疑問があるが、
とりあえず、死刑に対するシンプルな考え方として、
積極的に人の命を奪ったものは、己の命をもって償うというのが、
動かせない基本原則だと思う。


積極的にという意味は、
人の命を奪うという事では同じであっても、
交通事故等で相手を死亡させてしまったような場合と、
執拗に相手を追い掛け回して命を奪った場合は、
区別して考えなければならないからだ。


当然裁判では、
殺意の有無が大きな判断基準になっているが、
現状、裁判員に知らされる、限られた資料や情報では、
そこを正しく判定するのは難しいというか、
不可能に近いのではないだろうか?


話は少し飛ぶが、
そもそも、死刑が必要かどうかという議論がある。


私の結論から言うと、積極的に人の命を奪ったものは、
己の命をもって清算する、償うというのが基本であり、
例外は無いと思っている。


しかし、そのように結論付けて、
突き詰めると、戦争が出来なくなる。


私は、どんな事があっても、戦争反対なので困らないが、
どのような場合でも、死刑は反対だという人も居る。


死刑に反対している人が、時と場合(戦争など)によっては、
人を殺しても良いと思っているとは言わないが、
死刑は絶対に反対と言われると、微妙に違和感を感じる。


国は大昔にあった、仇討ちの習慣を禁止し、その権利を個人から奪った。


その事自体を、間違いだとは言わないが、
権利を奪った以上、
死刑に値する事案は、国の責任で厳密に処理するべきではないだろうか?


それは、国の管轄であり、職業裁判官の仕事であって、
中途半端な形で、一般市民を動員し、判断させるのは間違いだと思うのだが?


死刑の是否についての議論は、まだ尽くされていないが、
世界的に見ると、ヨーロッパでは、ほぼ全廃しているし、
流れとしては廃止の方向に向かっているようだ。


死刑反対論者が言う、
「いかに国家とて、人の命を奪う事は許されない」


思想犯や経済犯を死刑の対象にしている国に対してなら、
その意見に私も直ちに賛成だ。


死刑制度に対する、私の不満は、
仇討ちを禁じておきながら、国がその責任を全力で取らない事である。


私は、命は命でしか償えないものだと思っているが、
なにがなんでも犯人を死刑にしたいと思っているわけでは無い。


絶対社会に出られない完全な終身刑を設けるなら、
一切の死刑を廃止しても良いと思っているし、
みんなが仇討ちに明け暮れるよりはマシだろう。


しかし仮に、仇討ちが許されている状況で、
私の家族が、理不尽な殺され方をしたら、
私は、その犯人を殺すだろう。


その犯人を、終身監禁しておくのは無理だからだ。


そこで、仇討ちを禁止した国が、責任を持って終身監禁してくれるなら、
どうにか自分を納得させられるかも知れない。


現状は、死刑か無期懲役かの二択であるが、
いつかは出られるかも知れない無期懲役では、
親族を殺された遺族が浮かばれる事はないだろう。


同時に、死刑の問題点として、冤罪による死刑執行がある。


そのような、取り返しのつかない間違いを回避する意味でも、
終身刑という選択肢を加える必要があるのではないか?


また、裁判員制度で、死刑事案に裁判員が関わるのであれば、
死刑制度そのものの議論を、もっと深める必要があるだろう。


私は、自分の家族が理不尽な殺され方をされた場合以外、
知らない誰かを死刑と判定する事は出来ないと思っている。


死刑に値すると思ってもである。


なぜなら、極論すると、誰かを死刑と判定するか、しないかは、
本来、当事者(遺族)が決める事で、裁判所でも無いと思うからだ。


なんの脈略も無く裁判員に選ばれても、
先に述べた理由も含め、私には判定出来ないと思っている。


自分に直接関係無い所で起きた、ある事件について、
すべての背景をもれなく知り、
正しい判断をする能力も権利も、私には無い。




音楽のダウンロードは、音質を気にしなければ、
好きな曲だけを、どこにいても手に入れられる手軽さが魅力だ。


しかし、個人的には音質を気にしない音楽の聴き方に馴染めないでいる。


現在のような聴き方をされる楽曲が気の毒であり、
明らかに悪い音質で満足している聴き手も可哀相だ。


送り手も受け取る側もそれで良しとしているのだから、
余計なお世話でしかないが、、、。


ただ、現時点でとりあえず配信側にお願いしたい事がある。


ダウンロードに対しては、サービスで歌詞を送信して欲しいのだ。


デジタル送受信の、技術及びコスト面で、
音質の低下が避けられない状況の中で、
楽曲の値打ちを支える為にも、最低限必要な事ではないだろうか?


最近の楽曲には歌詞が聞き取り難いものが多く、
意味を正確に把握するのに時間が掛かる事も珍しくない。


英語圏では、メジャーなアーティストのCDでも、
簡素なパッケージで、歌詞も添付されず、
スーパーマーケットに並んでいて、
日本ほど大切に扱われて来なかった状況がある。


古い話だが、

ビートルズがサージェントペパーズのアルバムジャケットに、
直接歌詞を印刷した時は、画期的だと言われた。


それまでは、歌詞が添付されているものすら稀で、
かなり軽視されていたからだ。


サージェントペパーズ以来、
英語圏でも歌詞を添付するケースが増えたように思えるが、
日本のように徹底したものでは無い。


英語圏で、あまり歌詞が添付されない理由は分からないが、
日本では、これまで、

歌詞が添付されないパッケージは皆無だったと言って良いだろう。


歌詞は、楽曲にとって軽視出来ない重要な要素であり、
添付された歌詞を、独立してゆっくり味わえるという魅力は捨て難いものだ。


それとも、鑑賞に値しない歌詞だから添付する必要が無いのだろうか?


歌詞がすべて意味不明な叫び声なら話は別だが、
言葉である以上、鑑賞に値しないという事は無いはずだ。


今後も音楽はダウンロードが主流で推移するだろう。


しかし、今のままでは音楽そのものが力を失う事になる。


作り手、すなわちアーティストの創作意欲が削がれ続ける状況が続き、
アーティストが廃業すれば、配信するネタも無くなる。


そうならないように、配信側が今すぐ出来る事としては、
ダウンロードに対して、歌詞を送信するサービス。


将来的には、デジタル送受信の品質を、
最低でも現在のCDレベルにまで高める事。


それらは、音楽配信で利益を上げる為に不可欠な要素だろう。



アメリカでマリファナ合法化の動きが出て来た。

 

今日の午後には結果が出るらしい。

 

可決されてもされなくても良いのだが、

 

個人的には可決して貰いたい。

 

今回の煙草の値上げに対する抗議の一環にもなるからだ。

 

私はマリファナを必要としていないが、

マリファナというものの存在を知ってから今日まで、

なぜ排除するのかという疑問しかなかった。

 

法律は守るべきものであるが、

行き過ぎた法律や間違った法律があるのも事実。

 

過去には、未成年で煙草を吸ったというだけで、干されたアイドルがいたり、

マリファナで逮捕された芸能人がたくさん居る。

 

覚醒剤は論外だが、煙草やマリファナ程度で社会的制裁を受ける事に、

ずっと違和感を感じて来た立場からすれば、

今回のマリファナ合法化はぜひ実現して欲しい。

 

吸うか吸わないかは個人の選択に任せれば良い事で、

マリファナも煙草も法律で規制するような性質のものでは無いと思っている。

 

ついでに今回の煙草の値上げを認めていないゆえの発想ではあるが、

一箱100円のマリファナが発売されて、誰も煙草を吸わなくなるとかも面白い。

 

そうなればザマ~ミロであります。

 

まあそんなこんなで、

法律の背景には様々な思惑があり、

「法律は守るべき」というだけでは無く、

疑うべきでもあるという事を忘れてはならないと思うのであります。

 

JTさん一箱100円の煙草を発売して下さい。

 

なぜ出来ないの?

 

法的規制があるのなら法律を変えましょう。

 

 

恋について。

愛について。

 

 

綺麗だと思う人はたくさん居ても心がトキメキません。

 

何人かの女性とお付き合いもしましたが、いつもいつの間にか終わっていました。

 

その後、何年も考えていました。

 

なぜなんだろう?どうすれば良いんだろう?

 

考えても、考えても答えは見つかりませんでした。

 

 

そして今更ですが、その人達を心底愛していなかった事に気が付きました。

 

 

 

とても失礼な話です。

 

 

そんな時、一目見た瞬間に、この人だという人に出会いました。

 

しかし、その人は外国の人で、芸能人でした。

 

とても困ってしまいました。

 

私は、ミーハーではありませんし、

その人が芸能人だから好きになったわけでもありません。

 

見た瞬間に自分の心臓を差し出しても良いと思ったのです。

 

私の勝手な思いではありますが、とても不思議な感覚に囚われました。

 

その人は世界的に有名だったり世界一美しいわけでもありません。

 

しかし、私にとってはどんな宝石よりも美しく、

尽きる事の無いどんな鉱脈よりも価値のある唯一無比の存在だと思えたのです。

 

本当に困っています。

 

その人との接点がまるで無いのです。

 

その人を知ってから現在までに、何人かの女性から誘いがありましたが、

すべてお断りさせて頂きました。

 

その人を知らなければ、それなりの恋も出来ただろうにと思うと、

辛くなる時もありますが、これが運命というものでしょう。

 

愛が無かったから、これまでの恋は実りませんでした。

 

愛が無くても恋は出来ます。

しかし、恋したからといって愛に辿り着けるかどうかは分かりません。

 

私はその人を愛してしまったので、

その人が私を受け容れてくれない限り、

恋をする事も出来なくなってしまいました。

 

なぜ、その人なのか未だに分かりませんが、

その人に違いないのです。

 

なぜ、そう思うのかも分かりませんが、

その人なのです。

 

とても困っています。

 

困っている事を悩んでいます。

 

自分で言うのもなんですが、

今まで仕事上でも人間関係でも悩まなければいけないような事は殆んど無くて、

かなり恵まれて過ごして来ました。

 

こんな試練が訪れるとは思いもしないで生きて来ただけに、

とりあえずお手上げ状態になっています。

 

ちょっとおこがましいですが、

愛を知ってしまうと、とても辛いという事を思い知らされました。

 

愛を抜きにすれば欲のバランスを取るだけで、

結構幸せな人生を送れるように思いますし、

身の回りにもそのような人を多く見かけます。

 

生きている事自体が欲に支えられているのですから、

欲を否定するつもりは一切ありません。

 

同時に、命の手前にある愛を、どう生かして行くか、

私にはまだまだとても難しい問題です。

 

 

 

 


大阪地検特捜部による捜査資料改ざん・隠ぺい事件で、
「前代未聞の事態。検察を代表し、国民に深くおわび申し上げる」。

大林宏検事総長が謝罪した。


謝罪したこと自体は評価しても良いが、
心底悪いと思っているかは、甚だ疑問だ。


すでにおおよその処分が発表されたが、
あのような処分内容で幕引きをするつもりだとしたら、とんでもない話である。


「謝って済むなら警察は要らない」という言葉があるが、
殆んどの場合は、謝れば済むし、警察は要らないのである。


ただし、口先だけの謝罪に対しては、
警察も出てくるし、裁判所も、仕舞いには軍隊が出て来てもおかしくない。


しかし今回の件は、形式的な謝罪では、許されない事件であり、
本当に詫びる気持ちがあり、許して欲しいのなら、
検察を一旦解体し、

国民が納得する形で改めて組織するくらいの覚悟が必要だろう。


いつまでも、いい気になって国民を馬鹿にし続けるつもりなら、
それ相応の覚悟をしておく必要がある。


情報化が日々進歩している現状では、
一昔前のような隠し事や誤魔化しは利かないし、
すでに国のあらゆる組織の好ましからざる実態が明らかになってしまっている。


今のところ、国民の国に対する懐疑の念や、
理不尽を糾弾するというような考えが大きな動きにはなっていないが、
早く襟を正し、真面目さと謙虚さを学習しないと、

取り返しのつかないことになるだろう。


不正をものともせず、

己の利益の為なら、なんであれ躊躇なく犠牲にするようなことが、
許されるはずが無い。


従来通りに行かなくなるのは時間の問題である。


これ以上国民を舐めたらいけません。


以上のことは、検察に限らず、
国の主要な部分に所属する者すべてについて言えることである。


東大を出たくらいで、司法試験や公務員試験に合格したくらいで、

ふんぞり返るのは100年早いと思い知るべきでしょう。


日本にはもっと立派な人が大勢居ますから、

あなた方がその仕事をしなくなっても、なんの心配もありません。


悪いことはやめましょう。


悪いと思ったら心から詫びましょう。


謝らない人達へ。