正義という名の殺戮。
開発という名の破壊。
言葉は便利だが危険だ。
ぼんやりしていたら、取り返しのつかない事になってしまう。
リストラという言葉について言えば、
解雇と言われたら抵抗したかも知れない人が、
リストラと言われ、それならばしょうがないと大人しく会社を辞めて行った。
マスコミが、リストラに遭うのは恥ずかしい事ではなく、
会社を思い身を引くのは、
誇らしい事だと言わんばかりの宣伝をした結果である。
チャーチルは言った。
社会主義は富める者を引き摺り下ろすが、
資本主義は貧しい者を引き上げる。
一聴すると資本主義が良いように聞こえるが、
資本主義とて貧しい者すべてを引き上げるわけではなく、
社会主義より資本主義が優れているということにはならないのである。
福沢諭吉は学問のすすめで、
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり、
されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、
生れながら貴賎上下の差別なく、萬物の靈たる身と心との働を以て、
天地の間にあるよろづの物を資り、以て衣食住の用を達し、
自由自在、互に人の妨をなさずして各安樂に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。
されども今広く此人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、
貴人もあり、下人もありて、其有様雲と泥の相違あるに似たるは何ぞや。
其次第甚だ明なり。
と記しているが、これなど前段の出だしの部分だけが引用され、
大きな誤解を生んでいる顕著な例だろう。
偉人と呼ばれる人の言葉を引用するのは、
極めて効果的で実用的だが、
それを多用する者を、私はあまり信用しない事にしている。
何事も自分の言葉で語るのが誠実だと思うからだ。
また、先に挙げた言葉程ではないが、
とても気になる言葉に、行政サービスというのがある。
新聞でも、ニュースでも良く見聞きするし、
国会でも、当然のように使われている。
この表現を聞く度に、違和感を感じるし、
もっと言えば怒りの感情さえ覚える。
行政が行なう事は、サービス等ではなく、
すべて当たり前の事ではないだろうか?
当たり前の事をサービスと呼ぶ感覚がなんとも理解出来ない。
行政サービスという言葉は、マスコミが広めたもので、
行政の窓口を担当している職員が作った言葉ではないし、
彼等が自分の業務をサービスという感覚で行っているとも思わないが、
あまりに行政サービスという言葉が蔓延すると、
勘違いが起こってもおかしくない。
私は、行政の窓口に行く機会がほとんど無いので、
現場が今どのような状況かは良く分からないが、
もしかしたら、もうその勘違いが起きているかも知れないと危惧している。
行政がことさら市民のご機嫌を覗う必要は無いが、
あまりに機械的に対応されても困る。
その塩梅が難しいところだが、
当たり前の事をサービスという感覚で行なって貰うのは、
なによりも困るのであります。
「行政サービス」
この不快な言葉を使うのを、早くやめて欲しいものである。
公務員は公僕である。
公とは何か?
国と国民の境界は?
国とは何か?
国民とは何か?
ではどうするのが正しいのか?
私は、この点については明確な意見を持っているが、
ここで、持論を展開するつもりは無いので、
それぞれで答えを出されれば良いと思う。
「行政サービス」
この言葉を聞くたびに気分が悪くなる。
あ~腹減った。
飯にしよう、、、。