天上界の「道元」4号
2024年6月7日
そもそも「悟り」とは何か。
天上界の道元は、つぶやく。
そもそも「悟り」とは、何か。
われわれ人間は、今生きている。これがすべての出発点であり、原点だ。
その生命を支えているのは、父母の存在であり、兄弟姉妹の存在であり、先祖の存在であり、食料、空気、水、光の存在だ。それらがもしなければ、今の自分の存在は消滅するからな。
もっとさかのぼれば、地球、月、太陽、太陽系がなければならない。その先に宇宙そのものの存在というものに突き当たる。
話が少し大きくなってきたが、自分が、今生きている存在そのものの「背景」には、それだけの「重要」なことが隠されているということだ。
そこで、次から次へと疑問が出てくる。なぜなら、人間という生き物は「考える」という「大脳」が与えられているからな。
すなわち、
生命とは何か。なぜ死ぬのか。自分が生まれた目的は何か。なぜ自分は苦しむのか。なぜ坐禅をしなればならないのか。そもそも悟りとは、一体何か。
さらに、生命の仕組みとは何か。人生の仕組みとは何か。経済の仕組みとは。政治の仕組みとは。なぜ戦争がなくならないのか。
もっと言えば、自然界の仕組みとは何か。宇宙の仕組みとは何か。
そういう諸々の疑問が出てくる。それらの疑問を解決するのが、学問であり、科学であり、宗教、哲学であろう。
しかし、それらを学んでも、本当に自分が「納得する答え」を見つけることは難しい。納得するためには、「自分なりの答え」を見つけるしかない。
もちろんその答えには学問的、科学的な裏づけも必要となる。それら全部をひっくるめての「坐禅」だよ。
わしが言う「坐禅」には、そういう意味を込めている。
「悟り」とは、自分が本当に知りたかったこと
結論を言うと、わしが考える「悟り」とは、求めて、求めて、やっと得た自分なりの「気づき」ということになる。
もっと極端に言うと、自分が本当に知りたかったことはこれなんだ、というものだ。
この気づきに出会えたら、いつ死んでもよい、と思えるものだな。
そのわしの究極の「悟り」が、前に述べた言葉だ。
その「悟り」を得た時は、本当に日常見ている「景色が一変」したほどだ。
さらに、身近にいる人々への思いも、自分でも驚くほど「やさしく」なったことだな。
大事なことだから、繰り返すが、
「仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心、および他己をして脱落せしむるなり」
つまり、仏道の目的は、本当の「自分を知る」ことによって、「人間成長」を目指すことにある。
そのためには「自己の身心、および他己をして脱落せしむる」ことが大事となる訳だ。
その意味を、次に考えてみよう。
次号へ続く。