断捨離をしよう!(感情編 2) | じゆうなにじのわたしでいきる

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こんにちは!まじめっこですニヤニヤ

初日の出を見てきました。ほんのり。

前回、私が母に「謝れ!」と言い続けてきた、執着してきた10年あまりを、「無駄だったなー」と感じてきはじめたこと、「その間に色々な出来事があった、その出来事を感じてこれなかっただけで、無駄ではなかった!」と書きましたが、無駄ではなかったけど、「自分に向き合うこと」をサボっていた期間だったんだなぁ~と痛感していますショボーン
私は不器用で出来ないことも多かったのに、それを客観的にみて出きることを探す、んじゃなくて、「出来てない」こともわかってなかったので「出来てるハズ」「もし今出来てなくてもたまたま」みたいに、実際に「自分を客観的に見る」ことを避けて、さも「自分は出来ている」風を装おって人のことを「斜め上から批判」していた気がします。


「でも、、」が口ぐせで、「今のは、でもを使う時じゃなくない?!」と友達に指摘されたのがきっかけで自分の言葉を見直してみようと思い始めたのです。


19才の専門学校時代に実家を出て一人暮らしを始めたのですが、学校の課題(宿題がたくさん)と日常生活の両立が難しく、汚部屋と化していきましたが、遊びに来た友達にはビックリされますが、本人は「え?何が?」と分かっていなかったです。洋服や物が増えすぎての整理整頓
が出来なくなり、衛生面よりは物で溢れている、、部屋でした。


あれ?と思い出したのは、父が亡くなり、結婚して長男が生まれて、0才より保育園に通っていたのですが、先生より「集団生活を行うのに困難なので発達支援を受けて欲しい」と言われて、療育に通いだしてからです。


当時の私は自分自身のことも分かっていなかったので、当然息子のことも分からずに療育に通っていたので完全に受け身。先生におまかせ!って感じでほとんど夫も一緒だったので、コミュニケーションは彼のが出きるので私はただ、ボーッといるだけ、、だったような、、ガーン
3才半から通い始めて1年過ぎたくらいからか、ようやく先生の言葉が、「あれ?親の私たちに言ってる?」と感じるようになり、「あー、子供だけの問題じゃ、ないのかもしれないな、、」と思い始めたのでした、、。


それからやっと、本を探したりネットで情報を集めたり発達障害の当事者会に行ったりしだして、「私も夫も発達障害の傾向があるな~」と気付いて徐々に長男との関わり方を学んでいく過程で自分のことも客観的に見れるようになった感じです。


発達障害持ちで、発信されてる光武オーナー↓が「体は大人、心は5才」と言っていますが(以前の動画では良く言われてました)、ホントそんな感じ。母もそうだけど、脳の凸凹なのか?!妙に子供なところと大人なところ、こだわりの強いところが混在してる感じ。自分でそれを把握して、「自分の取り扱い説明書」を作って周りに理解してもらったりすると、発達障害の人は生きやすくなると言われていますが私の場合は客観的に自分を見れるようになったのがつい最近なので、当初はその遅さにも落ち込むことが多かったです、、笑い泣き



私の考えですが、一般的な発達障害の方が(すごい一芸というか、一凸に秀でてない)自分の取り扱いをなんとなく分かるまでって定型の人に比べて時間がかかると思うんですね。


ところが私は更にすんごく時間がかかった訳で、落ち込んだし理由探しをすんごくしてしまいました、、。一般的に母親は観察をすると思いますが、うちの母の場合は観察の「か」もなかったのでフォローバックが無いというか、例えば仕事を選ぶ基準が「面白いじゃな~い!」だったりするのでガーン、私が成長してたら、笑い飛ばせるのかもですが、当時は混乱、振り回されでいました。


私の考えでは「毒親!」と言いたくなる親は、脳の凸凹が大なり小なりあるので自分のことも子どものことも認知が歪んでいるので客観的な観察ができないんだと思います。


私は母の「普通じゃない面」ばかりをクローズアップして、「普通はさぁ~、常識的にはさぁ~ムキー」と「一般的な母親になって欲しい!」に固執してしまいましたが、やっぱり客観的に自分を見るには「基準としての普通」が必要なのでは?と思いました。「普通にこだわる」のではなくて、普通(一番人気とか、大多数)を知ることによって、自分のズレ具合とか好みを知ることが出来て、「ここは工夫して治そう(凹を平らにしていくイメージ)」とか、「ここはみんなとズレて違っているけど、生活に支障が無いし、気に入っているからこのままにしておこう!」とかが分かるんじゃないかなぁ~と思いました。


多分定型の人より、「考え方」とか、「取り組み方」とか「教えなくても分かる部分」を教えてもらわないと分からないのかな?という印象です。


あくまで私を含む私の周りの観察をしてきた考えです。


定型、発達障害は関係ないのかも知れませんが、身近な人(親)からの観察、フィードバックがなかったというのが私の脳の凸凹にスゴく影響があったんじゃないのかな~と思うので、、ショボーン

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今の私はこの母の育児を元に「反面育児」で子育てしてます照れ
うちは「お金がない、あっても子供には使わない」という信仰を親が持っていましたので、「欲しい!」とねだっても、まず買ってもらえませんでした、、。

次男とおもちゃ屋さんに行った時です。
「こえだちゃん」の木のおうちがあったので思わず、「え~これまだあるんだ~、子どもの時に欲しかったんだよね~!」と言ったら次男が、

「買ってくれないなんて、おばあちゃん意地悪だね!」と言ってくれたんです。

「え!?」と衝撃でした。
おばあちゃんなんて一言も言ってないのに分かるんだ?!という感心と、
「そうだよね、買ってくれても良かったよね!」という、幼少の私が癒やされる感じで「ありがとう、次男くん♡」な出来事でした。
↑木が上下するのが、たまらんのよね~ラブ

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そんな次男が年末に「あれ見たい~あの頭の中でニコニコしたりするやつと~白い雲みたいなのつけたおじさんが~」というので、後者は分かんないけど前者はアレだ!
「ピンクのゾウが出てくるやつでしょ?!」
なほさんのおすすめ『インサイドヘッド』だぁ~!
(後者の答えは最近分かったので最後に、、もぐもぐ)


前に一度見たのですが、今、次男が言い出したってことは、、今見たい!年末中に、、!
と思って家族に「見よう、見よう!」と言ってましたが、結局タイミング合わず新年に見ました。

家でお昼を食べた後に見たのですが、恥ずかしながら後半耐えきれずに、、寝てしまいましたえーんので、後日一人で見ました。


『インサイドヘッド』
ちょっとネタバレになってしまうのでご注意を、、ですが、

去年末に母への「怒り」が残っていたことを見つけてワークしてその「怒り」を手放し、母への執着も手放せたようで楽に軽くなりました。



そして今度は自分、、と思っていましたが、次の手がかりがなく、食いしばりも苦しいし、行き詰まっていました、、。

『インサイドヘッド』を見ていて、「これだー私!」と思いました。

それは、、「悲しみ」ぐすん

怒りの下にいた、「悲しみ」でした。


「喜び」が邪険に扱っていた「悲しみ」の重要さに気付いていくシーン!

「私だ」えーん

「これは私だ」えーん

「私も忘れていたよ、悲しみ」えーん

何度もそのシーンを見て泣きました。そして思い出していました。こえだちゃんもそうですが、小さい頃、親に何度伝えても伝わらなかった気持ち。何度訴えても汲みとってもらえなかった気持ち。邪険に扱われた小さな私の気持ち。


伝わらないから、諦めて、諦めざるを得なくて、仕方ないから今度はそれを「怒り」で覆い被せて武装して自分を守ってきたんだねえーん


食いしばりも、、嫌だなぁ~と思っていたけど、私を守っていてくれてるんだね、、えーん

ありがとうねおねがいと感謝して
手放せたら、いいな♡


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ディズニーすごいね!
これだけ見ると、アメリカで人種差別があるのが信じられないけど、、


最近、映画もそうだけど、ブログやYouTubeや色々なところで、「生まれたまんまの自分を愛そう」「好きなことをしよう!」というメッセージを良く目にします。


ライトワーカーなのか?発信を受けとっていきたいな~おねがいと思います!

昔、母の側で絵を書いていてピュアな私は
「世界がみんな仲良く平和だったらいいのに~おねがい」みたいなことを言ったら、

母に「そんなこと、あるわけないじゃない~ニヤニヤ」と半笑いで言われて幼いながらも驚愕しましたポーン

思えば私はここから病んでいったのかな?!
ゲッソリゲッソリゲッソリ

この出来事も苦々しく思っていましたがムキー
今は母関係なく、
「やっぱり私は世界が平和だったらいいのにな!と思って生きていたいな!」

と思いました。
「そんなバカなことあるわけないじゃない」
と言う人がいようと
例えそれが肉親であろうと
例えそれが母で、案の定「そんなこと、言ったかしら~ニヤニヤ」と言われようとチーン


♡☆★♡☆★♡☆★

次男の「見たい」もう1つの映画は、、
『トロールズ』でした♡

では、また~
読んでいただきありがとうございました!