血便のため、22~27日まで入院してきた。
11日の大腸カメラ失敗からこれまでの経過を書き出してみる。
11日(土)
大腸カメラ 下剤大量に飲むも便がきれいにならず失敗(※詳細はこちら)。
12日(日)
下痢続く。「ビオフェルミン下痢止め」を飲み収まる(※詳細はこちら)。
13日(月)
普通の便だが量は少ない。
14日(火)
血で赤くなった、ピンポン玉大のいちごジャムのような便が出た。
15日(水)
通常サイズの便の一部に粘液状の血が付いて出てくる。その後も肛門からポタポタと血が垂れる。
16日(木)
赤く染まった便。血は垂れなくなった。
17日(金)
かかりつけの医者へ行く。下血が出たりしたらすぐに来なきゃ駄目じゃないかと怒られる。肛門鏡という器具をお尻に突っ込んで観察。直腸に血が溜まってると言われ、大きい病院行った方がいいと勧められる。
18日(土)
大腸カメラを受けた病院へ行く。担当の先生はこの日は内視鏡現場で外来にはいなかったが、ぜひ見てもらいたいと言ったら出てきてくれた。昨日と同じように肛門鏡で覗くが、この時は出血は止まっており直腸はきれい、手前に小さな痔があるのでそこからの出血では?と言われる。便は正常。
19日(日)
通常の便。
20日(月)
通常の便。
21日(火)
夜、また便とともに血が多く出る。15日と同じくらい。かかりつけの医者に電話するが、内視鏡の病院に問い合わせた方がいいと言われる。そちらの病院にも電話したところ、明日外来で来てくれと言われる。
22日(水)
会社を早退して病院へ向かう。便意があったので自宅によって出したところ粘液状の血であった。病院で肛門鏡で見てもらったところ「入院ですね」と言われた。
入院――!?
いきなり言われたので焦ってしまうが、健康第一、仕方ない。まず入院窓口で手続きがあり書類を書いたりする。大部屋がいいと希望したのだが、空きがないので2人部屋しかないと言われる。1日6,600円掛かるそうだがしょうがない。続いて採血を行う。入院前に荷物持ってきていいですかと聞いて許可をもらい、一旦自宅へ向かう。
最初に親のところへ寄り連帯保証人になってもらうため書類を書いてもらう。続いてATMで家賃を払い込む。毎月28日までに入れなければならないので念のため。その後自宅に寄って着替えなど必要そうなものをカバンに詰め込む。忘れずにノートPCも持つ。勤務先に入院の旨を伝え、タクシーで病院へ向かう。
病院に着いた。病室へと案内される。部屋の入口に自分の名が書かれてるのを見て、ああ、本当に入院なんだなと実感した。入院するのは中学生の頃に盲腸を取ったとき以来。2人部屋だが、隣のベッドは空いており個室状態。用意してある寝間着に着替える。
看護婦が来て点滴の針を刺す。しばらく絶食なのでこれが命綱。1本8時間で1日3本。輸液とブドウ糖が交互のようだ。胸に電極を取り付け、心電図も24時間モニターする。指先に酸素濃度を調べるためのセンサーも取り付ける。
明日、大腸カメラをやるそうだ。今日昼まで普通の食べ物を食べていたが大丈夫だろうか。
夜、消灯時に下剤を飲む。センナリドという錠剤とピスコルファートナトリウムという液体。先週飲んだ目薬のような容器の下剤というのはまさにこれだ。この下剤は明日朝もう1本飲む必要があるらしい。その後午前中マグコロールPを飲んで腸を洗浄後、午後から大腸カメラを行う予定。
ベッドで寝込む。慣れない場所だし、線路のすぐ近くなので電車の音がかなり気になり眠れない……。深夜にたまに看護婦が見回りに来る。点滴が終わったら次のものに交換する。
23日(木)
深夜2時頃からお腹が痛い。トイレに行く。少しずつ便が出る。まだ血が混じっている。ベッドへ戻るが再び痛くなる。以後強烈な腹痛で3時間くらいトイレに通いっぱなしになり、ほとんど寝ないで夜が明けてしまう。
朝、看護婦の定期診断。昨夜の腹痛で散々な目にあったので、もうピスコルファートナトリウムは飲みたくない、マグコロールPだけにできないものかと尋ねるが、主治医が飲まなきゃ駄目だと言ったらしく、仕方なくもう1本飲む。
9時頃からマグコロールPを飲み始める。なかなか便意が来ない。1時間半くらいしてようやく水状の便が出るようになった。最初は血が混じっていたが、そのうち普通の便の色になる。
1回出すごとに看護婦を呼んで見てもらう。「まだ駄目ですねー」。マグコロールPを飲み続ける。1.5リットルくらい飲んだ頃から吐き気がしてくる。
「先生に14時30分に内視鏡室へ来てほしいと言われたので、それまでにきれいにしましょう」。吐かないようにほんの少しずつ残りの下剤を飲む。
時間近くになり、まだ便の色は残っているが固形物はほとんど出なくなったので、もう大丈夫でしょうとやっと許可が出た。空腹と睡眠不足もあり、この時点でかなり疲れていた。
検査着に着替え、穴付きパンツに履き替え、内視鏡室へ向かう。既に先生が待っており即検査を始める。「ちょっと待って、出そう」トイレに向かう。再び水状の便が出る。もちろんここでも呼び出して見てもらう。
内視鏡室に戻り、ベッドに左向きに横になり膝を曲げる。腕に血圧計を巻かれる。鎮静剤が投入されるが、これは昨夜からやってる点滴の管に注入する。
寝はしないが頭がボーっとして何が何だか分からなくなった。お腹にやや痛みがあると思ってるうちに終わりましたと声が掛かった。
既に出血は止まっているので、出血箇所は分からなかったらしい。逆にはっきりと出血箇所が確認されたら重症らしい。癌やポリープなどの危険な症状は認められないとのこと。
車椅子に乗り病室へ戻る。鎮静剤を使ったのでしばらく静養を取らなければならない。
1時間ごとくらいに便意がある。血の混じったオレンジ色の水状のものが出る。再び出血が始まったのか、内視鏡で組織を取ったところから出血しているのかは分からない。
この状態が以後、夜半まで続く。お腹は痛くない。またピスコルファートナトリウムの苦しみが来ると思っていたのでほっとした。
24日(金)
今朝も1時間ごとくらいに便意がありトイレに向かう。血の混じっていた便は通常の色に戻る。
主治医が来た。一昨年、最初に大腸カメラ受けたときから担当の女医。血の出ている箇所は不明。病名は何かと訪ねたら腸炎か憩室炎と言われた。しばらく絶食して観察するという。血液検査の結果貧血はないので大量出血は起きていないとのこと。退院はいつできますかと聞いたところ、「1週間くらいでしょうかねー」と。え、1週間も? と思ったが、血が出なくなるまでは無理と言われた。
昼頃から便意は止まる。下剤の効き目もなくなったようだ。
25日(土)
いい晴天だ。部屋から富士山がはっきりと見える。
朝のトイレで1度だけ血が混じるが、その後は普通の色の便が出る。お腹の痛みもない。心電図はもういいでしょうとのことで取り外す。
26日(日)
暑い。東京は25℃超えて今年最初の夏日になったらしい。
便意はほとんどない。1回だけほんの少しだけ出たが、通常の便の色。絶食して4日目、空腹感が凄い。どうやら明日から少しずつ食べられるようになるらしい。
27日(月)
朝、やっと食事が取れるようになった。といってもゼリー1個とお茶のみ。
主治医が来た。昼食べて、便が正常なら午後退院でいいでしょうとのこと。
昼食はもう少しいいものがでた。粥、フレーク状の鮭、大根おろし等だ。粥とは言え、ちゃんとした食事を取れるのは先週水曜日の昼以来。
便が出る。量はごくわずかだが、通常の便の色。看護婦を呼んで確認してもらう。
退院の説明を受ける。退院後はしばらくは柔らかいものを食べるようにして、刺激物や酒類は飲まないようにとのこと(筆者はアルコールは飲まない)、再び血便が出たら連絡するようにと言われた。
着替えて荷物を整理して、退院手続きをする。費用は10万円を超えてしまった。1日6,600円掛かる個室だったことも大きい。
病院を出る。雨が降ってるが大したことはない。隣のコンビニで食べ物を買う。柔らかそうなパンとゼリー食。
タクシーで自宅へ向かう。ようやく帰ってきた――
帰ったらまずシャワー。全く風呂に入ってないので髪の毛とかは酷い状態。続いて洗濯。数日分溜まってたから洗濯機も満杯だ。
勤務先に退院した旨連絡を取る。明日(28日)は無理して出てこないでいいから28、29日と静養してくれとのこと。優しい心遣いに感謝。
晩ご飯はパン1個。ゆっくり噛みながら口の中で柔らかくして食べる。その後気になるトイレ。量は少ないが普通の色の便が出ており一安心。
28日(火)
昼過ぎ、まとまった量の便が出た。血は出ていない。午後からかかりつけの医師に報告に行ってきた。大腸カメラでも出血箇所が分からないというと首をかしげて、下剤たくさん飲んだようだから腸に過度な蠕動が起こり負担が掛かったのかな、と憶測した。
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以上、5泊6日の入院であった。
これを書いている時点(28日夜)では、血は出ていない。だが今後が心配ではある。何事も起こらないことを願うばかりだ。