
練馬区の中心、光が丘(旧グラントハイツ、成増飛行場)の光が丘清掃工場が建て替えのため今月末で閉鎖されることになりました。
思い出してみれば、83年春、この煙突で初めて高光度航空障害灯通称「ピカピカ」が点滅を始めた日は今でも忘れません。「あっ、光が丘が光ってる!」(笑)。
この時代、煙突や鉄塔といえば赤白が当たり前であり、高光度航空障害灯は非常に珍しく杉並清掃工場くらいしかありませんでした。それが我が地元練馬区に、それも自宅のマンションからも良く見える場所に現れたのだから、そりゃ嬉しくて自転車で現地へとすっ飛んでいきました。この頃はまだ団地も開発途上で、高い煙突はひときわ目立ったものです。
4年後の87年春、同工場の隣に大型ショッピングセンター光が丘IMAがオープンしたときは、オープニングセレモニーでレーザー光線による光の演出の一部としてこの煙突がライトアップされたこともありました(余談ですが、同セレモニーでは文化放送による「光が丘音楽祭」という公開録音ミニライブがあり、野外にステージを組んで、当時アイドルだった西村知美さんが「シンフォニーの風」という曲を歌ったのを覚えています)。
高さ150m(中筒も含めると157m)の高さを誇る白亜の煙突は、とても美しくゴミ焼却場らしさを感じさせません。この煙突は遠くからもよく見えます。狭山丘陵や川越の辺りからもはっきりと見えます。高い団地群の中心にひときわ高く聳えるこの煙突はまさに練馬のシンボルでもありました。
現在建て替え中の杉並清掃工場では煙突は流用しましたが、光が丘は内部のスペースの都合により残念なことに煙突も建て替えになってしまいました。この煙突が輝いていられる時間は残りわずかですが、最後までしっかりと見守ってあげたいと思っています。
建て替えについての概要は東京二十三区清掃一部事務組合のサイトにあります。<http://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/kojo/hikari/documents/hikari-tatekaekeikaku.pdf>

工場には「32年間ありがとうございました」という横断幕が