今は暗渠化されてしまった水路が、筆者の子供時代はどんな感じだったのか振り返ってみたいと思う。まずはこの水路から。

筆者の自宅から50mと離れていない、練馬区氷川台4丁目から始まる田柄川の支流。今は歩道になっているが、ここは筆者の幼い頃はコンクリート蓋水路であった。

その北側に2本、水路跡らしき細い路地があるが、ここは以前より舗装されており生活路であった。

通称ネリカンこと東京少年鑑別所の北側。鑑別所内は恐らく開設当時から暗渠化されていたと思われ流路は全く残っていないが、敷地から抜けると再び水路跡が出てくる。この辺りもコンクリート蓋水路であった。

その先は仲町小学校の西側へと回っていたようだ。この道が流路跡のようだが、70年代には既に舗装されており今と変わらない状態だった。ただし当時は電柱はやや車道に寄って立てられており、水路跡のような雰囲気は残っていた。