(53)ギャップ
私にとっては天変地異のような出来事が起ころうと、仕事は変わらずやってくる。
なぜ、秘密にしようという約束だったのにみんなにすぐ知れ渡ってしまったのか。
発信源は、望くんだった。それと櫻井さん…は不可抗力か。
別に言いふらしたり噂話を広めたりする人たちじゃないけど、友達である潤くんのため、望くんはその見た目によらない(失礼)意外と鋭い観察力を発揮した結果、「なんか最近、お二人雰囲気ちがうくないですか?」と無駄に大きな地声で言ってきたからだ。
櫻井さんには、『翔ちゃんにだけは報告しとかないといけないからね』という相葉さんから、結論だけは報告してあった。
罪のない無邪気な声で発した望くんのはた迷惑な質問に、『小瀧、就業中だぞ』と相葉さんが冷静に対応してくれたにもかかわらず、望くんはそのまま櫻井さんに、「ねえ櫻井さんもそお思いませんか?」と話を振り、「ああ、そうだな」とあっさり答えてしまった。
翔ちゃん! と小声で相葉さんが焦って言ったときには遅かった。
で、今に至る、と。
でも、仕事面においては、心配していたほど影響はなかった。
相葉さんは見事なほど仕事とプライベートを分けられる人だった。
きちんと分けなきゃいけないし、そういう意味ではむしろ以前の方がよっぽど構ってくれていたかも知れない。
相葉さんは会社では寂しくなるほどそっけない態度を取る。
でも、それはわざとそうしてるんだよって言われた。
『だって、そうとでもしなかったら会社なのにデレちゃって、取り返しがつかないくらい可愛がっちゃうよ』
なにそれ。
可愛がっちゃうとか、胸かきむしりたくなるくらい甘いんですけど。
わかるようなわからないような。
いやわかるような気はするけど。
そう言われてわかっていても、完璧なくらい相葉さんのそっけない態度に、気にしてない振りをしながらも内心少し寂しい。
この状況は自分の望み通りなら本来こうだったはずそのものなのに、自分から秘密にしようと言っておいて勝手なこと言ってるのわかってるけど。
顔には出ないようにしてるけどやっぱり寂しい。
だめだめ。
公私混同しちゃだめ。
仕方ない。
そこは大人なんだから割り切らなきゃ。
たまに相葉さんのファンらしき人が私を見学に来たと思われる、どうでもいい面会みたいな用事が一時期、増えた。
だけど、それも相葉さんがかもしだす冷淡な空気に肩すかしをくわされたのか、すぐにそんな人たちも来なくなった。
一度、「なんだ違うじゃん」と言ってる声が聞こえた。
ありがたいと言えばそうだし、失礼と言えばそうだし。
でもそのおかげで不必要な女子社員たちからの風当たりはさほど感じなくて済んだ。
自分で秘密にしようと言ったのに、みんなに知れ渡ってしまった今の状況には戸惑いもあったけど、本音を言えばやっぱり嬉しかった。
自分でも、勝手だな、と思った。
デートと言えば、二人で一緒に帰ることだった。
電車も逆方向だし、仕事も忙しいから帰りに一緒に食事したらもう帰らなきゃいけない時間。
二人の時間はそれほど増えたわけじゃなかった。
その代わり、二人きりになったときはすごく優しくしてくれる。
このギャップが堪らなくて、彼女になれたんだなあってにやにやする。
嬉しい。
たとえ今だけだとしても、…しあわせ。
今は相葉さんと一緒にいられることを喜ぼう。
優しいし、相葉さんに髪に触れられると顔がふやけてるのが自分でもわかって、恥ずかしいけど笑っちゃうのが抑えられない。
『何笑ってんのー?』
いやあの、相葉さんといられて嬉しいからです。
そんな頬っぺたつんつんされたら、ちゃんと顔を引き締めようとする私の努力はまったく実を結ばない。
「なんでもないです」
『そんな可愛い顔してると食べちゃうぞ』
ぐっと顔を近づけてきてキスされる。
なんかバカップルみたい。
相葉さんてこんな可愛いとこあるんだ。
誰も知らない、私だけが知ってる可愛い相葉さん…とはずむ気持ちでにやけた瞬間。
心のどこかがピシリと冷える。
そうじゃない。
私だけが知ってるわけじゃない。
きっと、千秋先輩とか、その他にもいたかもしれない、相葉さんがあの人のことを忘れるために少しだけ付き合った人たちも。
見たことがあるかも知れない。
…私はいずれ、その人たちと同じ運命を辿るかも知れない。
こんなことを考えるのは、無駄なことだとわかってる。
まだ起きてもいない惨事を自分で作りだして怯えるなんて愚かだ。
私は、どこまで他のひとが知らない相葉さんを見せてもらったら、自信が持てるんだろう?
こんなに優しくしてもらってるのに。
だけど、相葉さんが私を好きになってくれた理由が、たったひとつしか見つからない。
相葉さんはどうして私のこと好きになってくれたんですか? …なんて、怖くて絶対聞けない、禁断の質問。
千秋先輩とは、噂が広まってから一度だけ会った。
すぐに廊下で偶然会ったから、きっと待ってたんだと思う。
「あれだけ言ったのに、知らないわよ。私はちゃんと教えたはずよ…なぜ相葉くんがあなたを彼女にしたか、私が忠告しなかったとだけは思わないでね。ま、しばらくの間お幸せにしてることね」
誰もいない廊下で、あからさまに敵意のこもった表情でそう言われた時は、さすがにへこんだ。
あまりのむき出しの悪意に当てられて、言い返す気力もなかった。
でもそれは一度きりで、それ以来、千秋先輩からはぴたりと何も言ってこなくなった。
それは本当に嬉しくて、やっと少し安心した。
噂というのは本当に広まるのが早い。
肌に吹く風が乾いて刺すように冷たくなってきた頃。
仕事に谷間ができた週末。
珍しく早く終われそうだった日、今日の帰りは僕んちに寄ってってね、とこっそり言われた。
初めて家に誘われたから、いよいよかも、なんてちょっと恥ずかしいことを考えて緊張してた。
その日の夕方、潤くんからLINEが入って、呼び出された。
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