(37)元カノ
誰も見たいなんて言ってないのに、携帯画面を開いて勝手にぐいぐい見せてくる。
見たくない。
でも、見てしまった。
ひと目でどの人か分かった。
満開のピンクの花を背景にして相葉さんの隣にいて微笑んでいる、このあいだまでの私と似た髪型をした私くらいの背格好の女の子。
携帯の中の画面は小さすぎて似ているかどうかなんかわからない。
相葉くんて背が高いでしょう? 彼女の髪をこう…触っててね。仲良さそうだった。
だけど、その年の秋か、かなり寒かったから冬くらいかな、別れたって聞いた。
チャンスと思ったけど、相葉くんはそのあと誰ともつき合わなかったのよ。今までずっと。あんなモテる人なのにね。
水野さんて、初めて見た時から思ったけど、感じが似てるのよ。
まさか相葉くんが公私混同するとは思わないけど、ちょっと気になってね。
あんまり本気にならない方がいいんじゃないかしら。
「わかってます。私は…ただの後輩ですから」
千秋先輩の顔色が一瞬で変わった。
何か気に障ったみたい。
「なによ。そんなの当たり前でしょ。わざわざ言わなくていいわよ」
どうしてそれがそんなに気に障ったのかわからないけど、とにかく千秋先輩は色をなして怒っている。
ただの後輩と言っただけだけど、多分、それがむしろ自分の立場をわざと強調した嫌味のように聞こえたのかもしれない。
「あんな可愛がられてるから、カン違いしてんじゃないかと思って親切にいってあげたのに!」
可愛がられてる。
そうなのか。
やっぱり私がそんな立場なことが気に入らないんだ。
言われなくてもカン違いなんかしないのに…今は。
「相葉さんは、親切で、仕事熱心ですから、後輩を育てるために一生懸命になってくれてるだけです」
「そうよ、わかってんじゃない」
「努力家な方ですから、ちゃんとやらないと周りに迷惑かけられないから…私にたくさん指導してくれるのもそのためです」
「わ、かってるわよ、そんなのあなたに言われなくたって。…だ、ってあたしたち、つ、付き合ってたんだもの!」
「ええ!?」
そんなはずない。
びっくりし過ぎて顔に出てるのも止められない。
「なによその顔。文句ある?」
「あの、でも、さっき、相葉さんは誰ともつき合ってなかったって…」
さっき言ってたよね、自分で。
ミキちゃん情報もそうだったはず。
「そ、そうだけど、水野さんだけには言っておくわ。短い間だったし、このこと、誰にも言わないって約束したから…。そうよ、だから、これは、誰も知らないことなの。あの、このこと二人で秘密にしようって言ったから、あなたも、このこと誰にも言わないでね」
「うそ…」
「何がウソよ、ほんとよ。…私から言って、少しの間つきあってて、でもやっぱり前の彼女さん忘れられないからって、友達に戻ろうってなったの」
「…」
「だから今はただの同期。今ではほんとにただの友達なの。…それが出来る人なのよね」
そんなのウソだ。
「彼ね、カノジョの髪を触るクセがあるの。知ってる?」
フラッシュバック。
髪のあいだをするりと抜けていく長い指。
自分だけが相葉さんのクセを知ってると挑戦的に告げた人を、黙って見つめた。
挑むように見てくる顔を見ながら、思わず髪に手をやった。
千秋先輩の目がぎらっと光った。
その時、ロッカールームの外で数人の女子社員の声が近づいてくるのが聞こえた。
それを聞いて千秋先輩は慌てたように言った。
「じゃあね。もうすぐ休憩時間終わるわよ。…ね、さっきのこと、誰にも言わないでね。絶対よ」
早くこの場を去りたそうに早口に言って、千秋先輩は最後にもう一度、私を睨みつけるとさっさとロッカールームを出ていった。
自分の言いたいことだけ言って、靴音を鳴らして出ていく千秋先輩を、なにも言うことができず黙って見送った。
入れ替わるように何人かの人が部屋に入ってきて、とたんにロッカールームは賑やかになった。
目が、怖かった。
さっきの会話の、あまりにも具体的で手痛い内容と、彼女のむき出しの悪意に、汗が出てきた。動悸がすごい。
きつく握り締めすぎて手の中ですっかり温まってしまったメタリックボディの可愛いボールペンも、少し汗ばんでいた。
さっきの話、本当だろうか?
まだ動悸が治まらない。
ほんとはウソかも。
だって千秋先輩は時々口から出まかせをよく言う。
新入社員教育の講師に来てくれた時も、任されている仕事は担当者レベルなのにそのリーダーになってるとか、話を大きく言っているの聞いたことあるし。
でも全く根拠がなかったら、そんなこと言うかな?
…もしかしたら本当かも。
わからない。
なんとなく、帰り際の慌てた感じが焦ってたように見えたから、やっぱり出まかせかも知れない。
それにもしそれが本当でも、今は別れてるということだから、それならもうなにも気にすることはないのかもしれない。
でも、それが本当なら千秋先輩は元カノさん。
相葉さんとは同期で、今でもそれなりの付き合いがあるのならやっぱり他の人より気持ちは近くなるだろうし、優しくするだろう。
セミナーも機会があれば一緒に行ったり、迎えに行ったりするだろう。
予鈴のチャイムが鳴って他の社員さんたちはみんな出ていってしまったのに、なかなかロッカールームから出ることが出来なかった。
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