(13)誘っていい
ある時、すごく急ぎの会議の資料を用意することになった。
大事な会議で、相葉さんは緊張感に張りつめた顔で次々と私に指示を出した。
それはもう大急ぎで準備して整えなくてはならず、ついていくのに必死だったけど指示はわかりやすかったし、夢中で仕事して、なんとか資料は無事に会議に間に合わせることができた。
最後のコピーを終えて部数を揃え、配布先に出せた時にはほっとした。でも気を抜く暇もなく、その後には本来の通常業務が残っていて、まだまだ仕事は続く。
それを全部やり終えてひと息つく頃にはどっと力が抜けてしまった。
『波奈ちゃん、お疲れさま』
椅子の背もたれに背中を預けていた私に、相葉さんが自販機のコーヒーを差し出してくれた。
慌ててちゃんと椅子に座る。
差し出されたコーヒーは美味しそうないい香り。
ああ、ほっとする。
「すみません。ありがとうございます、80円ですよね」
『いいよこのくらい。可愛い後輩にはサービスするよ』
「ありがとうございます」
こんな風に相葉さんはいつも、大変だった仕事が終わると私を気遣ってくれる。
少しのあいだ、二人で黙ったままコーヒーを飲んで、ほっとする時間。
なんて贅沢なんだろう、と思う。
私はもう、こんな時間が嬉しくてずっと続けばいいなんて思って、それだけで幸せ気分だからいいけど、相葉さんはこんな時、なにを考えているんだろう?
立ったまま机に腰かけるみたいにもたれてコーヒーを飲んでいる相葉さんのほうを、ちらと見あげたら、ばちっと目が合った。
え? こっち、見てた?
「なん、ですか?」
どきどきする。
相葉さんはほんの少し床を見て、ゆっくりと口元だけで優しく微笑んで言った。
『今日はけっこう大変だったね…疲れたでしょ』
でも私が今日ここまで動けたのは全部相葉さんのおかげ。
「はい、でも相葉さんが全部指示を出してくれましたから。私はその通り動いただけです。ありがとうございました」
そう言って頭を下げた。
『指示通りに動けただけでも十分だよ。波奈ちゃんはね、こちらが言ったことをちゃんと必要な部分を理解して動いてくれるから…一緒に働いてて気持ちいい。波奈ちゃんがパートナーになってくれて良かった。これからもよろしくね』
嬉しい。
「ありがとうございます」
一瞬うるっときて、あわてて下を向いた。
仕事のパートナーだけど、それだけだけど、相葉さんが私がパートナーで良かったと言ってくれるなんて、嬉しいことだ。
それ以上を望んだら、バチが当たる。
仕事以外でそばにいることなんて、望んじゃいけない。
パートナーで良かったと言われて嬉しくて涙がにじむのか、それ以上になれなくて悲しくて泣けるのか、よくわからないまま下を向いて一生懸命まばたきをして涙を乾かそうとした。
でないといつまでも顔が上げられない。
『…今日はもう、仕事は終わり?』
頭の上から相葉さんの優しい声が聞こえた。
「はい。後はもう片付けだけです」
よし、涙声にはなってない。
『せっかくの金曜だし、デートとか、ないの?』
デート。そんなのする人がいると思われてるのかな。
私にデートの相手がいるのかどうかなんて、相葉さんが知りたい理由が、あるんだろうか。
確かに今日は、同期の子たちでカラオケに行こうという話があるにはあったけど。
でも、今日のお昼前には急ぎの作業に追われてて、その後の通常業務の量を考えたらどのくらいで仕事が終われるのかわからなかったから、昼休みに同期のグループLINEに"仕事でどうなるかわからないから行けたら行くね"とだけ入れてあった。
今からなら行けなくもないけど、この貴重な、相葉さんと二人きりのコーヒータイムを振り切ってまで行きたくない。
あと少し、このコーヒーを飲み終えるまでは、こうしていたい。
「そんなのないです」
そう言って首を振った。
同期のカラオケはデートじゃない。
『波奈ちゃん可愛いからモテそうなのにね…狙ってる人多いんじゃないの?』
にこにこ笑ってそんなことを聞いてくる相葉さん。
そんなの聞かれたら困ってしまう。ほんとにそんな人いないから。
それに、相葉さんがそんなのを知りたがってるなんて、そんなはずはないのに…勘違いしそうになる。
それは、私のせいだけじゃないよ。
相葉さんがそんな嬉しいこと言ってくるから、単純な私が、勘違いしそうになるんだよ。
それじゃ仕方ないよ。
「全然、そんな人いないです」
『じゃあ、今度僕が誘ってもいい?』
「あ…」
うそ。
ずっとそうなったらいいなぁって夢みたいに思っていた言葉が現実に聞こえて、あっという間にほっぺたが熱くなったのがわかった。
自分の頬が熱くてどんどん赤くなっているだろうとわかって、でも自分じゃどうしようもできない。
相葉さんが、私を誘ってくれる?
なんか涙が出そうなくらい嬉しくてどんな顔をしていいのかわからない。
恥ずかしくて、でも嬉し過ぎて相葉さんの顔をぱっと見上げたとき、ドキンとした。
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