松本一博先生(当時、神奈川県の日吉で数十年以上も塾経営をされていた恩師:日吉ゼミ会長:故人)に申し上げたことがある。
もう、日吉で数十年、塾をされていて、教え子には弁護士・医師や大学・高校の先生になっている方もおられるのだから、卒業生のネットワークを作ってはどうか?
言葉を濁しながらも、・・数千人はいるが、全員覚えている。
一度、調べたことがあるが、何人かは亡くなっている・・・だから、作りたくない・・・
この歳になって、しみじみと理解できるようになった。
こういうこともあった、現場の人だった。当時学生講師の選抜の責任者をしていた。会長は不在であった。大体、英語と数学の試験をすれば学力は分かる。ところが、東工大の院生が物理で採用試験を受けたいと主張した。物理の採用試験の用意をしていなかったので、当時、松本会長が個人指導で、栄光学園のトップの生徒の物理を教えていたので、そのテキストの問題を解いてもらった。全くの白紙であった。
(注:アルバイト講師から専任講師まで、今どのようなテキストを使っているかの把握は教務主任の義務である。塾の基本である。理事長と言えども、使っているテキストや問題は、毎回レポートにして。報告させていた。ただ、理事長に関しては指導内容を報告させていたが.いかんせんこちらよりも能力が上なので内容までは・・・。ただ記録しておけば、後で検証できるわけで、理事長といえども授業を馘首できる・・・ということを認めて、権限を委譲した理事長は偉かった。だから、塾は講師では無く、教務だと言っている)
後で叱られた。こんな問題が学生さんに解けるはずがありません!学生さんに教えられる内容なら、バイトにまかせて、私がわざわざ教える必要がない!
それから、物理は怖くて教えられなくなった。
会長が亡くなられたら、日吉ゼミも閉鎖になった。これは塾に対する最高の賛辞である。
SAPIX ができた時。 名前には X を入れたいと言ってた。理由は聞き忘れた。
もしかして未知数の X だったのかもしれない。
塾って悲しい仕事ですね。
