私は昔から、なぜか「いじめをする人」と誤解されがちな人間です。

本当は蚤の心臓で平和主義者なのですが、声が大きい、顔が怖いといった理由で、周りからは勘違いされてしまうようです。

 

※こちらでも同じ内容を書いています。お時間がございましたら、ご訪問いただけますと幸いです。

https://note.com/ub2_proj_story/n/na3f0b8bde424

 

幼少期、私は「マイワールド」に没頭し、何のしがらみもなく過ごしていました。幼稚園では、足に障害があり、「ブス」(本当は可愛らしいのに、そう言われることが多かったのです)と罵られ、いじめられていた子がいました。彼女の父親は会社を経営しており、出張で不在がちだったため、周囲からは母子家庭と思われていたようです。

私は普段、幼馴染の男の子たちと遊ぶか、一人でハーモニカやオルガンをいじっていました。しかし、女子たちがよってたかって彼女をいじめる様子は、私のマイワールドを邪魔されるようで不快でした。特に、足の悪い子に対し、その足を蹴るという信じられない行為に激しい怒りを覚え、私は思わず彼女たちを「ぶった切った」のです。

数日後、なぜかその子の両親に母と私で招かれ、食事をすることになりました。当時、中小企業とはいえ会社を経営されているご家庭ですから、いつも私につねっていた母も上機嫌だったのを今でも覚えています。その子もかなり気弱な子でしたが、私の「ぶった切り」に何かを感じてくれたのか、幼稚園を卒業するまでずっと私の隣でニコニコと過ごしてくれるようになりました。

それから20年後、彼女のお父様の会社は誰もが知る有名企業となっていました。偶然、彼女のお父様と元夫が会う機会があり、どうしてその話になったのかは知りませんが、お父様が私のことを覚えていて、「娘の大切な友人だ」と非常に感謝されていたと、元夫が自慢げに話していました。

そして、元夫はさらにこう言いました。その子のお父様の会社が有名企業になったと知ってか、昔彼女をいじめていた子たちが手のひらを返したように「知り合いだ」と媚びを売ってきているのに、本当の友人だった私が会いに来てくれないのはなぜかと。当時、元夫から昔の友人に会うことを制限されていたからなのに、と私は複雑な気持ちになりました。

幼稚園児同士のいじめは、自分と違う何かに対する嫌悪感や嫉妬が要因となることが多いと感じます。しかし、母のように「私が付き合う友人を選ぶ」という行為、あるいは人の内面ではなく、その人の「属性」だけで人を判断することも、ある種の偏見であり、いじめのカテゴリーに入るのではないかと感じるのは、私だけでしょうか。

この話は長くなりそうなので、数回に分けて綴りたいと思います。

余談: うちの末の息子は早生まれで、幼稚園の頃はほぼ1歳年上の同級生の女の子に、まるで世話役のように面倒を見てもらっていました(彼は今も進行形でおっちょこちょいです)。ある日、その女の子のお母様から言われた一言は、今も強烈に記憶に残っています。「ちびっこ君、うちの〇〇ちゃんとお付き合いしたかったら、いっぱいお金を稼げる人にならないと近づかないでね」。セレブママの一言に、私は言葉を失いました。