今日は選挙へ行ったあと、ふと思い立ってそのまま映画を観に行きました。

映画の評論はnoteに書いています。

 

サンダルに家着、図田袋を提げたまま、ちょっとだけ非日常へ。

けれど、楽しみにしていた映画は思ったより残念な内容で…。
上映後すぐ、がっかりしながら足早に家へ向かいました。

その帰り道。


轟音とともに、スーパーカーの集団が通り過ぎていきました。
いつも思うのですが…なぜ、ああいう人たちは自分たちの地元でやらないのでしょうか?
なぜ、わざわざよその街で騒ぐのでしょう?

 

「静かに暮らしたい」「騒ぎたい」――どちらも自由だけど、
 

わざわざ他人の生活圏で目立ちにくるのは、ただの承認欲求じゃないかな…
と、つい思ってしまいます。

 

──私はいま、ここでしか生きていけない人間です。

電車に乗れないということが、どれほど社会生活に影響するか、
想像したことはありますか?

数駅しか乗れない。
それでも働かなければ生きていけないから、選択肢は狭まる。
だから、私は都心に近いところに住まざるを得ません。

以前は、便利な場所に住んでいても、外出すら許されていませんでした。
「いいところに住んでるね」と言われても、私はその“外”を知らなかった。
日々の買い物でさえ恐怖がつきまとっていたから、
今でも行ける場所は限られています。

出勤も「仕方なくやること」でした。
匂い、人との接触、すべてが苦手で、電車は数駅が限界。
それもドア付近でなければ耐えられない。

 

そんな私が、
先日電車で50分の場所まで“日帰り”で行くことができました。

「もう誰にも監視されていない」
「私がどこへ行こうが、怒鳴る人はいない」
そう、少しずつ実感できるようになってきたのです。

 

映画を観ても怒られない。
 

ただの娯楽が、私にとってはずっと“許されないこと”だった。
それをようやく、楽しめるようになってきました。

 

夜、映画帰りの都会の雑踏。
Tシャツにジーンズ、図田袋を手に、つっかけを履いて、
私はそこで深く、大きく、呼吸ができました。

その瞬間、
「私はここで生きていく」
そう心に決めたのです。