「お願いだから、うちの子をいじめないで!!!」
いつも穏やかで優雅なセレブママが、その日、髪を振り乱して私の目の前に立ち、
大声でそう叫びました。
小学6年生の私。
私は、ぐちゃぐちゃになってしまった関係を何とか修復したいと、大切な友達だと思っていた彼女の家を訪ねたのです。しかし、何も言えないまま、ママの叫び声に言葉を遮られてしまいました。
私はただ踵を返すしかありませんでした。帰り道、偶然会った彼女の妹に、お姉ちゃんがいじめられていること、それを何とかしようとしたけれど、どうにもならなかったことを伝えて、その場を後にしました。
「嫉妬」という名の感情の嵐
人間には「嫉妬」というどうにもならない感情がありますよね。この感情は、うまく扱えば自分を成長させる良いエネルギーになるのですが、ほとんどの場合は、ろくでもない結果を招くことが多い。
私の友人は、誰から見てもお嬢様でした。大病院の3人姉妹の長女で、美人で頭もいい。でも、私みたいなバカな子の些細なお願いにも、いつも優しく耳を傾けてくれる子でした。その優しさが、かえってつけ込まれてしまったのかもしれません。
同じ転入生ということもあって、私たちはすぐに仲良くなりました。住んでいる地区も同じで、学校行事ではいつも一緒にいました。
しかし、いつの間にか私は、彼女をいじめている首謀者だと、彼女自身と彼女の家族に思われてしまっていたのです。
私の「勇気」が足りなかったから
今になって思うと、それは私の勇気がなかったせいでした。
彼女と一緒に帰ろうと彼女のクラスを覗いた時、ある男子が私にこう言いました。「あいつさ、調子に乗ってねえか?何様なんだっての。なぁ、そう思うだろ?」と。そのクラスの中では、彼女の優しさが「上から目線で馬鹿にされている」と誤解され、それが「嫉妬」から「嫌悪」へと変わってしまっていたのです。
私は、どうにかしてこの誤解を解きたくて、クラスの中を駆け回りました。でも、それが逆に私がいじめを大きくしているように、彼女の目には映ってしまったのかもしれません。
ある日から、彼女は私を見ると怯えるようになってしまいました。私は彼女の悪口を言ったこともないし、真実はその逆でした。
しかし、怯える彼女にどう声をかけていいかわからず、これ以上誤解されたくないという思いから、私は黙ってしまいました。
それが「無視」だと受け取られてしまったようです。
黙っていた、ということ
本当に私は、誤解を避けたかったのでしょうか。
私は今でも、いじめの首謀者ではなかったと思っています。しかし、あの時何も言えず黙ってしまったことは、いじめを黙認していたのと同じではないでしょうか。いじめをしていたと言われても仕方なかったと、今はそう思います。
クラスの中で誰かが「羨望」ではなく「嫉妬」の感情から声を上げると、あっという間に同調の嵐が起こります。それがやがて学年全体に広がってしまったのです。
「嫉妬」という感情は、自分をより良くするための材料にすればいいのに、たいていは人の心を暗く変えてしまう要素になってしまいます。
あの時、私は彼女にいつもと変わらない接し方ができませんでした。その時点で、私は彼女をいじめた一人だったのかもしれません。
そのことを、何十年も後悔し続けています。
こちらからも語彙を変え編集したものを載せました。よかったらご覧ください。
https://note.com/ub2_proj_story/n/n41dc32196b32