福井日仏協会
(日本とフランス及びフランス語圏の交流と文化の普及を目的として2010年に設立)
の機関誌をなにげなく眺めていたら
フランス文化講座の案内の記事に目がとまりました。
そこに書いてあった文面が印象的で
京都大学大学院の人間環境学研究科の准教授である
塩塚さんによるフランス文化講座の紹介でした。
「私たちは『日常』についてよく知っているつもりでいますが、
実際には慣れてしまっているため『日常』はよく見えていないとも言えます。」
という部分。
この講座は現代のフランスの作家がこの「日常」の探求に関心を抱き、
普段と異なる仕方で見ようと試みていることを
具体例と共に紹介する内容だったようです。
興味はあったのですが講座当日の都合がつかなかったため
聴講することはできませんでした。
そのせいか上記の案内文が記憶に残っています。
言われてみると・・・
「日常」ってあまり記憶に留まっていない。
毎日の繰り返しの中でいつも起きる事や見聞きすることに慣れたものは
ほとんどスルーしているかもしれません。
その代わりに比較的目新しいものや体験、
不慣れなことにはより注意をはらっているような気がします。
日常を描写することに必要性を感じない僕が
今日の朝食を描写しようとすれば
そのメニューを思い出すのがやっとという感じです。
「日常」に慣れてしまい見えていないということかも。
「日常」を見る必要性が無ければどうでもいい話ですが
もしかしたら見えていないが為に
日常がつまらないものになっているかもしれない。
そう感じました。
よくこんな言葉も聞きます。
「ミスは慣れからくる」
2014年6月の下記の記事
「慣れ」や「思い込み」で、、、入試採点ミス
http://www.news24.jp/articles/2014/06/12/07252965.html
上記のように
慣れによって大きなミスが起きかねないとなれば
「見えていない日常」は
小さくない問題にもなってきます。
日常の探求は
現代のフランスの作家じゃない僕でも
いろんな場面でやってみてもいいかもって思いました。