101回なんてちゃんちゃらおかしいぜ、1010回目のカーネルさん
「いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。
何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから。」
カーネルサンダース
カーネルさんは、65歳のときに経営していたカフェがつぶれてしまい、ほとんどの資産を失いました。そこからフライドチキンの調理法を教えるから売上の一部をくれ、という営業をおんぼろのワゴン車でアメリカ中を回りました。そして、1009社に断られ続けました。そして、1010社目で初めて契約をもらいました。
そこから、ケンタッキーフライドチキンの歴史がはじまりました。
片腕を失ったプロサーファーの言葉がすごすぎる:ソウルサーファー
13歳で将来有望だったサーファーの少女の右腕がシャークアタックで失われた。
彼女は、希望と勇気を失わなかった。
今でも、片腕のプロサーファーとして活躍している。
そんな彼女の言葉がすごすぎる。
「誰かが希望を見出す手助けが出来るなら、私が腕を失った価値はあったと思う。」
どんなにつらいことがあったとしても、そこには何かの意味があるんだ。
人生は、無いことの悲しみよりも、有ることのありがたみにあふれてる。
生きてく勇気を与えてくれますね。
by U1style
~台風3号に学んだ~忍耐と感謝の心こそ極みへの道 48th day
今回の台風3号、6月6日(水)には、南岸にかなり接近した状態でした。6日の15時くらいには、東へ抜けていきました。夕方までかなり中途半端なうねり。
ところが、夕方一気にサイズアップ、素晴らしいコンディション、まるでバリです!!
by 辻堂のエアコン屋さんのblog 『横ちんの珍道中♪』 are you happy? よりご紹介させていただきました
そして、7日(木)今日は、朝からオンショアの腹~胸程度でいまいちな状態。結局、6日の夕方の一瞬のショータイムでした。
僕は、へなちょこなんで、6日の朝入っていまいちだなあーと思い、出勤してしまい、この完璧な瞬間を逃してしまいました。
でも、これって、今の僕の実力なんですよね。
結果を見ると一目瞭然。峰横ボスのMさんも、宮崎ローカルの大先輩Mさんも、辻堂ローカルのJ君も、しっかりこのタイミングを逃さず入っていました。
波乗りマスターの彼らが持ち合わせているのは、
波がくるまで粘りに粘る忍耐力、しっかりと仕事をすっぽかし波を出迎える体制を完璧に整えておく徹底力、予報がはずれたりずれたりしても決してうろたえない心の余裕・・・
伝説のサーファーたちは、「その人がいるところに波がたつ」、と言われたりするものですが、これって上にあげたようなれっきとした根拠があって、波乗りにおける重要なスキルだと思うんですよ。うまい人たちって、ちゃんといい波をあてるんですよね。うまくなればなるほど、波をあてる率もあがってくる。
だから、波乗りが本当にうまくなるということは、しっかりとした精神力を供えられているということで、それは自然と共存していく人間としてのあるべき姿にぐっと近づいていくということになります。
自然はときに恐ろしく、ときに期待を裏切る。それでも、ときに僕たちに奇跡の体験を与えてくれる。
そんな自然への忍耐と感謝の気持ちを育んでいくことこそ、波乗りの極みへの道だと思えてならない。
by U1style
サーフボードという名の建築
建築は人が住まうことができることから鑑賞芸術と対比する形で、芸術の中でも最上位のものだ、昔から(少なくとも、知る限りはバウハウスなどでは)言われてきた。
サーフィンはスポーツか?と聞かれると、ヨガはスポーツか?という問いに近しい感覚を覚える。
サーフィンは、内面的であり、精神的であり、芸術的だと思う。
サーフボードの形状は、長さ×幅×厚みだけでなく、ロッカー(しなりのきつさ)、テール形状(おしり部分)、ボトム形状(ボードが平らか傾斜がついているか)、アウトライン(丸い、細い)、素材、フィン・・・これらが3Dの中で、複雑にからみあって、唯一のボードの乗り心地を決定する。
シェイパー小川昌男 さんに削っていただき、その2時間弱の一部始終を見学させていただいた。大体のアウトラインは、型などを使うが、どのような仕上がりにするかは、ほぼ完全に職人の目で決められる。これにはとても驚いた。
ここに、昨日届いた新しいボードがある。
このままインテリアとなる、なんとも美しい彫刻だ。
しかし、サーフボードは単なる彫刻ではなく、また飾って鑑賞するためのものではなく、波と人の身体と心をつなぐ架け橋となるための道具である。それは、まるで人を社会に秩序付ける道具である建築と同じだ。
僕は、そういう意味でも、サーフィンというものは、最上位の芸術的スポーツだと思うのだ。
撮影@aosola/青空空間 、一夜限りのギャラリーに
by U1STYLE
もうひとつの光嶋裕介論
建築家光嶋裕介
の勢いがとまらない。
建築家としての処女作が日本の思想家内田樹氏
の自邸という鮮烈なデビューを皮切りに、銅版画ドローイング集の出版、二つの個展、首都大学にて助教就任と、とんでもない勢いで活動の幅を広げている。
ドローイング集の出版に際して、内田先生が書かれた光嶋裕介論がとても興味深く、またその評価を受けて僕の中で改めて彼のことを再認識したことがあって、彼が建築家を志す一番初めの日からずっと近くで見てきた親友として、このような評論を書こうと思うに至った。
内田先生の光嶋裕介論では、「絵にかいたような好青年」と「静か、整然、暗い」という彼のドローイングや設計した家から受ける印象がまるで異なる、という違和感に対して、「複雑」だと形容されていた。
僕は、彼と長くつきあってきた人間として、彼に対する「複雑」という言葉には、とても違和感を覚えた。僕がもってきた彼への印象はその真逆だったからだ。
しかし、その評価をしばし受け止めてみて、ずっと描いてきた光嶋裕介像と注意深く照らし合わせてみると、あらためて納得いく解釈が見つかった。
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学生時代の彼は確かに優秀で卒業設計も主席だったが、個別の設計課題を見ていると、もっと才能にあふれ、もっと個性的で成熟した作品を出してくる人間は他にもたくさんいた。
彼の作品は、いつも単純だった。まさに「好青年」っぽい、作品だった。彼の師匠である石山先生も、彼の作品と人間性を「おまえは軽い、コルビジェを見にすぐヨーロッパにいってしまう、というところがある。」と評していた。
他に優秀として評価されていた作品を出してくる学生のものには、もっと「毒」があったり、「鬱屈」していた。彼らにはおそらく若くしてそれまで複雑な人生を歩んできたのか、その内に秘めた人間性の複雑さのようなものがあって、そのようなものがあればあるほど作品は”尖って”いたし、はっとする作品であった。
しかし、彼には、まったくそのようなものはなかった。彼の性格を表すかのごとく、好青年的な作品だった。ワインに例えるなら、できたての若いワインのように、果実味(=センス)は強いが、そこに成熟した複雑な香りというものは一切感じられなかった。
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大学時代から、いまも、そしておそらくこの先もずっと変わらず、他と差別化されるだろうと思う彼の特徴・習慣は、猛烈な勢いで突き進む突進力だ。
彼を動物に例えるなら、「イノシシ」が最も最適だ。頭ではいちいち複雑な計算はしない、とにかく、わき目もふれず、前へ前へ猛烈なスピードで突進していく。
普通の人間は、進むときに少し迷ってしまう。こっちに行こうか、あっちへ行こうか。あるいは、疲れたから少し休憩しよう、最近、気分が乗らないから休もう。
彼にはそういうことが一切ない。
彼のインプットとアウトプットに対するスピードと継続性というのは、本当に目を見張るものがある。スケッチをはじめたらずっとスケッチをやめない、本を読み始めたらずっと読み続ける。美術館めぐりをし、海外を旅し、スケッチを描き続け、本を読み続け、夜な夜な銅版画を掘り続け、様々なネットワークに顔を出し続ける。
猛烈なスピードと継続性を持って走り続けているこの「イノシシ」は、誰よりも多くの風景を見ている。イノシシの脳の中には、誰よりもものすごいスピードで新しい風景がインプットされていく。
彼の描く、銅版画がなぜ「複雑さ」を見せているのか、ということに対する僕の解釈は、こうだ。つまり、好青年イノシシの行動力、フットワークと持ち前の素直さは、彼の脳に、質のいい多くの情報を幾重にも重ねインプットしていく。その大量の情報は脳の深層部でゆっくりと熟成されていく。そのようにして、かつて若かったワインは徐々に複雑さを増し、複雑な味わいがでてきたのではないだろうか。
その証拠に、彼の銅版画を注意深く見ていると、やはり「素直さ」が現れている。大学時代に旅したヨーロッパの風景、彼の師匠である石山先生の影響を受けた形状、5年間務めたベルリンのザウアブルッフ・ハットンの影響を受けたであろうカラーリング・・・あらゆるものが素直にインプットされ素直にアウトプットされ、それらが混在しているのがわかる。
彼は、自分のアーキテクトとしての在り方を「スポンジでありたい」と言っている。一見自己主張が強く、自我の強いように見える彼だが、実はまさにスポンジのようにあらゆるものを素直に吸い込み続けているんだと思う。
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このように考えを進めていくと、新たな解釈が思い浮かんだ。この高速で大量の情報を縦横無尽にインプットしていく「イノシシ」は、まるでこの情報社会における「インターネット」のようだと。
世界中のどこへでもすっ飛んで行って、吸収してしまう彼のフットワークの軽さと素直さには、まさにインターネットのメタファーが当てはまる。
しかし、そこで容易に(あるいは安易に)情報社会における創造性の問題に議論は移っていくだろう。これは、彼のフットワークの軽さと素直さに対する石山先生が危惧していたものと重なる。
しかし、結果はどうだろう。
そのような成長過程を度返しして、アウトプットである彼の作品のみを客観的に見た内田先生は、「複雑」と評したのだ。
彼はどうやらこの問題を見事に解決しているように思える。
彼の師匠世代の建築家像というのは、みな自己の世界が明確にあって、圧倒的でヒロイックな存在だった。
そして今、グローバル社会、情報社会に生まれ育った、この一人の若き建築家は、創造性の在り方、社会とのかかわり方において、新しい建築家像を提示してくれるのかもしれない、と思った。
この「イノシシ」はこのさき、どこを目指していくのか?どこに行きつくのか?、大きな期待と少しながらの不安を持ってこれからも、見守っていきたいと思う。
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最後に、彼の原点について。
僕が彼を一番初めに見かけて友達になったときの光景をいまでもはっきりと覚えている。それは、大学1年の一番最初のオリエンテーションの講義。
場所は、早稲田大学理工学部57号館。
僕は、北海道から出てきたばかりで新しい大学生活に胸を膨らませながら、教室の中をぐるりと見渡してどんな奴がいるのかと眺めていた。
教室の一番後ろのほうでは、おそらく高校から早稲田のあがり組だろうか、すでに仲間たちで談笑している連中がいた。
ほどなくして建築学科における全員の教授陣が教壇に現れた。
と、その一番後ろで談笑していた連中の一人が、すすすーっと歩き出し、教授陣の目の前一番前のど真ん中にどかっと座った。
その男の眼は爛々と、そしてギラギラしていた。
僕は、そのとき、
「こいつにはきっとなにかある。こいつと仲良くなろう。そうしたらきっと大学生活は楽しくなるに違いない」と心に思ったことをはっきりと覚えている。
その日の夜、懇親会の場で、僕はその男に声をかけた。
男は言った。「お前、誰やねん(笑)」
それが僕と光嶋裕介のはじまりだった。
僕は、大学の途中まで彼と同じく建築家を志していたが、途中からもっと世の中のソフトをデザインしたいという想いから経営コンサルタントを目指し、今に至る。
そのときから、いつか僕が経営し、彼が建築するというコラボレーションを必ず実現しようと心に決めていた。
そして、彼の最初の、偉大なる処女作となる凱風館の、まるで前座を務めるかのごとく、2010年9月にそれはヨガスタジオ
の誕生となって現実のものとなった。
彼が、はじめて色彩をつかった銅版画も購入した。
はじめて一緒にギリシャでスケッチをしたときから書き溜めているドローイング、イノシシの脳みその変遷が面白いようにわかる幻想都市風景
を購入し、サインももらった。
内田先生にみいだされるなんてことが起きることなど想像もしていなかった、彼が建築家を志して歩み出す初めての日から、僕は彼を見出し、それ以来ずっとファンであり、親友であり、悪友であり、盟友であった。そして、これからもそうであることを心から誇りに思う。
大学時代に彼からもらい、そしてそれ以来、ずっと僕たち二人の合言葉になっている言葉でしめたいと思う。
Never Enough!!
決して満足するな!いつまも。
大好きな友へ、そしてその友に負けまいと思う自分へ。
by U1STYLE
「笑い」をビジネスに活かすには?
以前から、「笑い」を科学してビジネスに活かせるようないい本がないかなあと思っていましたが、吉本からビジネスマンとして成功した方が書いた本がありましたので紹介します。
- 笑いの凄ワザ/殿村政明
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
■笑いの本質は「気配り」である
この本のひとつのメッセージは非常にわかりやすいこの一言です。
おっしゃる通りですね。本当に、人を気持ちよく笑わせる人って、自分自分ではなく、常に相手に注目して、おかしな(=イジッてもらえるとおいしい)ところを見つける
笑いをつくることで
・いやな空気を明るく変える
・自分がアホになることで、相手の気分をもちあげる
・相手が心を開きやすい状態する
■「礼儀」がベースになければ、笑いは活きない
・笑いの前提に、礼儀なければ、ふざけている、バカにしている、という負のものにしかならない
・礼を尽くすことができなければ、気配りができるはずがない
・だから、吉本はじめ芸能界は礼儀にとてもうるさい(という一面もあるのかと)
■笑いのネタをつくるには?
・自分がアホになる
・常に、不思議なことに目を配る
・状況、相手の特徴のなかで、普通ではないところを探してツッコム/ボケる
■ツッコミ
・相手に「質問」で入りこんで、ほつれ(おかしなところ)をつかみ、イジル
■ボケ
・自らがアホになって、相手に近寄らせる
・自らリスクを冒すことで、回りの助け舟になる
ビジネスにおいて、どんな営業も交渉も、「リレーション」がベースにあるか無いかで成否を大きくわけます。
それは当たり前ですよね、相手は人間ですから、ロジカルな説得材料、利害だけでなく、”良い人”とビジネスしたいですから。
この「リレーション」構築は、ふつう友達をつくるときであれば、なんども遊びに行ったりして徐々につくり上げていけますが、ビジネスの場合、接点を持てる時間はそう長くありません。このリレーション=心の心理的距離を短時間で一気に縮める技術として、「礼儀&笑い」のセット超有効である、というのが筆者の伝えたかったことですね。
そして、笑い、とは決して、人を笑わせることが目的ではなく、相手への気遣い・・・自分をさげて相手をたてる、プライドを持たせてあげる、場の緊張をといて和ませる、相手を気持ち良くする、といった、心理的ギャップを埋める技術であると言えるのではないでしょうか。
面白いスキルアップができそうですね。
「今日から、一緒に、アホになりましょう!」
by U1style
がっかり本「ディズニーの教え方」(☆なし)に新解釈を
- 9割がバイトでも最高のスタッフに育つ ディズニーの教え方/福島 文二郎
- ¥1,365
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(☆なし)
この本、50万部も売れているらしいですが、中身が”まったくありません”でした。
まったくもって期待外れです。
ディズニー×教育という切り口だけが価値であり、その中身に新しいことはなにもありません。
しかし、僕はこの本を自分なりに読みかえ、解釈を加えて以下のメッセージを紡ぎました。
①天下のディズニーであっても、当たり前すぎるほどの基本を実直にやり抜いていることが成功要因。部下マネジメントに奇策なし
②ディズニーのマネジメントが本当にすごいところは、マネジメントさえ「物語」仕立てにしてしまっていること
こういうメッセージに変えて書いてたら、面白かったのになあと思います。
特に②ですよね。
強い組織って、「洗脳」がうまいということがあります。これだと、言葉が悪いし、従業員にとっても、洗脳とわかってしまうと、モチベーションもさがるリスクがあります。
ディズニーは、その事業のコンセプトを貫いて、マネジメントに「物語」を取り入れてます。
みなさんもよく御存じな、スタッフを「キャスト」と呼ぶということがそれを端的に示している例ですね。
これは、単にそう呼びほうがおしゃれ、とかかっこういい、ということではありません。
従業員が働く場所を「大きな舞台」に見立てて、従業員はその「出演者」である、という物語にしてしまうということですね。
従業員は、経営の「物語」における、「出演者」となるように設定してしまっているところが大きなポイントです。
普通の会社では、人は人であり、プライベートの自分と会社員としての自分という境目が曖昧で、そのスイッチの切り替えを導くような強い働きかけは難しいのです。
そこで、多くの企業はミッション、バリュー、ミッションステートメント(行動指針)をつくりますが、これを、従業員の意識レベル、行動レベルまで浸透させることに非常に大きな労力をかけ、また同時に大きな挫折を味わっています。
一方で、グローバルのグレートカンパニーの多くはこのことに成功しています。
ディズニーは、この課題を、従業員を「物語の出演者」と設定することで、脚本通りに演じさせる、しかも、演技を楽しむことができる、という風にして、解決しているととらえることができます。
僕たちが、スポーツを見ていて感動するのも、決して結果だけではないですよね。不遇な環境で育った選手が勝った、とか、挫折から復活した、とか、亡き母のために勝ったとか。
僕たちが心を動かされるのは、いつも「物語」なんですね。
強い営業組織でよく見られる光景ですが、チームで予算達成しなければならないというミッションを追っています。営業最終日になってもまだ数字が足りない。そこでよしみんなでなんとかしよう、とリーダーが呼びかけ、全員で顧客に電話をかける。それでもだめで、リーダー自ら自分の足で外に出て、お客様に飛び込み営業をかけ続ける。締切時間ぎりぎりで、受注した、という電話が本部に入り、内勤の女の子が大きな声でそれを伝え、みんな歓喜の歓声をあげる。
こういう組織が強いんです。
弱い組織は、予算がいかなくても、いっても「所詮仕事だから」という冷めたムードで活気がない場合が多いのです。あと1000円だから、予算未達成でもよしとするか、というような冷めた営業組織は絶対に他社に負けていきます。
この違いは、何かというと、先ほど申し上げた「物語」づくりだととらえることができます。仕事を「ドラマ」仕立てにしていくんですね。
実は、これが経営陣、マネージャー人が意識すべき、大事なテーマだということができます。
会社が描くビジョン、とかよく言いますが、それがぐっとくる”脚本”であれば、心を揺さぶるようなドラマが織り込まれている”物語”なら、従業員は、必ずその物語への出演を強く希望し、精一杯楽しんで演じきることでしょう。
マネジメントのノウハウ、テクニック論、ちまたにいろいろありますが、どうでもいいのです。
これからのビジネスでは、想像力が大事だと言いますね。
想像力というと、なにかとても難易度が高い気がします。
けど、どうでしょう、つまらない日常の仕事であっても、ドラマチックにすることはできるはずです、それがマネジメントの仕事なのです。
「なにげないことをドラマチックに」
ディズニーに学んだこと。
今日から、これで行きましょう(^_-)
by U1STYLE
左脳右脳モデルという嘘
- COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2012年 03月号 [雑誌]/著者不明
- ¥780
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★★★
より
左脳・右脳は存在しない、という科学的な研究によって真理が覆ったことを多くの人たちは知らずにいる、というセンセーショナルな記事です。
左脳・右脳モデルの応用例、左脳をオフにして、右脳で自由な発想をしようという手法「ブレーンストーミング」があります。
これは、まったく効果的でも効率的でもない、というのが最近明らかになってきてます。
別途、最近出版された、マッキンゼーでえらかった人たちが書いた「ブレーンステアリング」でも、同様のことが記載されています。
- ブレーンステアリング 10億ドルのアイデアを生み出す新発想法/ケビン・P・コイン
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新しい脳モデルは、98年に提唱された、「知的記憶」というものでした。
どのような思考においても、「分析」と「直感」が脳内で協力して働いている、
あらゆる思考には「学習」と「想起」があるだけで、左脳も右脳もない、というものです。
新しい情報は、古い棚にあるもののどれと合致するか、検索され、組み合わされ、収納されます。
この検索が「直観(想起)」であり、分類→収納が「分析(学習)」です。
また、もっともアイデアが生まれるのが、シャワーを浴びているときや、眠りにつくときだったりするのはなぜか?
脳がリラックスしている状態、という、いわゆる「セルフ1」=雑念=欲、、、などの思考の害虫に侵されていない、まっさらな状態で、それが最も起こりやすいということです。
多くのインプットをしておいて、脳環境をよく(要は集中したりリラックスしたりする)することで
脳の生産性が高まるということだと理解しています。
メンタルトレーニング -瞑想とインナーゲームの共通点
- 始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)/宝彩 有菜
- ¥620
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★★★★
瞑想は科学である、という著者。
非科学的、宗教的なものに対して疑問をもつかたにはおすすめです。
読む前の仮説通りでしたが、とても面白いのは
前回ご紹介した、「インナーゲーム
」という西洋のメンタルトレーニングの方法論と
いい方は違えど考え方、アプローチが酷似していることです。
せっかくなので、この対比で要旨を。
インナーゲームでは、自身の概念を「セルフ1」=セルフ2を妨害(指示、予測、評価などで)するもう一人の自分と「セルフ2」=本来のポテンシャルに切り分け、セルフ1を排除する、という概念でした。
瞑想もとても似ています。本書では、自身の思考の源を、「頭」と「心」に切り分け、「頭」の思考は、本来の自分ではないー過去つくられたプログラムによる思考(要するに思い込みなど)なので、「頭」の思考を排除する、リセットすることが必要だと言っています。
「頭」にある様々な思考を片づけていく、そうして、頭をすっきりさせることで本来の自分にアプローチする、これが瞑想の考え方です。
この「頭」の中にある思考を排除する方法、これが、「セルフ1」を排除する方法とまったく同じです。
瞑想の場合は、本書ではマントラを唱え、目をつぶって、その言葉に集中するようにと言っていますが、本来的には、呼吸や、チャクラの場所や、絵のイメージなど、何かに集中すればいいそうです。まさに、インナーゲームでいうところの「知覚」をつかった集中によるセルフ1排除のやり方そのものです。
これらの方法論を学んで、様々な場面で自分を見つめてみると、驚くほど自分が「集中していない」という事実に気付かされます。
例えば、ピアノを弾いていると、いつの間にか別ことを考えている、ヨガをやっていても、今日の晩御飯のことを考えている、目を瞑っても、「頭」は、やはり次から次へとあれやこれやと思考を回してきます。
ようやくわかりました。これらは、何かのパフォーマンス向上に対して、完全なる害虫のようなものなのです。
原点にかえれば、何事も「集中すべし」というのは言うまでもなく当たり前のことなのですが、様々なシーンで自分がいかに集中していないか、ということを、まずは「知覚」することが非常に重要だと実感しました。
そして、この瞑想やインナーゲームの技術をトレーニングする=雑念(セルフ1or頭)を排除し、本当の集中力を養う、ためには、日々のトレーニング→習慣化が絶対的に必要ですね。
さらに、面白かったのは、結局、そのように頭の中に、害虫のようにはびこって、われわれが平穏にここちよく集中する邪魔者の正体の本質は、「欲」である、とまとめられています。 世捨て人や仙人でない限り、人間に欲があるのはあたりまです。ですからそれを無視することはできないのですが、軽減することで、集中力を高める方法はある、ということです。これを、「愛転換法」と言っていました。
<欲と愛の対比>
get 欲しがる ⇔ give 与えたい
hold 執着する、ないと欠乏感 ⇔ leave そのまにする、笑い飛ばす
compare 他と比較して挫折する ⇔ accept あるがままを受け入れる
more もっと欲しくなる ⇔ enouth 今あることに感謝する
ほんと、いつも幸せそうな人って、やっぱり右側の特性をもってますよね。
左側が強いと、「ちくしょー」、「いまにみてろー」、「あのやろー」、「くやしい」・・・
こういう思考って、力強いので、なかなか頭から出ていってくれないですよね。
それを、発想転換のトレーニングで、徐々に右のほうに転換することで、頭から追い出していくのです。
なんか、僕の感覚的に、しっくるくるのは、「ま、いっか」発想です。
瞑想の第1段階のプロセスでも、「考えてしまうことは、あとにしよう、と棚上げする」ことで、だんだん消えていくということでした。
人生のいかなるときも、やっぱり、集中力を高め、平穏に、幸せに生きていくには、この「まいっか」発想はとても重要なんだなと思いました。
いろいろなことを組み合わせていくと、とても勉強が深まることを実感します。
by U1style








