ある独白(カミングアウト) | フリーランス翻訳者の 「英語で生きる」

フリーランス翻訳者の 「英語で生きる」

中学校の義務教育課程で英語に初めて出会って40年、54歳にしてやっと英検1級、57歳で全国通訳案内士資格、59歳で国連英検特A級に受かり、そのまま勢いで30年以上続けたのサラリーマン生活に別れを告げてフリーランス翻訳者としての道を歩き始めたおっさんです。

 今日は今まで誰にも言わなかったことを書きたいと思います。

 

 会社を辞めて翻訳者(翻訳家)を目指し始めてから物思いに沈むことが多く、もう人生の時間も限られてきたのでカミングアウトしようと思います。

 自分の知り合いは恐らく誰もこのブログを読んでいないと思うので、ちょうどいいでしょう。

 

 まったく個人的なことであり、暗い内容なので、そういう話は読みたくないという人は読まない方がいいかもしれません。

 

 実は、私「きょうだい児」(兄弟姉妹に障害者がいる人)です。

 姉が脳性小児麻痺ということで、重度の障害者。家では面倒が見きれず、今は施設にお世話になっています。もう何十年も会っていないのではっきりわからないけど、そろそろ70歳ぐらいでしょう。

 

 知性は恐らく幼児並みで、体は摺り足でよろよろ歩くのがやっとという状態、指先もほとんど動きません。そして、周囲を一番悩ませたのが、言葉がほとんどしゃべれないことです。言葉を理解できないということではなく、しゃべるための身体的な機能に問題があり、発音ができないのです。

 

 それでも自分の意思を伝えようとして、言葉(単語)を発するのですが、家族でさえも何を言っているのか分かりません。

 大変なのはそこからで、こちらが理解できないといつまでもその言葉を伝えようとするのです。ほとんどヒステリー状態になり、たとえ夜中になっても止めようとせず、家族は眠れません。

 

 その頃私はまだ小学校の低学年ぐらいでしたが、そのうちそんな姉に業を煮やした父母が、姉に暴力を振るい始めました。

 私はそれが怖くてたまらず、そんな光景を見たくないがために、父母より先に自分が姉に暴力を振るうようになってしまいました。

自分が先に暴力を振るえば怖い光景を見なくて済むという気持ちと、「何で皆に嫌な思いをさせるんだ」という気持ちが入り交じっていたように思います。

 ちなみに父母とも温和で純朴な人でした。きっとどうしようもなかったのでしょう。

 

 今、そのことがトラウマになっています。時々夢に出てくることもあります。暴力を振るったことに対する罪悪感も消えません。

もっとうまい対応ができなかったのかと、取り返しのつかない後悔に襲われることもあります。

 

 この年まで結婚しなかった(できなかった)のは、すべてとは言わないけれど、姉のことが影響していたのは確かです。

 

 若い頃は3~4件、結構いい見合いの話をいただきましたが、家族の事情を伝えたら会う前にすべて断られました。

 それ以来、自分は結婚するなら本当に好きな人との恋愛結婚でなければならないと思ってきました。結婚したい男女が互いにスペック見せ合って相手を探す「婚活」には、ご当人たちには申し訳ないけど不快感しか感じません。ちなみに子供を虐待する親は火あぶりにしてやりたいほど憎い。

 自分に好意を寄せてくれているらしい(決して錯覚ではなく、人づてに聞いたり、普段の態度でわかりました)女性も何人かいましたが、家族のことを知ったら離れていくかもしれないと思うと、いつも腰が引けてしまいました。

 

 会社を辞めて一人で過ごすようになると、やたら過去を振り返ってしまい、最近、自分は人生を無駄にしたのではないかという気持ちがこみあげてくることがよくあります。

 

 もう平均年齢で言えば人生の四分の三を過ぎたので、こうした心情を理解してくれている人が世の中に誰にもいないということがかなり辛くなって来たので、半分独り言のつもりで書きました。

 

 最後まで読んでくれた方にお礼を申し上げます。お正月早々気が滅入る話をしてすみませんでした。もしかするとこういう話をしておいた方が今後のブログ記事にも幅がでるかもしれません。