エンジニアのための記号論入門ノート② | クラスタ民主主義システム研究室

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記号論的分析はシステムのモデル化?

http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/isej/jise02/bunnseki.html

 

以下、転載しながら記録と学習

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アナログモデルとデジタルモデル

相似した実物モデルで分析するか、別の空間(想像空間や電脳空間)に写像したモデルで分析するか。

 

実体という言葉を辞書で調べると“①実際に指摘することのできるような具体的な形をそなえたもの、②いろいろな形をとって現れるものの底にある、本質的なもの”とあります。つまり、対象の表面からモデル作成者が①の実体を切り取り、その中に潜む②の本質的なものつまり意味を取り出し、それをモデル要素としてモデルの中に組み込んでいくことになります。

 

表現とその意味の関係を探求する記号論は、モデリングということと共通性がありまた役立つのではないか

 

表現が作り出す世界の構造を記号論を使って分析しようとします。たとえば、ビルディングは外観しか見えませんが、その外形からビルディングを支えている鉄骨構造やその強度を推定するようなものであるといえるかもしれません。⇒これが実体から透視するスケルトン形成に相当

 

“構造というのは「大きな単位を作っている小さな単位の並び方を決めている規則」が分かるように表したもの”

 

テクストの構造を同定することが記号論分析の目的

 

言語学モデル

 

記号論的分析のフローチャート

 

  • 記号やテクストは決して中立(neutral)でない。例え写真やドキュメンタリー映画といえども、制作者の意図が入っている。
  • 記号やテクストの意味していることは、本来的(natural)なものでない。記号表現と記号内容の関係には、制度・慣例や制作者の意図が反映されている。
  • 記号やテクストの構造およびその作用を支配するコードは、決して明示されない。それを明らかにするのが記号論的分析の到達目標である。
「どんなところでつまずくのか?」
 
物質社会と認識社会
  連続 ⇔ 離散
 
記号論では(ちょっと極端に言えば)、記号(言語)によって物の区分や分類がなされる立場に立ちます。認識世界では、もの(実質ではなく実体です)は記号(言葉)によって作られると言えます。
 
『下の層(例えば海馬)の記憶は繋がりのパターン(回路) ⇒ そのパターンを新たな繋がりのパターンで大脳(上の層)に記憶』
 
システム工学の立場からは、システムはそれを構成する要素を有機的に結び、要素間の相互作用を介してある機能を実現するというイメージを持っていました。つまり各々の要素は何らかの作用を持っています。しかし、記号や言語は、静的な要素の組合せですので、システムと呼ぶことには抵抗感があります。
 
記号の場合もsystemは上の日本語訳のうち体系が対応するのかな
  • 体系:個々別々の認識を一定の論理に従って論理的に組織した知識の全体
 
システム(体系)を重視するソシュールの記号論
 
ソシュールの提案した記号に関する学問は記号学(semiology)と呼ばれ、パースの系統は記号論(semiotics)
 
  • ‘記号表現(シニフィアン)’:(フランス語sinifiant、英語signifier) - 記号がとる
  • ‘記号内容 (シニフィエ)’:(フランス語sinifie、英語signified) ‐ それが表現する概念
 
この経路が成立するための前提は、一つ一つの言葉の意味と言葉の間のつながりが二人の間で共用されていることです。それをまとめてコード(規則)と言います。
 

ソシュールの記号モデルの円の両側の矢印は、記号表現と記号内容の関係を示すもので、意味作用と呼ばれています。この記号過程の矢印をコミュニケーションにおける記号生成と記号理解と考えると、必ずしもそれらは対称ではないとことが分かります。

 
高い声でも低い声でも「mizu」と発音したら「みず→水」をイメージし、言わんとするところを理解する仕組みを言語「ラング」と名づけました。一方、実際に発音したり、書くことにより産み出した具体的な言葉や文章つまり私達が聴覚や視覚で知ることのできるもののまとまりを、パロールと呼びました。例えばメールソフトはラングに、それで作られ、送られたメールがパロールに相当します。日本語の話し手である私たちは、日本語のラング(文法や語彙の知識)を活用しながら、具体的な文(パロール)を作り出していきます。
 
ソシュールの2要素モデルの記号内容から記号表現に向かう矢印つまり記号過程が重視されるべきだと思います。ただ、これは分析の逆、シンセシスつまり逆問題であり、記号論的分析よりさらに難しくなるのは、工学の逆問題に関する全く同様です。
 
記号表現と記号内容の間には必然的、本質的、直接的な関係はない。これを、記号の恣意性(arbitarity)と言います。 
 
恣意性=ソシュールの用語。言語記号の音声面(能記)と意味内容面(所記)との間には自然な結びつきが存在しないこと。その時々の気ままな思いつきである性質。論理的な必然性が見られない性質。
 
しかし、記号の恣意性に関しては、異論反論が続出しています。
 
一般に、記号は単独では機能せず、他の記号との組合せにより、その意味つまり価値が出てきます。同じ働きをする記号の集合をソシュールはシステム(体系)と呼びました。
 
ラングの特徴として、ソシュールが強調したのは、要素の価値(意味)は要素自体でなく要素と要素の違いにより決まる差異のシステムであるということです。
 
私たちは記号のシステム(体系)に取り囲まれており、世界は記号の体系をノードとする網で覆われているという考えの方が分かりやすいように思えます。
 
理工学の分野でも、システムという概念が注目され、サイバネティクスや制御理論、一般システム理論、システム工学、システム・シミュレーションなど多方面で理論や技法が開発されてきました。
 
フォン・ベルタランフィが中心となって研究を進めた一般システム理論は、生物、社会科学や心理学などの広い分野の課題をシステム・モデル化し、数学の理論を用いて、その挙動を明らかにしようとするものであります。彼の著書『一般システム理論』では、思考の枠組みや認識世界の秩序は、前以てこの世界に存在するのではなく、言語により大きく左右されるとするサピア・ウォーフの仮説を‘カテゴリーの相対性’として取り上げ、物理法則もヨーロッパ以外の地域を中心に研究が進められていれば、別の形になったのではないかと述べています。
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学習、ここまで。
 
要は、世界を、どう見るか?
 
どんな風に見るかは、子供のころの教育に左右される…
 
どうしたらいいのか?、どんなカテゴリーで判断したら良いのか?…
 
それは何を模範にしたかによる。
 
 
例えば、
 
子供がケンカする。
 
Aくんが殴った、Bくんが殴った。
 
どっちが悪い?と聞くと
 
Bくんが殴ったから、Aくんは悪くない…とする。
 
その時、Aくんが悪くない理由付けを探すわけだ。
 
逆に、相手側はBくんが悪くない理由付けを探す。
 
このとき、思考は「A or B」に向いている。
 
でも、本当に大人が教育しておくべきことは「殴る」という行動の善悪。
 
日本では、この道理の基本教育(道徳教育)が、劣っている。
 
だから、朝日が悪い、産経が悪い、民主党が悪い、自民党が悪い…としか考えられず
 
安倍さんを擁護したり、枝野さんを擁護したり、日本会議を擁護したり、共産党を擁護したり…、を繰り返している。
 
つまり、今の日本人は主語に対してしか考えていない。
 
本当は行動そのものが問題。
 
自民党が線香を配ったら、野党もやってるだろうで済ます。
 
本当に問題視すべきは「線香を配るか否か」だというのに。
 
そんな繰り返しに辟易している。
 
うさぎ