クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 


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ゴジラ三部作の最終話が封切されたので観て来た。


巷の評判はあまり良くないが、私は良作だと思う。

話の概略は次の通りだ。ゴジラが地球を支配したため人類が宇宙に逃れ放浪した末に、二万年後の地球へ帰還すると、進化したゴジラが生きていた。

帰還した地球人と他の二星人種族(カルト宗教種族と科学信奉種族)が協力してゴジラを倒し地球を取り戻そうとするが、三種族が対立してしまい、ゴジラに勝てない。

そこで、終末論を信仰していた宗教種族がギドラを召喚して地球ごとゴジラを食べさせてしまおうとするが、地球人がゴジラを救い、ゴジラがギドラに勝って、地球を守る…というお話だ。

最後は、科学種族が遺した科学技術を利用しようとする仲間から、その科学技術を主人公が奪ってゴジラに突っ込んで自爆し、人類とゴジラとの果てしない抗争に終止符を打つ…。

この映画では、ゴジラは自然の象徴として描かれている。対するギドラは絶対悪、そして三種族はそれぞれ感情、宗教、科学を象徴していた。

さらに、次の三つの習性で人間は行動していると看破していた。

英雄を祀り上げて集団行動する人類…
ゴジラを憎んで悪者を倒したい快楽…
科学は万能だと信じ犠牲を厭わない…

往々にして、人は善を絶対化して暴走し、憎み恨んで魔女狩りし、過ちを省みること無く同胞の犠牲を強いる。

シナリオライターの虚淵玄は流石だ。

二万年の間、ゴジラが支配する地球で生き残り原始化した人類は、憎みや怨みの概念(クオリア)を失い、怖れや慄きしか持たない設定…。したがって、誰かをディスることはない。同胞に犠牲を強いて敵を破壊することが勝利ではなく、生き残り命を紡ぐことこそが勝つことだと理解する…。

そこには現代の日本人が忘れつつある、諸行無常や輪廻永劫の理解があると私は想う。



こうした象徴の扱い方や人の脳に及ぼす影響を念頭に置くと、現代社会の歪みも見えてくる。

原爆Tシャツ、旭日旗、ナチス軍服、カギ十字のいずれも象徴でしかない。国旗や英雄像や指導者も同様だ。人の脳に浮かぶ象徴と実体は乖離していて、そこには必ず認識のズレが発生し続け、そのズレは拡大しつつ拡散していくことになる…。





こうした日本人の思考パターンと全く違った考え方をアメリカ人はしている…。そのアメリカ人の思考パターンの核心は、弱肉強食とリーダーシップに対する認識の違いだろう。

そんなドラマを観た。ウォーキングデッドだ。

このドラマシリーズは一昔前にアメリカ人の水戸黄門的なテレビドラマだった「スタートレック」とは大違い、トランプ時代の精神構造はこのドラマの様な流れに起因するのではないだろうか?




兎に角、このドラマは殺すか?、殺されるか?に特化している。

そして、その判断不能な境界に切り込んでいて、その境界のカオスでファジーな思考の分岐点で観客を彷徨わせている…。

人間が形成する組織におけるリーダーシップのあり方、状況によって変化し続ける善悪の分岐点、人がつくり出す集団の形態パターン、仲間とは家族とは何か?…、そんなことを考えさせられるドラマだ。

まだ全部は観ていないが、これまで観た中で一番印象的だったのは、ある幼い姉妹の違いだ。

弱肉強食の中で、生き残るために武器の使い方を教わる小学生くらいの姉妹のうちの一人は必要な時には人間をも殺す選択を下すし、もう一人は動物に対してでも殺生を否定する選択を下していた。

この二人に対して、大人たちは当然ながら必要なら殺人を肯定する訳だが、子供達の判断力の未熟さゆえに、目を覆いたくなる悲劇が起こる…というフィクションが描かれていた。

このドラマを観て思うことは、アメリカ人は殺し合うことは必要だと考えているし、今のアメリカの世論は何故かそうなっていて、一昔前の多民族国家の共生的な思考パターンは影を潜めているということだ。

トランプ政権の誕生は当然の帰結だろうし、その極化はこれからも増幅される様な気がしてきた。

うさぎ

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アメリカの中間選挙に関するニュースが流れていた。そのニュースによると、19歳から29歳の若者たちの三分の二以上が民主党に投票したとのこと。つまり、若者は排他と分断のトランプ政治にノーを突きつけた。排他と分断を支持するのは高齢者で、日本と同じと言える。

 

対して、韓国に関するニュースで巷を賑わせているのは、元徴用工判決と防弾少年団がSNSにアップした原爆Tシャツだ。元徴用工の問題は戦後補償の観点から論外だから、韓国政治の稚拙さとして処理すれば良く、国際的には論点とはならない。

 

しかし、原爆Tシャツは別だ。実は、徴用工判決と原爆Tシャツは表裏一体の問題なので、ここで論じてみることにする。

 

BTS防弾少年団の原爆Tシャツとは?

椎名林檎がキレる?原爆万歳グループBTS「Mステ」出演で一触即発の危機!

 

https://japanese.joins.com/article/521/246521.html?servcode=700&sectcode=740 より転載

 

(今年10月にコンサート(仏)で着たというのはフェイクニュースなので騙されないようにしましょう)

 

記事によると、BTSは5年前にハワイで韓国の光復節向けのTシャツを着ていたらしい。写真を良くみると確かに周りの人々はアロハシャツを着ているしヤシの木が写っている。つまり、日本のコンサートやテレビ出演で着たわけではなく…、アメリカ向けのアピールだったわけだ。

 

原爆Tシャツの内容は次のとおりだ。

 

長崎に投下された原爆の写真と日本から解放され万歳する朝鮮人の写真が描かれており、そこに書かれているメッセージは「PATRIOTISM OURHISTORY LIBERATION KOREA」だ。つまり、内容は、韓国の開放、我が歴史、愛国心…といったところだろうか。

 

PATRIOTISM OURHISTORY LIBERATION」は万国共通なわけで、アメリカの独立戦争と共感が持てるから、おそらくBTSはハワイで着たのだろう。アメリカ向けだから、当然、英語で書かれており、そして、アメリカでは真珠湾攻撃のリベンジが原爆投下だから、あの写真が選ばれたと思われる。そうすればアメリカで人気が出るという戦略…。

 

ハワイやアメリカに遊びに行くだけの日本人は感じたことが無いだろうが、アメリカで実際に暮らすと、日本へ落された原爆に対するアメリカ人の認識が日本人とは全く違うことを痛感する。日本に落とされた原爆は、アメリカでは、アジアを開放した善であり、日本を降伏させてアメリカ兵の命を救った善と解釈されているからだ。

 

したがって、アメリカで、原爆Tシャツを着ても、何の問題もなく、むしろハワイでは共感されるのだ。

 

原爆Tシャツに対し、反日だ、反日だと騒ぐのは日本国内だけで、日本という井戸の底の外に拡がる大海では、問題とは認識されない。原爆投下は歴史的に終わったことであり、国家間では解決済みで、遺恨を抱くべきことではない。

 

では、ここで、原爆の問題と徴用工の問題を入れ替えてみよう…。

 

元徴用工に対し、反韓だ、反韓だと騒ぐのは韓国国内だけで、韓国という井戸の底の外に拡がる大海では、問題とは認識されない。元徴用工問題は歴史的に終わったことであり、国家間では解決済みで、遺恨を抱くべきことではない。

 

というわけで、元徴用工の問題を騒ぐのは韓国のウヨクだけだし、原爆投下の問題を騒ぐのも日本のウヨクだけだということがお分かりいただけるだろうと思う。

 

韓国の防弾少年団と日本の椎名林檎は、違った村社会の中で、単に愛国心を大切にしているにすぎない、似たような立ち位置にいる鏡像になっている。

 

韓国人の愛国心が元徴用工問題に反発し、日本人の愛国心が原爆投下に反発するが、その境界線の外では反感は生じないのだ。元徴用工問題を騒ぐ韓国人と原爆Tシャツを騒ぐ日本人は、井戸の底に沈んだ同じ論理構造の下に判断を下しているにすぎない。

 

 

 

 

 

元徴用工問題も、原爆問題も、その詳細を知らなければ何も反応しないし、自分の基盤の位置によって反応は違ってくる…

 

韓国人だから元徴用工問題に反応するし、日本人だから原爆問題に反応するだけなわけで、スイス人なら「何それ?」で終わる…

 

元々人間の精神構造は共通で、何の刷り込みもなく白紙で生まれてきた赤ちゃんが、生れ出た地で知識と精神の構造を刷り込まれていくと、その人間は「ある事象」に反発する…。それが、韓国人では元徴用工であり、日本人では原爆となる…。

 

この状況は、白紙から思考できれば客観的にその相似性や鏡像性を認識できるのだが、いちど村社会から出た経験を持たないかぎり、壮年や老年の人々には認識するのは難しく、仕方ないのだろう。

 

人間の思考は極性を持ち、双極に分かれていく性質があるから、双極のいずれにも組せず、境界の壁の上を歩く様な思考を続ける訓練を積まないかぎり、客観的かつ論理的な思考はできない。

 

白紙、無、空…、そんな境地がある…。

 

 

双極のいずれかに属しない…、未決定の状況に居続けなければ、正解に至ることができない…

 

それはシュレーディンガーの猫のようなもので、蓋を開けなければ正誤に至ることはないわけで、できるだけ決め付けない思考が大切だし、それは白紙からの思考に通じている。

 

 

 

現代はネット社会だから、韓国人にせよ日本人にせよ簡単に村社会の中のフィルターバブルに捕らえられてしまい、エコーチェンバー現象に囚われやすい。そうなってしまうと、さらに、ネット社会で匿名による脱抑制が発動して過激な感情が発露しやすくなり、極化した集団が集団極性化(コーシャスシフト、リスキーシフト)に陥っていく…。

 

その結果が、韓国の元徴用工問題を起こし、日本の原爆Tシャツ問題を起こすことになる…。

 

こうした人間の習性から解脱する端緒は、どこにあるのだろうか?

 

その答えの一つが白紙の思考だと思う。

 

ゼロ、無、空に立ち返り、村社会から出て、一から考え直してみる訓練…。

 

壮年や老年になると難しいが、アメリカの中間選挙で明らかになったように、柔らかい脳を持った30歳未満の若者たちには、白紙の思考を実践できる可能性が未だ在る。

 

白紙から思考できるのは、柔軟な思考ができる人間の知能か?、感情を持たない人工知能か?…

 

論理的な構造から考えれば、その双方から至る結論は同一だろう。結局は論理国語に至るに違いない。

 

つまり  解説(言い換え) 

だから/なぜなら  根拠

たとえば 例示

さらに   付加

しかし   転換

ただし   補足

A?B?  選択

A対B   比較

 

思考で重要なのは、多くの因子を同時に扱う能力だ。

 

上記のように、多因子を同時に扱うことができなければ、実際に論理力を使うことができない。

 

頭の中のテーブルの上に載せるべき因子を網羅し実際に作動させる…、これが難しい。

 

なかなか出来ないので、また本を買ってしまった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この辺りに答えがあるはずだが、さて?、私に解くことができるだろうか?

 

うさぎ


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10年前からブログを書いてきたが、むかし書いた記事を読み返していると、すっかり忘れてしまっているが、読み返すと当時の思考や感情が蘇ってくる。

 

 

 

なぜ記憶が蘇ってくるか?というと、昔、考えたことがあったから。

 

私が考えたことが無い因子の繋がり(=私が考えたことが無い思考の経路)は、私の脳の中には無い。

 

つまり、考えたことが無い思考の経路は、考える当人の脳の中には無い。

 

こうして、考えることが違い、考えたことが違って、別々の結論へ向かい、私たち人間は多様性を維持するように創られている。

 

だが、ネット時代となった現代では、考え始める以前に、与えられるデータ(考え方)からして違っており、別々の思考経路が植え付けられている。

 

考え始める、出だしから違うため、思考が交わることがない。

 

読むサイト、購読する新聞、手にとる本、見る番組、支持する政治家、意見交換する仲間…、入力されていくデータ全てが違っているから、多様性には向かわず”分断”へと至り、二極化していくことになる。

 

結果、人類は多様性を喪失している…。アメリカや日本では対話が成り立たず、ロシアや中国やサウジアラビアなどといった独裁国家では対話は皆無で対極に在る者たちは抹殺されているのだ。

 

 

 

多様性を共有し可能性を拡げていくか?…、分断を選択し対極を排他していくか?…

 

後者を選択した結果、人間は、新潮45を抹殺するし、朝日を抹殺しようとする…、その思考パターンの先にはロシアやサウジのように人間そのものの抹殺が待ち受けているにもかかわらず…だ。

 

 

 

最近は、あまり良い映画がないが、そんな中でなかなか良かった映画は”響”

 

☆4つ ???

 

 

 

この主人公は、人間を文章で判断する。つまり、論理だけが判断材料。

 

作家の好き嫌いや良し悪しは、自分が読んだ内容で決める。

 

誰かの意見や世間の評判では決めない。

 

もちろん、朝日か?産経か?などといった先入観では決して判断しない。

 

悪いものは悪い、善いものは善い。

 

悪を懲らしめるのであれば、もちろん、暴力であっても善い。

 

「LGBTは生産性がない」という論理なら、杉田水脈議員自らも認めているように、悪い。

 

にもかかわらず、『「LGBTは生産性がない」という意見は悪いと言う人々は前後の文脈を読んでいない』と杉田議員を依怙贔屓する間違いを犯す人々が後を絶たない。

 

 

 

 

 

「施政者が友人に便宜を図る」といったことは、有無を言わさず、悪いことは悪いし…、

 

「意に反した人身売買は悪い」というのは、どんな時代でも正しい判断。

 

「警察や軍隊は暴力装置である」は正しい。したがって「自衛隊は暴力装置である」も正しい。

マックス・ウェーバーは警察や軍隊などの物理的強制力を「暴力装置」と呼んでいる

(暴力装置という用語は社会学用語の一つ)

 

にもかかわらず「自衛隊を暴力装置と呼ぶとはけしからん!」という人もいるが、学問を理解していないだけ。

 

 

 

”ちゃんと読んで判断しなさい”…主人公の科白。

 

天才とは僅かに我我と一歩を隔てたるもののことである…侏儒の言葉(芥川龍之介)

 

 

☆4つ」「朝日だから」とか世間の風潮で判断せず…

 

内容、文章、論理をちゃんと読むこと…それができれば凡人から一歩抜きん出ることができるのかもしれません。

 

うさぎ