分別という用語には、善悪を識別できる見識を有していること(ふんべつ)と種類ごとに区別や区分すること(ぶんべつ)の二つの意味があります。分別という同じ用語を使ったとしても人間の脳の中では違った意味に「ぶんべつ」されるわけです。
同じでも脳は違う反応をする…
そんな脳の反応があります。
例えばミュラー・リラー錯視
脳は錯覚するものですし、人の脳は自分が見たいように見て考えたいように考えるんです。
この前、似たような錯覚が国会で発生していました。それは安倍首相の日教組ヤジです。安倍さんが「日教組は補助金をもらっていて、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる」と錯覚していたわけですが、さらに私が驚いたのは、安倍さんがこの発言をしている時に後ろに座っていた麻生副総理もニコニコ笑いながら大きく頷いていたことです。
日本国の総理と副総理は何者かが吹き込んだガセネタを信じていたわけで、日本の安全保障上ゆゆしき(忌々しき、由々しき)大問題でした。この場合は正に「忌々しき」に分別するべき問題だったにもかかわらず、現代の日本では政治の場でもマスコミ関係も国民も問題視しませんでした。
総理を始めとする官邸メンバーがガセネタを信じていては国家安全保障会議(NSC)は機能していないわけです。何処からガセネタが入り込んで日本の首脳陣が錯覚に陥っていたのかを解明しておかなければ、将来的に日本の羅針盤が狂ってしまう危険性を回避できないはずです。
私も児童生徒の教育より教師の権利と保身を優先する日教組は嫌いですが、いまや日教組の組織率は30%を切っていて、教育現場で政治的な影響力は低下しているのですから「日本の教育が悪いのは日教組のせいだ」という短絡的な錯覚は避けるべきだと思います。
人間は「下賤の存在」と「尊い存在」を脳の中で造り出します。そうしないと安心できない本能があるのでしょう。なかなか皆が尊いとは思考できません。
日教組を下賤と考える人々がいますし、女性を下賤と考える人々がいましたし、中韓を下賤と考える人々がいます…
そして、左翼を下賤と考えたり、右翼を下賤と考えたりもします…
こういう際には人間の脳は正しく分別(ぶんべつ)出来ていないわけで、人の脳が思い描く境界線と実際の境界線は錯覚関係になっているのです。
この時点で、ちょっとだけでも脳が思考することができれば、日教組や女性や中韓といった境界で分別(ぶんべつ)してはいけないことがわかるはずですし、そうした思考を繰り返し、錯覚に陥らないようにする訓練が人が大人になり分別(ふんべつ)を身に付けるためには必要です。
男性にも賤しい人はいますし女性にも賤しい人はいます。
日本人にも賤しい人はいますし韓国人にも賤しい人はいます。
日本や韓国といった「境」で民族を分別(ぶんべつ)する愚行を繰り返すのではなく、日本人も韓国人も双方の中の分別(ふんべつ)を持っていない人々を嘆くことがら始めるべきでしょう。
一昔前まで、中国や韓国では日本語ブームで多くの人々が日本語を学んでいましたし、日本でも韓国ドラマが人気で韓国語を学ぶ人が多かったにもかからわず、今では双方の国々で他国語を学んだり使ったりすることを忌み嫌うようになってしまいました。
いつから双方の国民が錯覚に陥り、お互いを忌み嫌うようになってしまったのか…、双方の政治家は良く考え議論してみるべきでしょう。しかし、残念ながら、日中韓の首脳は錯覚を無くしていく努力を怠っています。政治家であれば隣国と対立関係に陥るデメリットをもっと考えて欲しいものです。
今は日中韓それぞれの中で分別(ふんべつ)がある国民と政治家を増やしていくことを始めるべき…
そうしなければ、日中韓で分別(ふんべつ)がないもの同士がいがみ合い、相手を遠ざけてしまい、集団を正しく分別(ぶんべつ)することなく他者を忌み嫌うものばかりになっていきます。そして、他者を忌み嫌い下賤の者たちとして侮蔑することを良しとする集団が増加していく…
歴史は繰り返します…
スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、唐、隋、元、平家、源氏、室町幕府、江戸幕府、明治政府…
全ては栄枯盛衰で、人々が驕り金銭に依存すると、産業と分別(ふんべつ)が衰退し、主産業が金融と軍事に傾いた後に、下賤と見下していた人々が台頭して次の時代を牛耳っていく…
今の日本は残念ながら再び軍事産業に傾倒しようとしていますし金融緩和も限界に近づいており、少子高齢化で枯れつつある国家の時期にあります。
何とかしてソフトランディングしなければなりませんが…
そんな国家の国民として大切なことは、錯覚に陥ることなく、正しさや正義を見極め、分別(ふんべつ)を身に付けること。
そのためには…
不確定性
多様性
可塑性
相対性
流動性
多義性
相似性
周期性
反復性
共時性
極性
軸性
原性
連続性
平衡性
………
……
…
象徴、記号、要素、確率、組合せ…
などを各自が見極めることができるフレームワークを身につける必要がありそうです。
なんとかして錯覚から脱したいですね。。。
そして、何を未来に残していくのか…
階層、主従、分別(選別)の必要性にも目を向けるべきでしょう。。。