設計(7)極論・忘論・熟論 | クラスタ民主主義システム研究室

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☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

日本では三権分立の意味が理解されていないんでしょうね。三権が独立しているように国民が監視しておくべきですし、こうした独立性は日本銀行でも同様に大切です。しかし、今の日本では三権も中央銀行も手中に納めてしまうことが政治になっています。これは「対」となるものを尊重する教育が無いためでしょう。


男尊女卑のように一方を尊ぶために他方を卑しめる習性を人間は持っていますから、右尊左卑や左尊右卑になりますし、自尊他卑になっていく…。だからこそ自由、平等、博愛のような三要素を常に念頭に置いておくべきなんですが、こういった価値観は本家のフランスでも純粋な白人のフランス人という集団内でしか共有されることはなく、集団外は排斥します。


バカにする…、あざ笑う…、無知を罵る…、ハラスメント…、みな自分の主観に基づいて卑しめる…、それが人間だからこそ人は向上心を持たねばなりません。


人間は己とお互いを肯定するために社会集団に所属すると同時に、その裏面で集団外を否定し排除します。集団に入るためにはイニシエーション(通過儀礼)を要求しますし、集団の価値観を受け入れないものは排斥することで、集団を存続させます。このように人間は戒めたり排斥したりするために虐めたり殴ったり殺したりするわけで、この法則はネット上でも学校の教室でも仕事場でも宗教団体でも政治集団でも相似しています。


これは人間社会そのものなんですよね…


そんな中で人間は様々に適応していきます。


一つは集団に入り仲間になることで適応します…。右翼に入ったり左翼に入ったり不良グループに入ったり皆と一緒になって虐めたり宗教に入信したり派閥に入ったりするわけですが、特にネット上では言いたい放題ですし大多数の中から賛同者を集めることができるため極論に向かい「●尊▲卑」が激化していきます。自己の主観を正当化ばかりしていると極端に向かい続け他者の正義に回帰できません。


二つ目は忘論(これは私の造語)です…。つまり、見ざる言わざる聞かざるで忘却してしまうと和するわけです。対立したりいがみ合ったりすることを避け、共に笑ったり楽しんだりして仲間意識を醸成していきます。めんどくさいことを忘れていれば安楽で疑似的な幸福を楽しむことができます。


三つ目は話し合い熟議することですが…。仲間に入らず独立して考えることができなければ対話は成り立ちませんし止揚することはできません。なぜなら、ある集団の仲間に入ると集団の価値観を踏襲しなければなりませんから論理に柔軟性がなくなりますし、他者を卑しめなければ裏切り者として矛先が自分に向かいますから、ある集団の中にいるものは端から議論(熟論)する気はないのが普通です。


人間は世界を己の主観で分別しています。だから己の正義が唯一正しいと考えますが、仏教徒だった日本人はその愚かさを知っていました。色即是空、空即是色であり、永遠不変の実体などはなく、人間の分別を超えたところに悟りの叡智がある…


己が唯一正義と考えていること自体が愚かなことなのですから、世の真理は移ろい流動してこそ真理と成りうる。つまり、常に変化しうる可変的状況でなければ滅びていく宿命にある…、だからこそ、この世は一つを二つにしたり、二つを一つにしたり、一つを三つにしたり、三つを一つにしたりする仕組みがあります。



たくさんの手が一つに

例えば、神道の神器は「剣、鏡、勾玉」の三つです。「祓い清め、省みる、魂」を重んじているわけで、信仰を三つに分けることで物語り(論考)を紡ぎ出す脳を流動化させているのでしょう。


空虚で流動する「わからない」境地こそが日本の心性であり日本の神性のはず…


どんな「三つ」を選ぶかは人それぞれだと思います。


自由、平等、博愛。

責任、義務、権利。

自尊、自省、自律。

利他、他力、慈愛。

自愛、利己、奔放。

愉快、快楽、愉楽。

魂胆、強欲、強行。

胆力、剛力、尽力。


そこにも組合せがありコンビナトリアが効いています。


一つの物語り(論考)では表裏があるため善悪の双方を招き寄せますから、器を安定させるためには少なくとも三脚が必要なように、三つの意識や三つの論考を重ねると論理展開が安定しますし、相互に補完して人間の脳が考えることも真理に近づくことができるのでしょう。


論理を詰めていくと多方面から論考することの重要性が見えてきます。三点を決めれば唯一の正円を描くことができるように、三次元の中の一点を決めるためには三つの座標が必要なように、人間が正しく論考していくためには多面的なアプローチを欠かすことはできません。


こうした論考に必要となる多面的思考能力は様々な場面で共通しています。STAP問題も「有る」という一方的な思考で過ちを犯しましたし、旧日本軍も「必勝」という一方的なアプローチで袋小路に追い込まれてしまいました。有るかもしれないし無いかもしれない、勝つかもしれないし負けるかもしれない…という流動性を失ってはいけません。


しかし、日本の教育では虐めと卑しめが中心になってしまいます…。だから、職場でセクハラやパワハラが絶えませんし、虐めによる自殺や川崎少年事件のような殺人が発生するわけで、私たち人間の社会状況や論考パターンについて考察し改善していくことも怠ってはならないでしょう。




私たちは人間としてどのような羅針盤を持っていれば地図がない未開の未来の領域で正道を歩んでいくことができるのでしょうか?


人間は集団に所属し仲間と楽しく安泰でいたいと思いますから、イニシエーションで分別し、肯定し合う仲間を増やすと同時に、敵を造り出して否定した外人を排斥し、仲間同士の帰属意識を高めようとします。そのような集団化と排除の繰り返しの中で、どんな物語りを持っていれば人々は賛同者を増やし平和な世界を築いていくことができるのでしょうか?


おそらく、現実社会と仮想空間では相似した人々の動態を示すはずですから、電子ネット空間でシミュレーションしたなら平和を維持していくための解法が見つかるでしょう。


物語り、コンビナトリア、対話、羅針盤、人の集散、脳の可塑化…、そこからの学習と進歩が必要ですね。


ウサギ