自分に優しく、自分を愛するエネルギーを出すことは、自分が優しくされる、自分が愛される現実に移動します。
寿虎さん:
究極・・・究極に「自分に優しく」できれば、絶対に、100%、完全に、究極に「他人に優しく」できます。
自分の欲求(感情)を我慢したり、自分を犠牲にしたりせずに、とにかく、自分に対して何らかのネガティブな力を使う事なく、心から自然で、気持ち良くて「そうしたい」と思うままに、話して、行動した事が「他人にとって究極に優しい発言」「他人にとって究極に優しい行動」になっています。
自分に対して「究極に優しいこと」は、他人に対しても「究極に優しいこと」なのです。
自分が何らかの我慢をして、他人の利益になりそうな事をする。
これは、自分に対して「優しくない行為」です。
なのでこれは、エネルギーで見ると「優しくない行為」です。
骨折り損のくたびれ儲けなのです。
エネルギーで見ましょう。
「自分に優しく」を優先すると、他人にひどい事をしてしまう。
他人に嫌われることをしてしまう。
だから、どうしても我慢するしかない。と、思う人もいるでしょう。
でも「自分に優しく」を優先した結果、他人にひどいことをしてしまうという事はイコール「自分に優しい選択ではない」とか、自分に対して「優しくない何か」が、自分の設定の中にある(ネガティブな観念がある)という事です。
多くの人にとって「他人に嫌われる」というのは、不快感を伴います。
なぜならば「嫌い」というエネルギーは、ネガティブなエネルギー(低波動)で、本来の私達の波動と摩擦を起こす波動だからです。
摩擦を起こすので「嫌な感じ」がするんです。
不快感を感じる(摩擦を起こす)のは、自分がその波動を取り入れてしまうから(相手の低波動を受け入れちゃうから)なので、取り入れなけば何のことは無い
「嫌い」という感情を抱く事で、低波動になって、低次元に行って、望まぬ現実を体験するのは「嫌い」と感じている本人だけです。
「嫌われた方の人」にとっては、まさに「他人事」なんです。
もう、この事は色んな人が、同じように話しているかと思います。
でも、そうそう簡単に、心からそう思えるようにはなれない。
なれなくていいんです。
すぐになれなくていいのですが、なれた人から・・・なんか、なんか、世間のしがらみというか、なんか、窮屈な何かから「一抜けた」「ひゃっほ!!自由だ」ってなって、心のまま自由に生きるようになって、しかも「好かれる人」になります。
だから「そうなれると人生更に楽しいよ」です。
「自分に優しく」を実行し始めると、多くの人が失敗します。
「ヤバイ勘違いさんになっちゃった」とか
「ヤバイ傲慢さんになっちゃった」とか
「上から目線になっちゃった」とか
とにかくいろいろやらかします。
でも「何でそういうのが出てくるのか?」と言うと、今まで抑圧してきたからです。
そして、解決できていないネガティブな観念がたくさんあるからです。
因みに、今まで抑圧してきたのですが、実は周囲には漏れていた。
そういう部分って、隠しきれないので、何かの際にはちょいちょい出てるので、陰では「あの人ってさ、こういうとこあるよね」と思われたり、言われたりしてるんです。
で、陰で言われてる分タチが悪い。
自覚出来ないから。
気付けないから、変えようがない。
「裸の王様」なんです。
だから、もう、出てるなら出ちゃった方がいい。
自分では我慢してるつもりなのに「勘違い・傲慢・上から目線」出ちゃってるならもう、出た方がイイんです。
自己嫌悪上等。しょうがない。
そこは自分で自覚して「自分にはそういうのがある」と認めて「どの傷が原因かな?」と考えたりして、変えればいいだけなんです。
だから「自分に優しく」をやる。
その結果、誰かに悪く言われても、言われたらやだよね。わかります。
わかるけど、もう、しょうがない。
そのショックは吐き出すしかない。
で、変わっていくしかない。
あと、さっきの話ね。
悪口言ってる方と言われてる方、どっちが損か得か・・・・エネルギーで見ましょう!!なのだ。
*損とか、得とかは無いのですが、便宜上「損得」と言っています。
今まで「上下優劣」の人間関係を築いていた人は、人間関係が崩れる事もあるでしょう。
あなたの事を「下」としていた人からは、嫌われるかもしれません。
あなたが「自分を優先した」というだけで「裏切られた」「傷付けられた」と感じて攻撃してくるかもしれないし、悪口を言いふらすかもしれない。
でも、エネルギーアップダウンで見て下さい。
その人は、あなたを攻撃しているのではありません。
自滅の道を爆走しているだけです。
「蜘蛛の糸」をイメージしましょう。(芥川龍之介さんの蜘蛛の糸)
悪く言われている事への嫌な気分は素直に吐き出しつつエネルギーで現実を見る。
その人はあなたの悪口を言いふらし、どんどん低い波動域へとシフトします。
でも、あなたは、自分の波動を上げる事に集中すれば、巻き込まれることはありません。
危害を加えられる可能性を感じるなら、それに見合った処置をすることは大事「自分を安心させる」が大事です。
私達は、そんなに複雑な事はできません。
「人間」の仕組みが単純だからです。
でも私達はあまりにも色んなことを複雑に捉えすぎています。
だから「いい気分になればいい」と言われているのに「無理して笑う」とか「怒っちゃいけない」とか、なんか・・・おかしなことになっちゃうのです。
「無理して笑う」は、いい気分ではないんです。
「怒っちゃいけない(抑圧)」は、いい気分ではないんです。
これは心理学の話ではありません。国語の話です。
「自分に優しく」という事も同じ。
自分に優しくしなきゃいけないから、本当は今日はもう、寝たいけど、嫌々我慢してお風呂に入る、これは「自分に優しく」ではありません。
または、本当は今日はもう、寝たいけどクサい。お風呂入りたい。
でも、自分に優しくしなきゃいけないから、しぶしぶ我慢して寝る。
これも「自分に優しく」ではありません。
「自分に優しく」は「臨機応変」なんです。
その都度その都度の自分に優しくする。
究極、自分に優しく出来るようになる。
これが出来るようになると自動的に、他人にも究極にやさしくなれます。
「なぜですか?」ハイ!!
過去記事にたくさん書いてあります。
二言でいうならば「他人=自分」だから。
「究極に自分に優しく出来る、という事は、ネガティブな観念が究極に無くなってる」
だから。ネガティブな発言、行動、思考、感情は、ネガティブな観念から発生しているからなので「自分に優しく」を極める。
「自分に優しく」が分かりません。
ハイ!!わたしも分かりません。
ただ、その都度その都度自分なりに「こうかな??こうかな???」ってやる事が「自分に優しく」なんじゃないのかなとおもっています。
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自分の現実は自分の出したエネルギーで創っています。創造主は自分です。
我慢のエネルギーは、我慢する現実に移動します、
自己犠牲のエネルギーは、自分を愛される逆の現実に、
自分に厳しいエネルギーは、厳しい、自分に対し厳しい現実に、
自分に優しく、自分を愛するエネルギーは、自分が優しくされる、自分が愛される現実に移動します。
自分に優しく、自分を愛するエネルギーを出すということは、他人にも優しく、他人を愛するということです。
自分も他人から優しく、愛されるということです。
今ここで観念から出したエネルギーで、無数のパラレルワールドから自分、他人を選んでいる(波動域を移動)ってことです。「他人=自分」の意味です。
バシャールのメッセージ
「自分に現れる他人は、自分の波動内にある類点を拾い集め、その接点を映し出したもの。
自分の波動で創られた他人であって、自分そのものの波動を他人の型を借りて表現しているだけ。」
これは、他人の存在が無いということではなく、無数のパラレルワールドの他人が居るということです。
自分が他人にしてもらいたいことは、自分が自分に出来てないと、その世界にシフト出来ないってことです。
他人は自分の一部です。他人軸や、自己犠牲などは必要ないことで、自分軸で、自分に優しく、自分を愛することです。
寿虎さんのブログから「究極」です。詳しくはブログをご覧ください。
究極・・・究極に「自分に優しく」できれば、絶対に、100%、完全に、究極に「他人に優しく」できます。
自分の欲求(感情)を我慢したり、自分を犠牲にしたりせずに、とにかく、自分に対して何らかのネガティブな力を使う事なく、心から自然で、気持ち良くて「そうしたい」と思うままに、話して、行動した事が「他人にとって究極に優しい発言」「他人にとって究極に優しい行動」になっています。
自分に対して「究極に優しいこと」は、他人に対しても「究極に優しいこと」なのです。
自分が何らかの我慢をして、他人の利益になりそうな事をする。
これは、自分に対して「優しくない行為」です。
なのでこれは、エネルギーで見ると「優しくない行為」です。
骨折り損のくたびれ儲けなのです。
エネルギーで見ましょう。
「自分に優しく」を優先すると、他人にひどい事をしてしまう。
他人に嫌われることをしてしまう。
だから、どうしても我慢するしかない。と、思う人もいるでしょう。
でも「自分に優しく」を優先した結果、他人にひどいことをしてしまうという事はイコール「自分に優しい選択ではない」とか、自分に対して「優しくない何か」が、自分の設定の中にある(ネガティブな観念がある)という事です。
多くの人にとって「他人に嫌われる」というのは、不快感を伴います。
なぜならば「嫌い」というエネルギーは、ネガティブなエネルギー(低波動)で、本来の私達の波動と摩擦を起こす波動だからです。
摩擦を起こすので「嫌な感じ」がするんです。
不快感を感じる(摩擦を起こす)のは、自分がその波動を取り入れてしまうから(相手の低波動を受け入れちゃうから)なので、取り入れなけば何のことは無い
「嫌い」という感情を抱く事で、低波動になって、低次元に行って、望まぬ現実を体験するのは「嫌い」と感じている本人だけです。
「嫌われた方の人」にとっては、まさに「他人事」なんです。
もう、この事は色んな人が、同じように話しているかと思います。
でも、そうそう簡単に、心からそう思えるようにはなれない。
なれなくていいんです。
すぐになれなくていいのですが、なれた人から・・・なんか、なんか、世間のしがらみというか、なんか、窮屈な何かから「一抜けた」「ひゃっほ!!自由だ」ってなって、心のまま自由に生きるようになって、しかも「好かれる人」になります。
だから「そうなれると人生更に楽しいよ」です。
「自分に優しく」を実行し始めると、多くの人が失敗します。
「ヤバイ勘違いさんになっちゃった」とか
「ヤバイ傲慢さんになっちゃった」とか
「上から目線になっちゃった」とか
とにかくいろいろやらかします。
でも「何でそういうのが出てくるのか?」と言うと、今まで抑圧してきたからです。
そして、解決できていないネガティブな観念がたくさんあるからです。
因みに、今まで抑圧してきたのですが、実は周囲には漏れていた。
そういう部分って、隠しきれないので、何かの際にはちょいちょい出てるので、陰では「あの人ってさ、こういうとこあるよね」と思われたり、言われたりしてるんです。
で、陰で言われてる分タチが悪い。
自覚出来ないから。
気付けないから、変えようがない。
「裸の王様」なんです。
だから、もう、出てるなら出ちゃった方がいい。
自分では我慢してるつもりなのに「勘違い・傲慢・上から目線」出ちゃってるならもう、出た方がイイんです。
自己嫌悪上等。しょうがない。
そこは自分で自覚して「自分にはそういうのがある」と認めて「どの傷が原因かな?」と考えたりして、変えればいいだけなんです。
だから「自分に優しく」をやる。
その結果、誰かに悪く言われても、言われたらやだよね。わかります。
わかるけど、もう、しょうがない。
そのショックは吐き出すしかない。
で、変わっていくしかない。
あと、さっきの話ね。
悪口言ってる方と言われてる方、どっちが損か得か・・・・エネルギーで見ましょう!!なのだ。
*損とか、得とかは無いのですが、便宜上「損得」と言っています。
今まで「上下優劣」の人間関係を築いていた人は、人間関係が崩れる事もあるでしょう。
あなたの事を「下」としていた人からは、嫌われるかもしれません。
あなたが「自分を優先した」というだけで「裏切られた」「傷付けられた」と感じて攻撃してくるかもしれないし、悪口を言いふらすかもしれない。
でも、エネルギーアップダウンで見て下さい。
その人は、あなたを攻撃しているのではありません。
自滅の道を爆走しているだけです。
「蜘蛛の糸」をイメージしましょう。(芥川龍之介さんの蜘蛛の糸)
悪く言われている事への嫌な気分は素直に吐き出しつつエネルギーで現実を見る。
その人はあなたの悪口を言いふらし、どんどん低い波動域へとシフトします。
でも、あなたは、自分の波動を上げる事に集中すれば、巻き込まれることはありません。
危害を加えられる可能性を感じるなら、それに見合った処置をすることは大事「自分を安心させる」が大事です。
私達は、そんなに複雑な事はできません。
「人間」の仕組みが単純だからです。
でも私達はあまりにも色んなことを複雑に捉えすぎています。
だから「いい気分になればいい」と言われているのに「無理して笑う」とか「怒っちゃいけない」とか、なんか・・・おかしなことになっちゃうのです。
「無理して笑う」は、いい気分ではないんです。
「怒っちゃいけない(抑圧)」は、いい気分ではないんです。
これは心理学の話ではありません。国語の話です。
「自分に優しく」という事も同じ。
自分に優しくしなきゃいけないから、本当は今日はもう、寝たいけど、嫌々我慢してお風呂に入る、これは「自分に優しく」ではありません。
または、本当は今日はもう、寝たいけどクサい。お風呂入りたい。
でも、自分に優しくしなきゃいけないから、しぶしぶ我慢して寝る。
これも「自分に優しく」ではありません。
「自分に優しく」は「臨機応変」なんです。
その都度その都度の自分に優しくする。
究極、自分に優しく出来るようになる。
これが出来るようになると自動的に、他人にも究極にやさしくなれます。
「なぜですか?」ハイ!!
過去記事にたくさん書いてあります。
二言でいうならば「他人=自分」だから。
「究極に自分に優しく出来る、という事は、ネガティブな観念が究極に無くなってる」
だから。ネガティブな発言、行動、思考、感情は、ネガティブな観念から発生しているからなので「自分に優しく」を極める。
「自分に優しく」が分かりません。
ハイ!!わたしも分かりません。
ただ、その都度その都度自分なりに「こうかな??こうかな???」ってやる事が「自分に優しく」なんじゃないのかなとおもっています。
https://ameblo.jp/whoaretime/entry-12356727193.html
ありがとうございます
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森林の中の光の撮影です。
こちらのブログもございます。「地球の愛と光・本来の姿へ」
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