自分に優しく、自分を愛するエネルギーは、自分が優しくされる、自分が愛される現実に移動します。 | 思考が現実になる、パラレルワールド(平行世界)

思考が現実になる、パラレルワールド(平行世界)

自分の現実は、毎瞬、元々あるパラレルワールドを、自分の思考・感情で、その波動域に移動して見ています。おかしいことに目覚めるかどうか、恐れか愛かで自分の世界が決まります。重要な時期です。

自分に優しく、自分を愛するエネルギーを出すことは、自分が優しくされる、自分が愛される現実に移動します。

寿虎さん:

究極・・・究極に「自分に優しく」できれば、絶対に、100%、完全に、究極に「他人に優しく」できます。

自分の欲求(感情)を我慢したり、自分を犠牲にしたりせずに、とにかく、自分に対して何らかのネガティブな力を使う事なく、心から自然で、気持ち良くて「そうしたい」と思うままに、話して、行動した事が「他人にとって究極に優しい発言」「他人にとって究極に優しい行動」になっています。

自分に対して「究極に優しいこと」は、他人に対しても「究極に優しいこと」なのです。

自分が何らかの我慢をして、他人の利益になりそうな事をする。

これは、自分に対して「優しくない行為」です。

なのでこれは、エネルギーで見ると「優しくない行為」です。

骨折り損のくたびれ儲けなのです。

エネルギーで見ましょう。

「自分に優しく」を優先すると、他人にひどい事をしてしまう。

他人に嫌われることをしてしまう。

だから、どうしても我慢するしかない。と、思う人もいるでしょう。

でも「自分に優しく」を優先した結果、他人にひどいことをしてしまうという事はイコール「自分に優しい選択ではない」とか、自分に対して「優しくない何か」が、自分の設定の中にある(ネガティブな観念がある)という事です。

多くの人にとって「他人に嫌われる」というのは、不快感を伴います。

なぜならば「嫌い」というエネルギーは、ネガティブなエネルギー(低波動)で、本来の私達の波動と摩擦を起こす波動だからです。

摩擦を起こすので「嫌な感じ」がするんです。

不快感を感じる(摩擦を起こす)のは、自分がその波動を取り入れてしまうから(相手の低波動を受け入れちゃうから)なので、取り入れなけば何のことは無い

「嫌い」という感情を抱く事で、低波動になって、低次元に行って、望まぬ現実を体験するのは「嫌い」と感じている本人だけです。

「嫌われた方の人」にとっては、まさに「他人事」なんです。

もう、この事は色んな人が、同じように話しているかと思います。

でも、そうそう簡単に、心からそう思えるようにはなれない。

なれなくていいんです。

すぐになれなくていいのですが、なれた人から・・・なんか、なんか、世間のしがらみというか、なんか、窮屈な何かから「一抜けた」「ひゃっほ!!自由だ」ってなって、心のまま自由に生きるようになって、しかも「好かれる人」になります。

だから「そうなれると人生更に楽しいよ」です。

「自分に優しく」を実行し始めると、多くの人が失敗します。

「ヤバイ勘違いさんになっちゃった」とか

「ヤバイ傲慢さんになっちゃった」とか

「上から目線になっちゃった」とか

とにかくいろいろやらかします。

でも「何でそういうのが出てくるのか?」と言うと、今まで抑圧してきたからです。

そして、解決できていないネガティブな観念がたくさんあるからです。

因みに、今まで抑圧してきたのですが、実は周囲には漏れていた。

そういう部分って、隠しきれないので、何かの際にはちょいちょい出てるので、陰では「あの人ってさ、こういうとこあるよね」と思われたり、言われたりしてるんです。

で、陰で言われてる分タチが悪い。

自覚出来ないから。

気付けないから、変えようがない。

「裸の王様」なんです。

だから、もう、出てるなら出ちゃった方がいい。

自分では我慢してるつもりなのに「勘違い・傲慢・上から目線」出ちゃってるならもう、出た方がイイんです。

自己嫌悪上等。しょうがない。

そこは自分で自覚して「自分にはそういうのがある」と認めて「どの傷が原因かな?」と考えたりして、変えればいいだけなんです。

だから「自分に優しく」をやる。

その結果、誰かに悪く言われても、言われたらやだよね。わかります。

わかるけど、もう、しょうがない。

そのショックは吐き出すしかない。

で、変わっていくしかない。

あと、さっきの話ね。

悪口言ってる方と言われてる方、どっちが損か得か・・・・エネルギーで見ましょう!!なのだ。

*損とか、得とかは無いのですが、便宜上「損得」と言っています。

今まで「上下優劣」の人間関係を築いていた人は、人間関係が崩れる事もあるでしょう。

あなたの事を「下」としていた人からは、嫌われるかもしれません。

あなたが「自分を優先した」というだけで「裏切られた」「傷付けられた」と感じて攻撃してくるかもしれないし、悪口を言いふらすかもしれない。

でも、エネルギーアップダウンで見て下さい。

その人は、あなたを攻撃しているのではありません。

自滅の道を爆走しているだけです。

「蜘蛛の糸」をイメージしましょう。(芥川龍之介さんの蜘蛛の糸)

悪く言われている事への嫌な気分は素直に吐き出しつつエネルギーで現実を見る。

その人はあなたの悪口を言いふらし、どんどん低い波動域へとシフトします。

でも、あなたは、自分の波動を上げる事に集中すれば、巻き込まれることはありません。

危害を加えられる可能性を感じるなら、それに見合った処置をすることは大事「自分を安心させる」が大事です。

私達は、そんなに複雑な事はできません。

「人間」の仕組みが単純だからです。

でも私達はあまりにも色んなことを複雑に捉えすぎています。

だから「いい気分になればいい」と言われているのに「無理して笑う」とか「怒っちゃいけない」とか、なんか・・・おかしなことになっちゃうのです。

「無理して笑う」は、いい気分ではないんです。

「怒っちゃいけない(抑圧)」は、いい気分ではないんです。

これは心理学の話ではありません。国語の話です。

「自分に優しく」という事も同じ。

自分に優しくしなきゃいけないから、本当は今日はもう、寝たいけど、嫌々我慢してお風呂に入る、これは「自分に優しく」ではありません。

または、本当は今日はもう、寝たいけどクサい。お風呂入りたい。

でも、自分に優しくしなきゃいけないから、しぶしぶ我慢して寝る。

これも「自分に優しく」ではありません。

「自分に優しく」は「臨機応変」なんです。

その都度その都度の自分に優しくする。

究極、自分に優しく出来るようになる。

これが出来るようになると自動的に、他人にも究極にやさしくなれます。

「なぜですか?」ハイ!!

過去記事にたくさん書いてあります。

二言でいうならば「他人=自分」だから。

「究極に自分に優しく出来る、という事は、ネガティブな観念が究極に無くなってる」

だから。ネガティブな発言、行動、思考、感情は、ネガティブな観念から発生しているからなので「自分に優しく」を極める。

「自分に優しく」が分かりません。

ハイ!!わたしも分かりません。

ただ、その都度その都度自分なりに「こうかな??こうかな???」ってやる事が「自分に優しく」なんじゃないのかなとおもっています。

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自分の現実は自分の出したエネルギーで創っています。創造主は自分です。

我慢のエネルギーは、我慢する現実に移動します、

自己犠牲のエネルギーは、自分を愛される逆の現実に、

自分に厳しいエネルギーは、厳しい、自分に対し厳しい現実に、

自分に優しく、自分を愛するエネルギーは、自分が優しくされる、自分が愛される現実に移動します。

自分に優しく、自分を愛するエネルギーを出すということは、他人にも優しく、他人を愛するということです。

自分も他人から優しく、愛されるということです。

今ここで観念から出したエネルギーで、無数のパラレルワールドから自分、他人を選んでいる(波動域を移動)ってことです。「他人=自分」の意味です。

バシャールのメッセージ

「自分に現れる他人は、自分の波動内にある類点を拾い集め、その接点を映し出したもの。

自分の波動で創られた他人であって、自分そのものの波動を他人の型を借りて表現しているだけ。」

これは、他人の存在が無いということではなく、無数のパラレルワールドの他人が居るということです。

自分が他人にしてもらいたいことは、自分が自分に出来てないと、その世界にシフト出来ないってことです。

他人は自分の一部です。他人軸や、自己犠牲などは必要ないことで、自分軸で、自分に優しく、自分を愛することです。


寿虎さんのブログから「究極」です。詳しくはブログをご覧ください。



究極・・・究極に「自分に優しく」できれば、絶対に、100%、完全に、究極に「他人に優しく」できます。

自分の欲求(感情)を我慢したり、自分を犠牲にしたりせずに、とにかく、自分に対して何らかのネガティブな力を使う事なく、心から自然で、気持ち良くて「そうしたい」と思うままに、話して、行動した事が「他人にとって究極に優しい発言」「他人にとって究極に優しい行動」になっています。

自分に対して「究極に優しいこと」は、他人に対しても「究極に優しいこと」なのです。

自分が何らかの我慢をして、他人の利益になりそうな事をする。

これは、自分に対して「優しくない行為」です。

なのでこれは、エネルギーで見ると「優しくない行為」です。

骨折り損のくたびれ儲けなのです。

エネルギーで見ましょう。

「自分に優しく」を優先すると、他人にひどい事をしてしまう。

他人に嫌われることをしてしまう。

だから、どうしても我慢するしかない。と、思う人もいるでしょう。

でも「自分に優しく」を優先した結果、他人にひどいことをしてしまうという事はイコール「自分に優しい選択ではない」とか、自分に対して「優しくない何か」が、自分の設定の中にある(ネガティブな観念がある)という事です。

多くの人にとって「他人に嫌われる」というのは、不快感を伴います。

なぜならば「嫌い」というエネルギーは、ネガティブなエネルギー(低波動)で、本来の私達の波動と摩擦を起こす波動だからです。

摩擦を起こすので「嫌な感じ」がするんです。

不快感を感じる(摩擦を起こす)のは、自分がその波動を取り入れてしまうから(相手の低波動を受け入れちゃうから)なので、取り入れなけば何のことは無い

「嫌い」という感情を抱く事で、低波動になって、低次元に行って、望まぬ現実を体験するのは「嫌い」と感じている本人だけです。

「嫌われた方の人」にとっては、まさに「他人事」なんです。

もう、この事は色んな人が、同じように話しているかと思います。

でも、そうそう簡単に、心からそう思えるようにはなれない。

なれなくていいんです。

すぐになれなくていいのですが、なれた人から・・・なんか、なんか、世間のしがらみというか、なんか、窮屈な何かから「一抜けた」「ひゃっほ!!自由だ」ってなって、心のまま自由に生きるようになって、しかも「好かれる人」になります。

だから「そうなれると人生更に楽しいよ」です。

「自分に優しく」を実行し始めると、多くの人が失敗します。

「ヤバイ勘違いさんになっちゃった」とか

「ヤバイ傲慢さんになっちゃった」とか

「上から目線になっちゃった」とか

とにかくいろいろやらかします。

でも「何でそういうのが出てくるのか?」と言うと、今まで抑圧してきたからです。

そして、解決できていないネガティブな観念がたくさんあるからです。

因みに、今まで抑圧してきたのですが、実は周囲には漏れていた。

そういう部分って、隠しきれないので、何かの際にはちょいちょい出てるので、陰では「あの人ってさ、こういうとこあるよね」と思われたり、言われたりしてるんです。

で、陰で言われてる分タチが悪い。

自覚出来ないから。

気付けないから、変えようがない。

「裸の王様」なんです。

だから、もう、出てるなら出ちゃった方がいい。

自分では我慢してるつもりなのに「勘違い・傲慢・上から目線」出ちゃってるならもう、出た方がイイんです。

自己嫌悪上等。しょうがない。

そこは自分で自覚して「自分にはそういうのがある」と認めて「どの傷が原因かな?」と考えたりして、変えればいいだけなんです。

だから「自分に優しく」をやる。

その結果、誰かに悪く言われても、言われたらやだよね。わかります。

わかるけど、もう、しょうがない。

そのショックは吐き出すしかない。

で、変わっていくしかない。

あと、さっきの話ね。

悪口言ってる方と言われてる方、どっちが損か得か・・・・エネルギーで見ましょう!!なのだ。

*損とか、得とかは無いのですが、便宜上「損得」と言っています。

今まで「上下優劣」の人間関係を築いていた人は、人間関係が崩れる事もあるでしょう。

あなたの事を「下」としていた人からは、嫌われるかもしれません。

あなたが「自分を優先した」というだけで「裏切られた」「傷付けられた」と感じて攻撃してくるかもしれないし、悪口を言いふらすかもしれない。

でも、エネルギーアップダウンで見て下さい。

その人は、あなたを攻撃しているのではありません。

自滅の道を爆走しているだけです。

「蜘蛛の糸」をイメージしましょう。(芥川龍之介さんの蜘蛛の糸)

悪く言われている事への嫌な気分は素直に吐き出しつつエネルギーで現実を見る。

その人はあなたの悪口を言いふらし、どんどん低い波動域へとシフトします。

でも、あなたは、自分の波動を上げる事に集中すれば、巻き込まれることはありません。

危害を加えられる可能性を感じるなら、それに見合った処置をすることは大事「自分を安心させる」が大事です。

私達は、そんなに複雑な事はできません。

「人間」の仕組みが単純だからです。

でも私達はあまりにも色んなことを複雑に捉えすぎています。

だから「いい気分になればいい」と言われているのに「無理して笑う」とか「怒っちゃいけない」とか、なんか・・・おかしなことになっちゃうのです。

「無理して笑う」は、いい気分ではないんです。

「怒っちゃいけない(抑圧)」は、いい気分ではないんです。

これは心理学の話ではありません。国語の話です。

「自分に優しく」という事も同じ。

自分に優しくしなきゃいけないから、本当は今日はもう、寝たいけど、嫌々我慢してお風呂に入る、これは「自分に優しく」ではありません。

または、本当は今日はもう、寝たいけどクサい。お風呂入りたい。

でも、自分に優しくしなきゃいけないから、しぶしぶ我慢して寝る。

これも「自分に優しく」ではありません。

「自分に優しく」は「臨機応変」なんです。

その都度その都度の自分に優しくする。

究極、自分に優しく出来るようになる。

これが出来るようになると自動的に、他人にも究極にやさしくなれます。

「なぜですか?」ハイ!!

過去記事にたくさん書いてあります。

二言でいうならば「他人=自分」だから。

「究極に自分に優しく出来る、という事は、ネガティブな観念が究極に無くなってる」

だから。ネガティブな発言、行動、思考、感情は、ネガティブな観念から発生しているからなので「自分に優しく」を極める。

「自分に優しく」が分かりません。

ハイ!!わたしも分かりません。

ただ、その都度その都度自分なりに「こうかな??こうかな???」ってやる事が「自分に優しく」なんじゃないのかなとおもっています。


https://ameblo.jp/whoaretime/entry-12356727193.html

ありがとうございます
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森林光2

森林の中の光の撮影です。


こちらのブログもございます。「地球の愛と光・本来の姿へ
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