軍師官兵衛:第44回 落ちゆく巨星 第2幕 | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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◆◆◆朝鮮への野望、再び◆◆◆
明からの和睦交渉の条件を記した書状が届く。
翻訳する西笑承兌の言葉に、怒りはじめる秀吉

※西笑承兌(さいしょうじょうたい)
戦国時代から江戸時代初期の臨済宗の僧。
豊臣秀吉や徳川家康の顧問的役割を務める。
諸法度、外交文書の起草、学問奨励策や寺社行政の立案、
法要などの仏事の運営に携わる。



明に封じられずとも自分こそが日の本の天下人だと叫ぶ秀吉
ここに交渉は決裂し、秀吉は再び明征服の兵をあげる。

大坂・黒田屋敷。深夜、別れを惜しむ長政
殿下の面目をたてるだけの戦いの為、士気も低く、
生きて帰って来られるか・・・。

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大坂城に登城した官兵衛は秀吉に拝謁する。
これが自分にとって最後の戦、
明や朝鮮の王になるのだ~と豪語する秀吉に、
官兵衛は、出兵を止めるどころか自ら朝鮮へ行きたいと願い出る。

おぬしの策さえあれば必ず勝てる~と喜ぶ秀吉だが、
官兵衛の真意は、兵たちをいたずらに死なせぬよう、
なるべく傷を小さくしながら、負けない戦をする事にあった。

>慶長元年(1596年・12月)、朝鮮への再出兵を目前に、
>秀吉は拾の名を改めた。(ナレーション)


四歳になった拾いは、名を「秀頼」と改め、
大坂城に集まった大名達に披露された。



伏見屋敷に戻った家康は、薬草作りに忙しい。
ふと手を止めた家康は自分があと何年生きるかを尋ねる。

家康55歳、太閤は60歳。家康の見立てでは太閤の命は長くない。
もって、あと二年というところだろう。
家康の予想に驚く井伊直政。しかしそれを分かっているのは、
自分だけではないことを理解している家康。

1597年(慶長二年)黒田軍が朝鮮へ出立する日がやって来た。
家臣達を前にして、此度の戦いは守りを固め、
無闇に打って出ることを禁じる長政。



見送る家族の中から進み出た熊之助は、朝鮮行きを志願するが、
黒田の男子が全て朝鮮に渡る事の危うさを説く官兵衛。
戦に出たい気持ちをおさえている吉太夫に、
「若を助け、留守を頼む」と肩を叩く父・太兵衛
この年の二月、名護屋に集結した軍勢は朝鮮へと出立する。

>黒田勢を含む、十四万の大軍が、
>再び、海を渡っていった。(ナレーション)




◆◆◆隆景の訓示◆◆◆
第一軍が海を渡っている頃、大坂を出立した官兵衛は、
病の床にある小早川隆景を見舞う為、備後の三原城に立ち寄る。

自らの死期を悟っている隆景は、
養子としてむかえていた北政所の甥・秀秋に対し、
今後は何事も如水殿を頼るように命じる。

その秀秋を下がらせ、官兵衛と二人きりになると、
太閤の寿命は長くなく、再び天下が乱れる事を語り始める隆景

自分はおぬしほど知恵のまわる男を見たことがない。
しかし、少々、知恵がまわりすぎる時がある。
良い知恵が浮かんだ時こそ、よくよく吟味するように。

隆景の忠告に素直に礼を述べる官兵衛
当初、毛利と小寺という敵同士として相まみえた両雄。
小早川隆景は、この年の夏、65歳の生涯を終えた。

◆◆◆熊之助と吉太夫◆◆◆
大坂の黒田屋敷。姿の見えない熊之助と吉太夫を探す光。
そこに、熊之助の置き手紙を持って、お道がやって来る。

>私は、兄上の強さと父上の賢さを
>併せ持った武将になりたいと思っています。(熊之助)

>私も、父の様な豪傑になりとう存じます。(吉太夫)
>二人とも、きっとなれますよ。もう少しの辛抱です。(光)



熊之助吉太夫を乗せた船が朝鮮へ向かっている頃、
朝鮮の黒田の陣営に官兵衛が到着。

>すべてを呑み込む乱世の嵐が、
>またも迫って来ていた。(ナレーション)


【次回予告:秀吉の最期】
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つゆときえにし、我が身かな・・・(ぐはっ!)
そして、、、黒田家を襲う、新たなる悲劇!!

▼軍師官兵衛:第45回 秀吉の最期 第1幕