いわれてみれば、若い頃 
教科書として受け取りはしたものの
内容の難しさに悶々とした思い出があります。


それが現場へ出て、
先輩のしている保育を見よう見まねで真似する中で、
個人と集団との違いをまざまざと突きつけられ、
「好きなだけでは保育はできないんだな」
…と感じてからは、
保育の型に子どもをはめることが良い保育なのだと、
体得してきた過去があり。
悪気はなくとも、子どもはいえなくても、
嫌な思いをしている=人権侵害に当たることもあるのかもしれないーーー
〜そう気が付いてからは、
パンドラの箱を開けてしまったように
これまでの自分が音を立てて崩れていくような。
 

心もとない中で、割れたかけらを集めながら
新たな概念を迎え入れて再構築していく…という
先の長いトンネルに入ったような感覚をお持ちの方も少なくないのではないでしょうか。
本日は、裾野のさくら保育園サポートをきっかけに
裾野市全体での人権意識を優先にしていく取り組みで
講師を務められている新保庄三先生に同行させていただき、
人権への気づきを深めるプロセスに
学ばせていただきました。
 

「人権は、○か×かのチェックリストでは測れない」
「子どもではない。そこにいるのは人間です。」
〜ということで、
対話を通して気づき合っていくこのプロセスが
大切なのだと感じさせていただきました。
印象的だったのは、
「権利は与えられるものではなく、闘って得るものである。
 闘う相手は、
 1.公権力と闘う
 2.社会と仲間と闘う
 3.自分自身の人権に対する考え方と」
~というお話でした。
たしかに・・・
「暗黙の圧を感じて、言えなくなる」
「いいづらい」
「他者からどう見られているんだろうと思うと、心が揺らぐ」
~などなど、ありますよね。
 

そんな中でも、したたかに柔軟に
人権に対する考え方を育んでいくことが大切なのだと。
なにか声が上がったら、
「それなら○○は無しにしよう!」
「○○はやめよう!」
ではなく、
「どうしてそう感じたのだろう?」
「背景に、どんなことがあるのだろう?」
「どんな権利がそこにあるのだろう?」
「他ではどうしているんだろう?」
「うちの理念を踏まえて、どう考えるか?」

~という学びと気付きのプロセスを園チームで体験していく中で
「こういうことも踏まえて、
 うちの園としては○○を大切にしていきます」
という姿勢を表現していくことが大切なのだ、と。
そのためには、一人一人が自分の感じていることを言葉にすること。
 

相手のお話に耳を傾けて、
お互いの意見を聞き合える関係性を土台とする、
対話の文化が重要になるのだということに深く納得しました。
 

新保先生、
保育者の気持ちにより添いながら 事例ワークを深めてくださった下原先生、どうも有り難うございました!

1人、、「RAMSA」というテキストの画像のようです