吉野朔美さんの作品です。この方の作品は、この方の描く線そのもの。繊細で美しく、どこか狂気と毒を含んでいます。
表題作「記憶の技法」も例に違わず。
記憶喪失癖のある華蓮(かれん)。母親は今日も「好きだ」と言った覚えのない華蓮の好物を食卓に並べる。ある日、韓国への修学旅行のために取得した戸籍謄本には、自分より年下の「姉」がいた事実が。ありえない事実。母の語る記憶にいつも抱いていた違和感。偶然知り合った怜(さとい)の協力を得て、戸籍をもとに自分を探す旅にでるが・・・
華蓮の日常は一見するととても幸せです。でも描かれるのは、真綿でくるむような愛と狂気が混じった日常。柔らかい人格否定。
怖いですよ、これ(((゜д゜;)))。
内在する記憶と現実(両親のいう記憶)の乖離を「記憶喪失癖」という隠れ蓑でくるんで、日々洗脳。
華蓮の日常とはまるで「愛のある洗脳生活」のようです。
でも、本能的に彼女は気づいている「両親の繰り返し語る自分」が自分ではないということを。だから「自分を消したい」。記憶喪失癖とはそういうことなのでしょう。
この物語の鍵は、「怜」の語った「うそをつくコツ」。
「本当のことを混ぜること。シナリオが嘘でも気持ちが本当なら人は信じてしまうものだよ。」
華蓮の両親は、まさに自分たちの記憶に「嘘」をついている。自分たちの心が悲しみに壊れないように。でも「(娘を)愛している」という気持ちが本当だから、華蓮は信じてしまう。そして華蓮だけではなく、両親自身もその「うそ」を信じてしまっている。
記憶の再構成への試み
「記憶の技法」という題名に、思わずため息が出てしまいます。
戸籍は違和感の原因を知る手がかりとなり、華蓮は両親には何も言わず「自分探し」をしにいきます。そこで知る衝撃の事実。彼女自身の記憶もまた「うそ」をついていたこと。そして、彼女が受け入れる強さを持てるようになって初めて、彼女の記憶は「真実」を伝えるのです。
悲しい記憶。
でも、その記憶のなかには「幸せの記憶」もちゃんとある。心の準備ができるまで、「今の両親」に役者を替えて「悲しい記憶」を思い出さないようにしながらも、「幸せの記憶」は彼女のなかにずっといたのです。彼女が生きていくために必要だから。それが、自分の「帰る場所」だから。
一緒に旅をする「怜」は対照的です。彼は記憶をすべて持っている。でも、その記憶に「幸せ」がない。彼は生まれたときから「原罪」を背負ってしまった悲しい少年です。
彼女の「自分探し」につきあったのは、彼女と自分を重ねていたからなのでしょう。彼もまた、母に問いたかった。
「どうして自分を手放したのか」
気持ちの故郷を持たない彼らの旅で、彼だけは何も見つけられない。そのうえ彼女は「幸せの記憶」という故郷を得たものの、同時に「暗い記憶」も取り返すことに。
僕は友達じゃない。あなたを知らない。
だからこそ「秘密の共有ができる」と彼は彼女に言いました。これは甘い誘惑。彼が誰かと関わっていくための処世術なのかもしれません。でも、その方法には穴があって、やがて彼はその「関わったこと」ゆえ避けられ記憶から捨てられてしまう。
悪循環なのです。
「オレを嫌わないで」
どこまでも孤独な彼から出た初めての本心。
でもその孤独はきっと癒される、癒されてほしいと思わされるラストシーンに胸をつかれます。
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
ちなみに・・・
この彼女、両親を変える気がないのですね。彼女の両親はおそらくその心が悲しさを受け入れる準備ができるまで、彼女に「死んだ娘」として接するのではないかと思います。「愛」をもって。
でも、そんな日は来るのかなぁ?そのままでいいのかな?うーん。これも「愛」なんですかね?
この方の作品は何度も何度も読み返してしまいます。
たいてい、私の理解が一度では追いつかないからorz
でも、そのかわり、時を経て読み返すその度に、新たな発見、新たな見方ができて自分の成長を垣間見たり(笑)。今日のこの感想、解釈も、またいつか読み返すと違う面が見えてくるのかもしれません。
そしてひとつひとつの台詞やエピソードが、いつのまにか自分の糧になっていたりするのです。
すごい作家さんです。