13年前 | 後藤ゆうじの日々是決戦

後藤ゆうじの日々是決戦

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本日3月11日。

誰もが忘れもしない、2011年3月11日東日本大震災が起こった日です。

地震だけじゃなく津波、そして福島原発のメルトダウンからの水素爆発(未だ詳細原因や廃炉の目処はつかないまま)…


記憶に新しいことです。

とはいえ、もうあれから13年が経過。

我々日本国民にとって、少し他人事になってしまったところも否定はできないでしょう。

ところが今も尚、仮設住宅に住み、それどころか、原発の事故により放射線量が高い地域は立ち入り禁止。

やむなく未だに帰宅することも許されていない人たちも多くいらっしゃる。

いや、はっきり言ってもう帰宅は無理でしょう。


あれから皆さんは、何かそのことに対して少しでも感じたり、気づいたり、考えたことはありますでしょうか?


僕は(僕というより、かみさんですが)長女が当時5歳ということもあって、

「福島に行って、応援しよう」

「福島のものを食べて応援しよう」

みたいなメディアが、日本国民をその流れに促しつつあった時、メディアに対してはもちろん、政府や行政、そしてそれらに同調する国民に、少し不信感、嫌悪感をもち、いろいろ考えたようです。

というか、後から聞いたのできっとずっと心の中でモヤモヤモヤモヤしていたのでしょう。


かみさんの想いを聞いたとき、僕は正直すぐには受け入れることはできなかったですけども、よくよく考えると人間は(人間に限ったことじゃないですけど、特に哺乳類はメス・女性から産まれてくる。要するに自分の身体を痛めてまで子孫繁栄する。そういったレベルのことを考えると)母性本能というか、我が子を大切にする、我が子の命を自分の命よりも尊く思う。

そういった本能があるんだろうなぁ…って。


僕の考えが改められるまで、そう時間はかからなかったことを記憶しています。

もちろん今でもそう思っています。


メディア、政府、行政、学校等が掲げた

「福島の人たちを見過ごさない・見捨てない」

そういう気持ちは僕らだってわかります。

ただ、放射線閾値を改定してまで汚染された(ロットテストしてるので、全部が全部汚染されてるとは限らないですけど、あくまでもロットの中の話なので、逆に言うと全部が全部影響がないとは言い切れない)ものを食べてまで応援する事は断じて許しがたい事だったし、それを国民に気づかれないよう、しれーっとやる政府。

そしてそんなことを知った国民もそれに合わせてしまう(テレビで解説者として御用学者が、レントゲンや飛行機に乗ったって放射線を浴びるとか、日常的に放射線は存在しているだとか、内部被曝と外部被曝の違いなんかもろくに説明せず、すぐに被害は無いみたいなことを連日連夜言うもんだから、視聴者は洗脳されていく…

)。

でも、こんなことを言うと、

「そんなこと言っていたら、何食べたらいいのか?

とか

「福島の人たちのことを考えたことあるの?」

だとか、

「非国民!」

みたいなところまでバッシングされるんです。

あらためてメディアの力は凄いもんだなぁ…


もう今でもあのことを思い出すと

「本当になんて日本人て愚かなんだろう…」

って思ったものです。


先日のパンデミック、コロナウィルスのあの騒ぎもそうでした。

全く変わらない。

同じ。

いや、もっと酷かったかも。

あの時こそ完璧に国民を恐怖に導きたかったんだろうなぁ…って。

露骨過ぎて、バカバカしくなるくらい。

それでもテレビ信者はマスクをしない僕のこと目の色変えて攻めてきたもんなぁ… 


戦時中のこともドラマとかで美化されてますけど、同じだったんだろうなぁ…って。


この同調圧力、村社会、右向け右。

時には必要かもしれません。

ただ、やはり個人個人で考えての“右”に向かないと。

時には“左”を向いている人がいても、それはそれそれで責めることなく(別に認めてもらわなくてもいいですけど)、ほっとけばいい。

そういう考えもあるんだなぁ…程度で。


多数派が正義で少数派が悪。

この思考を変えないことには、戦時中からもそうですが、東日本大震災、そしてコロナの時もそう、

だから、選挙があっても、選挙前各政党の支持率調査みたいなものをメディアが提示すると、自分の票を無駄にしたく無いと思って“右”に合わせて行く。


もうああいう投票前の政党支持率調査や投票所出口調査みたいなことをメディアで取り上げるのはやめてほしいものです。

テレビ信者は簡単に促されますから…


まぁその前に多様性多様性ってうたうんであれば、もっともっと自由に報道してほしい。

戦後のことを無駄にしてはいけない。

コロナのことも無駄にしてはいけない。

そして本日3月11日13年前の、東日本大震災は決して忘れてはいけません。

改めて被災された方々に。


黙祷