Uとの「届け、ことばの処方箋!」 -294ページ目

発見!「現代処世十訓」のエピソード

一、強く正しくにこやかに

一、上見て進め、下見て暮らせ

一、真剣之前にふ能なし

一、論で負けても行ひで勝て

一、長所と交われば悪友なし

一、話上手より聞き上手

一、己に克って人には譲れ

一、急ぐな休むな怠るな

一、向上の一路に終点なし

一、仲よく働け笑って暮らせ


 昭和三年戌辰十二月 慶助 六十一才




今年の2月のことです。

お正月に実家に帰れなかったので、

連休を利用して、青森の実家(祖父母もいる)に帰省しました。


東京ももちろん生活をしていると、

今年も冬らしい冬で、寒さはそれなりに厳しかったのですが、

金曜の仕事を終えて、降りたった青森空港の空気は、

とがった針のように頬を冷たく撫でていました。


雪が世界の音を余すことなく吸い取って、

風の音だけが静寂の中に淡々と鳴り響く。


空港の到着ゲートで迎えに来てくれた母に合流し、

パーキングで車に乗る。


他愛もない近況の小さな報告が始まる。

実家に帰るといつも母と夜中まであれやこれやと話をする。


お互いのことを話し、知らず知らずのうちに夜は更けてゆく。

母とこうして話すようになったのはいつからだろうか。


僕が一人暮らしをしてからだろうか。


小さな頃はよくいたずらをして怒らせたり、

些細なことで喧嘩をしたり、

いまでは、そういう余分な部分はなくなり、

お互いがお互いを何を言わずとも理解できる関係になった。


やがて車の中には沈黙が波のない海のように広がり、

ラジオから流れる静かなメロディが僕らの会話を埋めていた。


僕はそのとき、母に告げた。


「最近あってないけど、本町のおじさんのところにある仏壇に拝みに行きたいんだよね。」


本町のおじさんとは、僕の母方の祖母の兄にあたる人で、

やさしい笑顔で僕をいつも温かく迎え入れてくれていた人だ。


おじさんは長男だから、

つまりそこにある仏壇は僕のおばあちゃんの両親たちが眠っている。


母は、僕の言葉に驚いた様子でこう応えた。


「え?ちょうど4日前に命日だったんだけど、おばあちゃんも私もまだ仏壇を拝みに活けてなかったんだよ。

命日のことしゃべったっけ?」


きいていない。


僕もその偶然に驚いた。

周期的に大切な命日だったようで、

おじさんの家では、お坊さんを呼んで簡単な法要をしたらしい。


その2日後、おじさんの家にいって、

仏壇を拝み、僕のひいひいおばあちゃん、ひいひいおじいちゃんの話を聞いた。


ひいひいおばあちゃんは、ひいひいおじいちゃんを40歳のころになくし、

7人の兄弟を女で一つで育て上げた人だったらしい。


昼は裁縫教室、夜は内職、そして本業としては下宿も掛け持ちでやっていたらしく、

相当な働き者だったと、みなが口をそろえて教えてくれた。


ひいひいおじいちゃんもとても真面目な人だったらしく、病気で亡くなる前まで一生懸命働いていたそうだ。


恥ずかしい話だが、僕は自分のルーツの人たちの話をこれまでにちゃんと聞いたことがなかった。


そこで、僕はたくさんの勇気と一緒に自信をもらいました。

本当なら自信は自分の経験でつけるものなのだけれど、

「あ、大丈夫だ」と直感的に感じたのです。


冒頭の十訓は、おじさんの家の仏壇がある部屋に額に入れられ飾られていた、

僕のひいひいひいおじいちゃんにあたる人が、昭和三年六十一才のときに残した家訓です。


昔はどこの家にもこのような家訓があったのでしょう。


しかし、僕が驚いたのは、その内容、大切な部分は今の世の中と何ら変わっていないということです。

人と人のかかわりで世の中がなりたっている以上、どれだけの歳月が流れても換わらないものがあるんだ。

改めてそう思いました。


いつもは気づきもしなかった額の中の文章だったのに、

今回は目に留まり、その場でメモ帳に写しました。


十訓は僕の好きな言葉ばかりです。


きっと、命日のおばあちゃんが僕を見て、呼んでくれたのだと思います。


どんなに忙しくなっても、どんなに苦しいときでも、

この言葉を実践していれば、たくさんの人が周りに集り、

胸を張って人生を送ることができるんじゃないか。


そんなことを思った今年の里帰りでした。

没頭する瞬間

大学を卒業してからというもの、


「没頭」する時間が大幅に減った。


周りのことを忘れてひとつのことに「没頭」する時間。


大学まではラグビーがそれだった。


何もかも忘れて、体を張ってぶつかったり、走ったり、夢中になって仲間のためにどろどろになった。


僕の「没頭」はいくつかある。


絵を描くこと、文章を書くこと、体を動かすこと、などなど。


今日は、夕方になり仕事がたくさんたまりはじめていた。


ダンスのレッスンがある日なので、

そわそわしていたが、夕方になりたくさん仕事が入り、

今日は諦めようと思った。


しかし、時間が経つにつれ、いてもたってもいられなくなり、

「ええい!」と仕事を切り上げて、オフィスを後にした。


50分遅れで、教室に到着。


ダンス仲間には「今日はいけない」と伝えていたので、僕がドアを開けると驚いた顔をしていた。


本来なら7時から始まり、8時には終わるレッスンだったにも関わらず、

先生は9時前まで、ダンスを教えてくれた。


先生は、笑顔が素敵で気さくでとてもやさしい女性です。


1時間、僕は日常を忘れて、先生の言葉を頭で噛み砕き、

体の末端までその情報をインプットすることに全身全霊を捧げた。


スポーツは往々にして、

その想像力が重要であると僕は考える。


僕は体力はあるが、運動神経はあまりよくないので、

頭でわかっていないと、その動作を体の末端まで落とし込むことが出来ない。


だから、アドバイスや自分の体の動きを、観察し最大限に想像力を膨らませ、

そのソフトがハード(体)に行き渡るさまをチェックしていく。


コンピュータでいうと、新しいソフトをインストールしている状態。

ひとつひとつの項目にチェックをいれながら、次の段階へと進んでゆく。


先週休んでしまったので、大分動きが抜けていた部分もあったが、

体を動かすと徐々に眠っていた記憶が修復される。


この一連の作業にはそうとうな集中力を要する。


全身の集中力を高める動作は、非常に難解な行動であるが、ある種の浄化作用も持ち合わせている。


久々の「集中」の時間。


これからも、大切にしていこう。


明日は早起きして会社にいき、今日のリカバリーしなくちゃ。


ほな、おやすみなさうぃ!

芸術活動の孤独と光

「水まきしていた 季節は過ぎて

風の香り かわりはじめてた


緑はやがて 褪せてゆくけど

幹は今も 嵐に耐えてる

そこに立ってる


誰もが痛み抱いて

迷いも消えなくて

この星はさびしさあふれていて

何を求めている


あなたをただ愛してるだけ

ただそれだけで生きてゆけると


ぼんやりと思ってたら

なんだか勇気が湧いてきてた


それは気持ちに羽が生えたように

空を飛んでゆく


水平線の見えない

この街に生まれて


そして死んでいっても

あなたがいれば 

全てを感じる


枯葉 落ちてく

木枯らしが吹いてく


長い冬を越えて

自分の中春が訪れて

夏が来る


永遠のみどりはこころに広がってる

そう信じていたい


oh evergreen with you」


小林武史 evergreen



美しい歌や、文章、きれいな風景や、他愛のない会話は

生活の中のビタミン剤のように、

疲れた体や、忙しい生活の中に

元気や勇気を与えてくれる


それはまるで、副作用のない万能薬のよう


与えられるだけの側にいるのではなく

出来ることならば、僕も誰かに元気や勇気を与える立場にありたい


何かを書いたり、曲を作ったり、絵を書いたりする作業は

とても孤独に満ち溢れている


僕はそう思う


それは、無条件に誰かを愛する作業に似ている


見返りを求めない純粋な「作業」「闘い」であると僕は思う


裸になって、恥ずかしさもいやらしさも捨てて、

目の前の事象や自分自身の内面とむきあう


いま、暖めている物語がすこしずつ形になってきた


物語の構成が8割程度固まったら、筆を取ってみようと思う


きっと駄作になるだろうけど


小さな一歩が、自分にとっての大きな一歩になるような気がしている


いやらしさや文章的なテクニックやサービス精神を捨てよう


頭の中にあり、僕が求めているのは人や家族や生きることの温かさをありのままに描いた

そんな物語だ


完成がいつになるかわからないけれど

一日が終わっておいしい食事をしたときに自然と温かな気持ちになるような

無条件に感謝の気持ちで満たされるような


そんな文章を書きたいと思います


お腹の調子がよくないので

お風呂に入って体を温めてきます